第2話 死を避ける

 父を救おう――


 晃の死から一週間後、僕はそう決意した。


 数字は、僕にだけ見える。誰もの頭の上に存在するこの数字は、僕たちの残りの人生を表している。

 つまり、余命というやつだ。

 僕は、余命を見ることができる力を――異能を持っていた。


 幸い、この世界にはそうしたオカルトじみた話はたくさん存在した。中には、僕と全く同じ「余命を見る力」を持つ主人公の話もあった。


 死の数日前になるとその人の死の瞬間は一分一秒までわかる人、僕と同じように死亡までの日数が見える人。


 そうした物語に登場する人達には実はモデルがいるのではないだろうか。あるいは、その物語を書いた人が、余命を見る力を持っているのではないか――僕のように。


 それらの物語は、僕にとっての希望だった。

 暗闇の中に差したわずかな光だった。


 ファンレターを模して手紙を出した。


『先生は余命が見えますか?』


 返事は帰ってこなかった。

 もし作家や漫画家の人が余命を見る力を持っていたら、何かの反応があるだろうと思っていた。けれど、反応はなかった。


 それでもよかった。

 僕が足掻くための手本は、そこに物語の形で存在していたから。


 とある漫画を僕は読みふけった。人の死を見ることができる主人公が、余命がわずかになったクラスメイトを救うために、余命の数字を変えようとする話だ。


 その主人公は、ある意味では余命を変えることに成功した。

 死の瞬間、友人を突き飛ばした主人公が代わりに事故に巻き込まれて死んで、生き残った人の余命が伸びた。つまり、死の原因が別の人にのしかかったおかげで、原因が変化した。


 それは、僕にとって希望に他ならなかった。


 父を救えるかもしれない。父を救うことこそが、僕がこの能力を得た理由なんじゃないだろうか。


 そう思いながら、僕は父を救うために試してみることにした。

 トライアンドエラー。あるいはPDCA。


 余命を救うチャンスは、きっと死の間際の一瞬。それをものにしないといけない。

 一発で成功させられると鼻息を荒くできるほど、僕はもう夢見がちな子どもではなかった。

 晃の死は、僕にこの数字の絶対性を突き付けるとともに、どうしようもなく僕を変えた。子どものままではいさせてくれなかった。


 数字がゼロになったら死ぬ――呪いのように僕に染みついたこの常識を変えるのが簡単なはずがなかった。


 僕の孤独な戦いが始まった。


 まずは、長く対象を観察できて、その上で父より余命が短い人を見つける必要があった。その人達を救うことで、確実に父を救えるようになる必要がある。

 幸い、僕はまるで運命に導かれるように出逢いを果たした。


 小学校三年生になった始業式の日、他校からやって来た僕の担任の先生は、余命半年の女の人だった。


 僕はまず、その服部先生を救うことに決めた。


 と言っても、死が近づくまで僕にできることはない。だから、僕はどうすれば先生を救うことができるのか、先生が死んでしまうとしたらどんな風かを考え続けた。


 まずは、先生が死ぬ日を確認した。

 10月のその日は、運動会の二日前だった。平日。そして服部先生の数字が変わる時間は、午前7時25分。

 何度も無茶をして先生を観察して判明したそれは、先生の死ぬ時間。


 その時間に、僕は頭を抱えることになった。

 僕が学校に登校するのは大体8時。

 7時25分となると、先生もまだ学校に来ていないんじゃないかと思う。


 つまり、先生は学校に来る途中で事故にあう可能性が高い。


 その事故が起きないようにすればいい……でも、どうやって?


 まず必要なのは、7時25分に先生の側にいること。

 余命が見える僕がいないと、先生の余命は変えられないんじゃないかと思う。僕が誰かに先生を守るように動いてもらうことで先生を救える可能性がないわけじゃない。

 余命を知っていることで、僕は余命が見えない場合とは違う動きをするはずだから。


 でも、もし僕が余命を見えることまでが、運命のような何かで決定づけられていたとしたら?

 先生を救うための行為だって、最初から想定されたもので、僕が何かをしても何も変わらないとしたら?


 疑念を、首を振って追い払う。

 今、そんな仮説をこねくり回すことに意味はなかった。僕はただ、できることを模索し続けるしかなかった。


 それだけが、父を救うために僕がすべきことだった。


 当時、僕は少しクラスで浮いた存在となっていた。それは晃の死に端を発する。


 僕が晃を殺したんじゃないか――誰かが、そんなことをささやいたのだ。


 それを真に受ける者はいなかった、と思う。

 ただ、もしかしたら、晃が死んでしまった原因が、ほんの少しでも僕にあるんじゃないか――そう思う人がいたのだ。


 恐怖に、憎悪に揺れる瞳に射すくめられてから、僕はクラスメイトが怖くなった。


 そうして、僕は学校に通っても、一言も口をきかない日があるような、そんな生徒になった。


 クラスで浮いている僕を、服部先生はすごく気遣ってくれた。

 僕が友人の死を目の前で見たという話をすれば、先生は真剣な顔で僕に言って聞かせた。


 渡良瀬くんのせいじゃありませんよ、と。


 僕のせいじゃないかなんて、本当のところは誰にも分らない。

 ひょっとしたら、晃は僕が引っ付き虫のように一緒にいるのが嫌で走って逃げようとして足を滑らせてしまったのかもしれない。だとしたら、晃が死んでしまったのは僕のせいだ。


 答えはわからない。死人は答えを教えてくれない。


 ただわかるのは、服部先生も父も、まだ生きているということだけだった。


 つまらない日々は、けれどあっという間に過ぎていった。

 どうすれば先生を助けられるか、僕は必死に考え続けた。


 そうして、僕は不登校になることにした。


 両親に休むと告げて、仮病を始めた。

 なまじ両親は僕が目の前で友人を失ったことを知っていて、当時の憔悴する様を見ていたから、その記憶がぶり返したんじゃないかと話していて、無理に学校に行かせることはなかった。


 そうしてサボりが三日目になったその日の夕方、服部先生が僕の家にやって来た。

 ――僕の想定通りに。


 僕は自室の扉ごしに先生と話した。

 たまに、晃の死の瞬間を思い出すこと。

 そうしたら僕の中がぐるぐるし始めて、苦しくて、逃げ出したくなって、怖くて、学校にいるのが辛くなったということ。


 それは、確かに僕の本心だった。

 僕は怖かった。晃が死んで、僕が人の余命を見ているのだと知って、怖くて仕方がなかった。

 余命が見えるとは、つまり死が見えるということだ。そんなの、死に神のようなものだ。僕は、自分が人間ではないのだと、そう思えてならなかった。


 何より、家族の死がゆっくりと、しかし確実に近づいていることが、怖くて仕方がなかった。


 それでも、僕は学校に行っていた。

 家を出なければ、動かなければ、父を救えないから。その義務感だけが僕を突き動かしていたのだ。


 死は、みんなに待っている。余命は日々刻々と迫っていて、みんなはそれを知らずに日々を生きている。

 そんな中、僕だけが死を見える。余命を見える。

 ならば、動かないといけない。

 少しでも多くの大事な人を救うために、僕は死という運命と戦わないといけなかった。


 そのための作戦の始まりが、不登校になることなのだ。


 不登校が続き、けれど先生が朝に迎えに来てくれた日には、僕はたまに学校に行くことにした。大体三十分ほど先生と話して、学校に行く覚悟ができたら部屋を出る。


 そうして、僕は平日の朝7時25分に先生と一緒に居られる状況を作り上げた。それこそが、不登校作戦の要。

 普通にしていては、先生が死ぬ瞬間に僕はそばにはいられない。だから、意図的にそうした状況を作り上げたのだ。


 あとは、当日の朝7時25分に自宅で先生と一緒にいるだけ。

 万が一の時のための救急対応も覚えた。すぐに救急車を呼べる環境を整えた。


 準備は万全だった。

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