追放間近の悪役元王妃ですが、兼業である侍女への恋を相談されました、それ私本人です
芳原シホ
第1話 我儘と傲慢に満ちた王妃?
「それで、……義母上、あなたの今後だが」
「無理しなくていいわ、わたくしだとて貴方を息子だとは思えないもの」
さすがに言いづらかったのだろう。目一杯躊躇ってからようやく出てきた呼びかたに、マデリーンは口紅が厚く塗られた口元を面白そうに引き上げた。
目の前に立つ王は若い、まだ二十四だと聞いている。
だが義母と呼ばれたマデリーンは、実はその彼より年下だ。もっとも常に厚い化粧と扇で隠された装いからは、詳しいところなどわかるまい。
いままでマデリーンはそうやって誰に対しても素性を隠してきた。
大陸のほぼ半分を占める大国、ラクトセアム王国では、少し前に新たな王が即位した。
「そう何度も念押ししなくとも承知しているわ、ヴィンセント様」
いかにも複雑ですという表情を浮かべる新たな王ヴィンセントへ、マデリーンは座ったまま笑いかける。
「ああ、もう国王陛下と言わなきゃね、わたくしの中では陛下といえば一人なの、慣れなくて申し訳ないわ」
「いいや、構わない」
扇で優雅に口元を隠しながら、感情も込めず謝罪を投げかける。
新たな王であるヴィンセントは、父である先代の王と同じ綺麗な銀の髪だが、その瞳は異なり深い蒼色をしていた。
「ヴィアン湖畔にある離宮を整備させている。整い次第、移住してもらいたい」
「あらそう」
口元を隠すように持った扇を軽く揺らす。
マデリーンは、先代王の後妻だった。
彼の母親はマデリーンではなくそれ以前の王妃なので、当然血の繋がりなどない。
ヴィンセントが王太子であった頃から数えても、数えるくらいしか会ったことがなかった。だから娘ほどの歳の妻を迎えた父を、彼がどう思っていたのかは知らない。
しかし会って早々に移住の話を持ち出すあたり、快く思っているはずがなかった。
「初対面同然で追い出すような話をしてすまないと思っている。しかし決してそのようなつもりはなく」
「わかっているわ、陛下の心遣いに感謝致します」
ヴィンセントの言葉をさえぎると、マデリーンはようやく立ち上がった。
今いる王の執務室は、日当たりも良くマデリーンも好んでいた部屋だ。しかしこの部屋に入ることももうないだろう。
「わたくしとて噂は耳にするのよ。我儘と傲慢に満ちた王妃から国を取り戻した英雄王、その手腕には期待しているわ」
煽るように言葉を投げかけその表情を窺うと、こちらをじっと見るヴィンセントと目が合った。真っ直ぐな瞳は曇りがない、間違いなく良き王となるだろう。
だからこそ、マデリーンは最後の言葉としてお節介を添えた。
かろうじて聞こえるくらいの声でささやく。
「どうか貴方の幸せのために生きてください。鍵には気をつけて」
先代である父からどこまで聞いているかは知らないが、伝えられるのはそれだけ。精一杯の忠告であり願いだ。
「マデリーン?」
「それでは、わたくしはこれで失礼します」
その場で振り返り優雅に礼をすると、マデリーンは執務室から出た。
これでようやく終わった。
我儘でも傲慢でもやめられなかった役目は、これでなにもかも終わりとなる。
部屋に戻る途中も、マデリーンを見る者には畏怖や嫌悪の表情がちらつくが、すべて見えぬふりをして足を動かし続けた。
マデリーンの部屋近くで待っていた侍女が、いつも通り丁寧に礼をして迎える。
「おかえりなさいませ、マデリーン様。お食事はいかがいたしましょう?」
「いつものようにマドカに任せるわ」
「かしこまりました、そのようにマドカに伝えます」
仕えて長い侍女であるトレサは、ありがたいことに余計なことを言わず、部屋にも滅多に踏み入ってこない。
その場にトレサを残して部屋へ入ると、マデリーンはすぐにしっかりと扉に鍵を閉めた。
「んんー、疲れたあ。今日もお疲れさまでした、よくがんばりました、わたしっ」
両手を突き上げ大きく伸びをしてから、一気に体の力を抜く。他者を見下すようにあえて意地悪く見せていた表情を解くと、マデリーン本来の顔立ちが垣間見える。
もし誰かがその表情を見たなら、普段の化粧と表情をすぐにやめさせるかもしれない。
だからこそ、マデリーンは隠す必要があった。
洗面台に自分で水を張り、特別製の石鹸や化粧品を並べると、すぐに顔を洗い始める。
「ヴィンセント王かあ、近くでお会いしたのは初めてだったけれど、綺麗な瞳で鼻筋も整っていたわ」
顔を洗いながら、さきほど見たヴィンセントの整った顔を思い出す。
「親子なだけあってヴィクトル叔父様に似ていたけれど、お優しい叔父様よりも精悍な顔立ちよね。令嬢どころか他国の姫にも人気らしいのも頷けるわあ」
専用の香油を使って厚く塗っていた化粧を丁寧に落とすと、今度は石鹸を泡立てて丁寧に顔を洗っていく。
「ふふ、でもそーんな陛下がわたしのこと義母上だって、おっかしいの」
思い出し笑いを浮かべながら、石鹸で落とした化粧をさらに水で丁寧に洗い流す。
「なんだかリファナ叔母様に悪いことしたな、わたしは形だけの偽王妃なのに」
何度も水をかけて泡と化粧を洗い流すと、今度は布で顔を拭ってから化粧水の瓶に手を伸ばす。似たような瓶が並ぶが、慣れているので間違えることなく目当ての瓶を掴む。
拭った布を顔からはずして鏡を見ると、飾らない少女がこちらを覗いていた。
父譲りである光を受けると金に輝く琥珀の瞳は、鏡の中から此方をじっと見ている。
「そう、あの蒼い瞳はリファナ様の色と同じ色ね。それで柄にもなく緊張したのかな」
先代のヴィクトル王が愛していた正妃は、マデリーンではなくヴィンセントの母親であるリファナ妃だけだ。
しかし今日の反応からして、ヴィンセントはその辺りを誤解しているだろう。
マデリーンは、ヴィクトルが居場所を作るために用意してくれた存在だ。
二人の関係は、婚姻というより契約に近いものだった。
「いつか、話してあげられる機会ができればいいけれど」
素顔を丁寧に整え終わると、次に着替えをする。
豪華なドレスを素早く脱ぐと、かわりに掛けてあった着替えを着た。簡素に作られたその衣装は、さきほど部屋の前に立っていた侍女の服とよく似ている。白いエプロンまでしっかりと掛け、瞳よりもさらに濃い綺麗な黒茶の髪をきっちり結うと、そこには素朴な侍女が一人できあがった。
「よし、食事をもらいに行ってこよう。今日はなにかなー」
節をつけて歌うように呟くと、マデリーンの部屋の鍵を開けた。いかにも、部屋に戻った主人にお仕えしていた侍女です、という澄ました顔で、開けた扉をしっかりと閉める。
さきほど声を掛けた侍女トレサが、待ち構えていたかのように、声を掛けてきた。
「ああ、マドカ、こんなところにいたのかい、マデリーン様と会ったね?」
「はい、お食事のことですよね」
「そうだよ、いつものようにと」
「わかりました、任せてください」
にっこり笑うと、それ以上疑うこともなくトレサは自分の仕事に戻っていった。
マデリーンの時はどの人も表情を歪ませていたが、マドカとして歩く時にそんな表情を向ける者はいない。清々しい気持ちのマドカには自然に笑顔が浮かぶ。
それは、マドカが今できるいちばんの楽しみだ。
「それにしてもヴィンセント王ったら、追い出して申し訳ないっていう顔だったけれど、わたしとしては早く追い出されたいのよね」
会話を思い出しつつ、調理場に向かって歩く。
「それなりに暮らせる離宮さえ貰えれば、あとは叔父様が残してくれたものもあるし、働きに出るのだって嫌じゃないわ」
マデリーンがマドカとして偽って過ごしているわけではない。
実際はマドカがマデリーンを作り出し演じているのだ。
あえて印象悪く誰にも好かれず、いつか消える時に誰の心にも残らないように。
「ああ、夢の悠々自適な暮らしまであと少し。マドカは幸せに暮らしますわ、それが叔父様との約束ですもの」
意地の悪い前王妃マデリーンなど、本来ならどこにもいないのだから。
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