スレイヤーズ

神坂一

スレイヤーズ1

一、気をつけよう 野盗いびりと夜の宿

 あたしは追われていた。

 ……いや、だからどーしたといわれると、とても困るんですけど……

 確かにこんなことは、世間様一般でもさして珍しいことではないわけだし、あたしにしてみればそれこそ日常はんである。

 しかしそこはそれ、話には筋道とか盛り上がりとかゆーものがあるのだから、ま、仕方がないとでも思っていただきたい。

 それはまーとにかく、おつは間近にまでせまってきているはずだった。

 とうたちである。

 このところこれといった事件──平たく言うと〝しごと〟がなくふところもややさみしくなりかけていたので、野盗たちの寝ぐらから、こっそりと、ほんの少しばかりお宝をちようだいしたのだが。

 それがいけなかった。

 ほんっとに、たる量である。

 ピグシーつめあかほどの量もあるまい。

 それをしつこくしつこくしつこくしつこく追いかけてきているのだ、やつは。

 ……心の狭い奴。

 もっとも、心の広い奴がとうをしている、などという話はとんと聞かないが。

 まあ、『すぐ後ろにとうぞくたちの姿が見え隠れ』などというほど事態がせつぱくしているわけではなかったが、やはりこちとらきやしやな女の足。むさい男の足にはかなわない。追いつかれるのは時間の問題。

 ああ、れんなる美少女、リナの運命やいかに!

 ……あたしのことよっ。あたしのっ!

 ──と。

 とりとめのないことを考えていたあたしの足が、ふと止まる。

 おおいかぶさるかのように道の両わきに生い茂る、うっそうとした木々。その中を突っ切って伸びる、人けのないかいどうこうこうたる昼のの光。

 見た目には何ら先程までと変わりはない。

 が──

 鳥たちの声がえている。

 めいりような殺気が、しげみの奥にわだかまっていた。

 ──かこまれている──

 どうやら敵は、地の利を生かして先回りをしていたらしい。

 何か声でもかけてやろうかとも思ったが、あまり気のきいたセリフも思いつかなかったので、とりあえずだんまりをきめこむ。

 立ち止まって待った。

『つけられてるのはわかってるわよ』という意思表示である。

 森の中の一本道といっても、そこそこの広さはある。切ったはったをするには十分なスペースだ。これが、へたに道幅のせまいところで立ち止まったりすると、横あいの茂みの中からいきなりグサリ! などということもある。

 ほんの少しして、一人の男が森のなかから道に出てくる。あたしの行く手をさえぎる形で。

「やっと追いついたぜ、じようちゃん」

 頭からかみの毛がぜつめつしているアイ・パッチのおっさんは、きよびゾンビやスケルトンでも使わないような、ふっるーいお決まりのセリフを吐いた。

 上半身はだかの、『私はとうぞくかしらです!』と力説しているかのよーなふうぼうだった。ターなんぞを持っているのが、いかにもである。──もっとも、遅くても話の中盤あたりにはあっさりとやられてしまう役どころ、といったふうだが。

 チャーム・ポイントはラーりたくったかのようにぎとぎとと油ぎったはだ(ずげげげっ)。

「よくもさんざおれたちをコケにしてくれたな」

 あたしはうんざりした。

 まーたいがい、このテのやつの頭にまってる単語の種類数など、せーぜー百を越えないだろうと、前々から思ってはいたが。

 それにしても、もう少しパターンから離れたものいいはできないのだろうか。

「……このオトシマエはきっちりとつけさせてもらうぜ」

 あのなあ……おっちゃん……

「と──言いたいところだが──」

 男はニヤリと、すこぶるしよくの悪い笑い方をした。おやおや?

「正直いって、あんたとはやりあいたくねぇ。まともにやったら、こっちもかなり痛ぇ目を見ることになりそうだしな。──なかなかどうして、大したタマだよ、お前さん。

 ──いやいや、ほめてるんだよ。あの手口、まるきしくろうとだ。いきなりほうであちこちブッ飛ばしてくれて、見境なしに火の手が上がるわ、おかしらも火にまかれておっんじまうわ、あれよあれよとさわいでるうちに、ふと気がつくとたからぐらからはめぼしいしろものがゴッソリいかれちまってる。おれたちでもあそこまではやらねえぜ」

 ──まー、そーゆーこともあったかもしれない。

 いーじゃないか。『悪人に人権はない』というのがあたしのモットーなんだから。

まつたく大したもんだよ。──で、だ。本来なら『お頭のかたきっ』てなもんで、お前さんを殺すか、さもなきゃ俺達がみんな死んじまうかするまで追っかけ回すのがスジってぇもんなんだろうが、そいつぁどう考えてもおたがいにとって面白いことにはならねぇ。そこで──どうだ、ひとつ、この俺達と組んでみる気はねぇか?」

 とんでもないことを言い出した。

 じようだんではない。

 あたしは曲がったことが大嫌いなのだ。

 ……本当だってば。

「お宝を返してくれて、俺達の仲間になるっていうのなら、死んじまったお頭や仲間たちのことは水に流してやってもいいんだぜ。

 ──なあに、そうむずかしい商売じゃあねぇ。俺の言うことをきいてりゃあそれですべて良しさ。不自由はさせないし、たんといい目も見せてやるよ。な。どうだ、悪い話じゃあねえだろう」

 ねちっとした笑いを浮かべる。

 ははあ。

 そういうことなのだ。

 つまりこの男は、つい先日まではNo.2だったらしい。

 ところが、先日あたしが起こした事件で、ぐうぜんにもとうもくが死に、前々からねらっていた頭の地位がころがってきたのだ。ころりん、と。

 で、かたきうちというよりも、どちらかというと宝を取りもどしたい一心で追いかけてきてあたしと出会い、そして、欲しくなったのだ。

 あたしの力と体とが。

 しかしあいにく、あたしはとうぞくと組むほどワルじゃない。

 それに第一、こーいう盗賊然たるふうていのおっさんとかたなど組んで、『今日のしゆはどうだったい? おまえさん』なんぞとやりたいなどとはタマゴのカケラほども思わない。

 やっぱり──

 男は白馬の王子様に限るっ!

 ──まあ、それはじようだんだが。

「返事は早いほうがいいぜ。こんなところでそうそうウロウロしていてもらちがあかねぇしな。新しい寝ぐらもみつくろわなくっちゃなんねぇ」

 男は、えらくじようぜつになっていた。

 あたしにプレッシャーを感じているのだ。

 こっちはいままでまつたくの無言である。

 あたしのごえは、いかにもきゃぴきゃぴとした女の子然たる声なので、あれこれとしゃべってやれば男も少しは気が休まるのだろうが、そんなことをしてやる義理はろんあたしにはない。

 一方的なおしゃべりが続く。

 あたしはただ、だまって突っ立っているだけである。

 男がだんだんじれてくるのが手に取るようにわかる。

 とことんまでしゃべらせておいて。

「……な、どうだ、おい?」

「断わる」

 一言で突っぱねた。

 不自然ではない程度に、できるだけ低い声で、きっぱりと。

「な……」

 男がぱっくりと、大きく口を開けた。

 見る間に顔色が変わっていく。

「……こっ!………」

 男は、やっとのことで言葉をしぼり出した。

「このアマぁ……したに出てりゃあつけあがりやがって! そうなりゃあこっちにも考えってもんがある。体中バラバラに切りきざんでやるからかくしやがれ! てめえら、出てこいっ!」

 号令一下、森のなかから男たちが、あたしを取りかこむ形でわらわらと出てくる。その数およそ十数人。

「少ないわね」

 あたしは正直に感想を述べた。

 男が、ユカイなくらいあからさまに動揺してくれる。あたしがこの人数をみて動じないのにビビったのだろう。

「──ハ、ハン! もちろんこれだけじゃあねえぜ。森の中じゃあおれたちの仲間が、今も弓矢でお前をねらってるんだ。俺の掛け声一つで、お前の体はぼろくずみたいにズタズタさ。手ェついて謝るっていうのなら、命だけは助けてやってもいいんだぜ。え?」

 見え見えのうそをつく。森のなかにまだ人がいるかどうかなど、ちょいと腕のたつ剣士かどうかなら、すぐにわかることである。

 剣士にして魔道士たるこのあたしに、それしきのことが判らない道理がなかった。

 自慢!

 するとやっぱり、実力でケリをつけさせてもらうことになるが──

 と、そのとき。

「それぐらいにしておくんだな」

 声がした。

 皆がそちらに目をやった。

 一人の男が立っている。

 旅のようへいのようである。

 抜き放ったロング・ソードが、昼の光を照り返していた。

 かんがつのBGMでもほしいところである。

 アイアン・サーペントのウロコとおぼしきもので作った黒光りするブレスト・プレート。すらりとした長身。典型的な、わざとスピードが売り物のライト・フアイタータイプだ。

 淡いブロンドの、なかなかのハンサムである。

「こそどろども、とっととシッポをまいて逃げ帰るがいい。そうすれば、命だけは助けてやるぜ」

 しゃあしゃあと言った。とうのおやびんはみるみる真っ赤になってどなり散らす。

「やかましいっ! いきなりでてきやがって! てめえ一体なにもんだっ!」

「きさまらに名乗る名前はないっ!」

 ……これこれ、そこのきみ。

 目を点にしないよーに。

 事実なんだから仕方がない。あたしも苦虫をつぶしたような顔をした。

 よくいるのだ。こーゆーのが。

 だれかがピンチになると、きまって何のみやくらくもなく現われるやつ! なぜかたいがいハンサムで、そこそこ強かったりする。

「しゃらくせえっ! ならてめえから片づけてやるっ! やっちまえっ、野郎ども!」

「おうっ!」

 かくしてパターン通り、チャンバラが始まった。

 男に加勢しようかとも思ったが、そこはそれ、男の顔というものは立ててやらなくちゃあならない。

 そこであたしはヒロイン役にてつし、意味もなくそこいらへんをけずり回りながら、キャーキャーわめいていることにした。

 ……ほんっと、楽だわ、こりゃ。

 わめく方に一生懸命になっていたので、何がどうしてどうなったのかよく分からなかったが、とにかく決着はあっさりとついた。

 もちろん、男の勝ちである。

だいじようか?」

 男はあたしのほうに向き直り、そして──しばし絶句した。

 はっきり言って自慢以外のなんでもないが、こう見えてもよう姿には自信がある。

 大きくつぶらなひとみ

 愛らしい顔立ち。

 いかにも男の保護欲をそそりそうな、せい且つ、がらきやしやな体つき。

 男が大きくためいきをついた。感嘆の溜息っていうやつだ。

 小さくつぶやくのが、はっきりと聞こえた。

「……なんだ……子供か……」


 ぐさっ!


 ……あたしは少しだけ傷ついた。

 男はなおも呟き続ける。

「──こういういい場面なんだから、もーちょっといい女だと思ったんだが……せっかくコナかけようと思って体ったのに……ドングリ目のペチャパイのチビガキじゃあないか……」


 ざくっ!


 ……そりゃーあたしは同じ年ごろの女の子たちより、やや背は低いし、まー、胸もやや小ぶりであることは認めよう。たしかに年よりも若く見られることはあるが……

 ……くそー……人がいちばん気にしていることを……

 本人は聞こえないように呟いているつもりなのかもしれないが、いかんせんあたしの耳は、普通の人と比べると、すこぶる性能がよくできている。エルフ並みだといわれたことさえあるのだ。

 ──まーしかし、少なくとも形のうえではあたしは助けられたことになるわけだから、とりあえず礼は言わなくてはならない。

「ど……どぉもほんとにありがとうございました」

 あたしは、かなり引きつった笑みを浮かべながら言った。

「いや、あらたまって礼を言われるほどのことでもないさ」

 小さく笑う。

「それよりケガはないかい、おじようちゃん」

 お嬢ちゃん、と来たもんだ。

「女の子の独り歩きは危ないな。それともお父さんかだれか、連れでもいるのかな?」

 むかっ。

「──いえ、まあ、ひとりですけど」

 ぴくぴくぴく。

 かみで隠れて男からは見えないはずだが、こめかみのあたりがかなりケーレンしているのが自分でもはっきりとわかった。

「そいつぁぶっそうだなぁ……よし、じゃあお兄さんが家まで送ってってやろう」

 あ……あ……あ……あのなあっ!

「──で、おうちはどっちだい?」

 むかむかむかっ。

「──いや──あの──あたしはひとり旅をしてましてぇ、別に何かのアテがあるわけでもないんですけど……アトラス・シティにでもとりあえず行ってみようかな、なんて思ってるんですけど……」

「そうかー、うん。そうだったのかー。いや、たいへんだねぇ、きみも」

「……へ?」

「いや、わかってるわかってる。色々とあったんだろう。色々とね」

「……いえ、あたしは……」

「あーっ。何も言わなくてもいい。解っているんだから」

 うーむ。

 ともすれば吹き出しそうになるムカムカをひつおさえようと、うつむきながら感情を殺してセリフを吐いたのだが、それをどうやらこの兄ちゃん、〝きかれたくないことをきかれてしまった〟ためのリアクションだとかんちがいでもしたらしい。たぶんあたしのことを、『何かの事情で住みれたふるさとを離れなければならなくなったはつこうの少女』だとでも思っているのだろう。

「いや、あたしはただ単に、世の中をいろいろとあちこち見て回りたくて……」

 事実を言った。

「いいんだよ、あわてて言いつくろわなくっても。あれやこれやと尋ねたりはしないからね」

 子供をさとすように言う。……だめだ、こりゃ。

「──そうか、よし、それじゃあオレがアトラス・シティまでついていってやろう」

 おいおいおいっ!

「い……いえ、そこまでしていただくわけには……」

 じようだんではない。

 アトラス・シティまでは約十日。

 こんなムカムカくるにーちゃんと四六時中顔を突き合わせていたら、アトラス・シティに着くまでに、ストレスで胃袋がけてしまう。

「いや。オレにはわかる。君には友達が必要なんだ」

 決めつけるなっつーの。

「いえ──でも──」

 ふたりのお話し合いは、えんえんと続き──

 結局。

 しばらくの後、あたしたち二人は、並んでかいどうを歩いていた。

 ──説得されてしまった。

 あたしは頭が痛かった。

「──と。そういえば、自己紹介がまだだったな。オレはガウリイ。見てのとおり、旅のようへいだ。きみは?」

 あたしはいつしゆん、いらだちまぎれにでたらめな名前でも言ってやろうかとも思ったが、意味がないのでやめておくことにした。

「──あたしはリナ。ただの旅人よ」

 すなおに本名を名乗った。ただの旅人というのがうそなのはいちもくりようぜんだが。

 しかしガウリイは、それをあえて突っ込んで尋ねようとはしない。

 たぶん、何かの事情があって嘘をついている、とでも思っているのだろう。

 これなのだ。あたしが同行を説得されてしまった理由は。

 彼は、いい人なのだ。

 つまり善人なのである。

 もしもこれが、あたしに対する何らかの下心をもって『いつしよに旅でも……えへ、えへ』なんぞとぬかしたのであれば、迷わずに、即、しばき倒している。

 しかしガウリイは、どうやら真剣にあたしのことを心配してくれているらしいのだ。

 で、断われなかったのである。彼の申し出を。……しかし……

「──しかし──」

 彼が小さくつぶやいた。あたしには聞こえていないつもりのようだ。

「──アトラス・シティまで子供のおもりか……色気のある話じゃあないけど、ま、いいか」

 しかしやっぱり、ムカムカ来るやつではあった。

 

 一人になってはじめて、あたしはようやく一息ついた。

 その日の夜、宿屋でのことである。

 途中の宿しゆくまちで宿を取り、夕食後、それぞれのにひきこもった。ちなみにガウリイはとなりの一人部屋である。

 さして広くもない板張りの部屋にベッドとテーブルが一つずつ、テーブルの上のしよくだいに小さな明りがともっているだけの粗末な造りではあったが、手入れは行き届いているようだった。

 オイの燃える、くせの強いにおいが部屋を満たしている。

 部屋に入るなり、ドアに掛け金を掛け、マントをはずす。

 マントがじゃらり、と床に落ちる。

 ──いやー、しんどかったのなんの。

 あたしはマントの裏に鈴なりになっている、とうぞくたちからぼつしゆうした戦利品の検討をはじめた。──ぶん取ったお宝の品定め、という言い方もある。

 なにかとごたごたしていたので、今日まで整理もせずに、袋のなかにほうりっこみぱなしにしていたのだ。

 あまりかさばらず、価値のありそうなものを、なるべくひかに取ってきたつもりだったのだが、ふと気がつくと、かなりの重量になっていた。

 ひろげたマントの上にぺたん、とこしを下ろし、いくつものかわぶくろの中からいろんなものを引っ張り出す。

 とりあえず口のなかで小さくじゆもんとなえ、両手を胸のまえで合わせる。

 ゆっくりと開いた両手の間に生まれた光の球を、てんじようにむかってほうり上げる。

 こうこうたる光が室内を明るく照らし出す。

ライテイング』の呪文である。

 品定めをするのに、オイの薄暗い明りではごうなのだ。

 わりと大粒の宝石が二~三百個。キズものもあるので、これは後で整理することにする。

 オリハルコン製の神像が一つ。これはかなりの値打ちものである。

 大振りのナイフがいっちょう。俗に言う『ほうの武器』というやつだったが、かけられているのは、どうもあまりの良い魔法ではないようだ。

「──こーゆーのをむやみに使うと、つじりとかに走るのよね……ま、どこかのマジック・ショップにでも、そこそこの値段で売っ払っちゃえばいいわね。──次は……」

 五百年ほど前にほろびたレティディス公国の公用金貨が十数枚。

 あたしは思わず口笛を吹く。

「らっき♡こりゃあマニアに高くで売れるわ……」

 ──今回のかせぎは、とりあえずこんなところである。

 たいした稼ぎにはならなかったが、まあ、あの程度のとうぞくグループ相手なら、こんなところだろう。

 ただし、『たいした稼ぎではない』といっても、それはあくまでもあたしの感覚でモノを言って、の話である。これらを皆捨て値でさばいたとしても、人一人がゆうで一生食っていけるくらいの額にはなる。

 ぜいたくと言うなかれ。

 どうなんぞをやっていると、何かとモノがるようになってくるのだ。

「さて──と、それじゃあ……」

 あたしは宝石の整理に取りかかった。

 種類ごとに分け、それをさらに傷物と無傷のものとに分ける。無傷のものはそのままさばいてもいいが、傷物はかなり安く買いたたかれる。そこで──である。

 あたしは自分の荷物のなかから、いくつかの品物を取り出した。

 子供のにぎりこぶし程の大きさをしたすいしようきゆうのようなものを取り出すと、そっとゆかに置く。それはくるくると回りだし、やがてゆっくりと止まった。

 球のなかの印が、窓のほうを向く。

「ふむふむ。あっちが北──ね」

 中心にほうじんの描かれた紙をゆかに拡げる。

 大きさはたてよこ共に、両手をかるく広げたくらいで、エルフの女性のはだのような色つやをしている。

 ──さきほどから『──のような』というのを連発しているが、道具の材質とか、じゆもんのあれこれなどはぎよう秘密に属するので、詳しく述べることはかんべんしてもらいたい。

 木製の小さな版に、ある方法で作ったインクをつけ、別の小さな紙に、小さなほうじんなついんする。

 ゆかの魔法陣の中心に無傷のルビーを一つ置き、それの上に、今の小さな紙をのせる。

〝火〟の呪文を口の中で唱えると、小さな紙がポッと炎を上げ、いつしゆんにして灰と化す。

「──まずは成功ね」

 あたしは床の上の宝石をのぞき込んでつぶやいた。

 ルビーの中に、小さな魔法陣が見える。

 今の術で、紙に押された魔法陣をルビーの中にふうじ込めたのだ。

 次に同じ種類の宝石の、傷物のほうを左手に軽く握る。

 魔法陣を封じた宝石のうえに手をかざし、〝風〟の呪文を唱える。

 手のなかの宝石が、まるで、かわいた土のかたまりのようにあいなくくずれ去り、ルビーの粉の雨となり、下のルビーに降りそそぐ。

 同じ作業を幾度か繰り返し、傷物のルビーをすべて処理し終わったときには、床の魔法陣にルビーの粉の山ができていた。

「──さて──」

 びんのなかの透明な液体をその山に振りかけ、上に左のてのひらをかざす。

〝地〟の呪文、〝水〟の呪文を、あるパターンで組み合わせながら唱える。かざしたてのひらがり、ルビーの粉の山がいつしゆんまばゆい光を放つ。

 掌をゆっくりとどける。

 山だったものが、ダンゴ状になっていた。

 大成功。あとは待つだけである。

 きのうつわみたいにざらざらだった表面が、まるで溶けていくかのようにみるみるつやを帯びてゆき──

 やがて、その中に魔法陣を封じた、大人のこぶしほどの大きさのルビーができあがった。

「よーし、いっちょう上がり」

 あたしは同じようりようで、ほかの種類の宝石も次々と処理していく。

 こうすれば、〝魔法の品〟として、かなりの値でさばけるのである。

 そのままペンダントなどに組み込んでも簡単なとして充分に使えるし、武器や防具に組み込めばその性能を増すことができる。

 あたしのペンダントやバンダナ、こしにさしているショート・ソードなどにもこれと同じものが組み込まれている。

 オシャレでゴージャス、実用的。

 今、中流以上のご家庭で流行中。

 あなもお一つ、ジユエルズ・アミユレツト

 ……あああああっ! 思わず広告してしまった!!

 いや 、つい、生家が商売をやっていたもんで……

 

 がんばれリナ! アトラス・シティまであと九日!

 ──というわけで、翌日の昼である。

 ふたりは並んでかいどうを歩いていた。

 いい天気である。

 どこか近くを川が流れてでもいるのだろう。水のせせらぎが小さく聞こえる。

 風の優しいささやきに、木々の葉がはにかみながらこたえる。

 木もれが、白くかわいた街道の上に光をおとす──

 そんな午後だった。

 あたしは小さくつぶやいた。

「……おなかすいたなぁ……」

 これっ! 石を投げるんじゃあないっ!

 すいちゃったものはしかたがないじゃあないのっ!

 朝に出た宿しゆくまちから次の町まで歩いて約丸一日。

 その間、きゆうけいじよや料理屋のたぐいいつさい無いことにふたりが気付いたのは、昼を少し回ったころのこと。みちばたで、どこかの商隊が弁当をひろげているのを目にしたときだった。

「……それは言わない約束だぜ、おじようちゃん……」

 ガウリイが疲れ果てた様子で言う。こちらを振り向こうともしない。

 ──せめてその『お嬢ちゃん』っていうのだけは、やめてほしいんだけど……

「男には、我慢しなくちゃあならない時っていうのがあるんだ」

「あたし、男じゃないもん」

 即座に切り返す。

 ガウリイはいつしゆん言葉につまり、あたしの方を見た。

「──女でも。我慢するべきときには、我慢しなくちゃあならないんだぞ」

「じゃあ──あてもない旅のちゆうでおなかがすいたのって、『がまんするべき時』なわけ?」

 彼が足を止めた。

 しばしの沈黙。二人で見つめあう。

 水のせせらぎだけが聞こえている。

 

 結局お昼はお魚釣りをすることになった。

 

 川は、かいどうから少しはなれたところを道と並んで流れていた。──というより、この街道の方が、この川にそってつくられたもののようだった。

 水泳くらいはできそうな大きさの川で、水はきれいに澄んでいる。川岸は砂地の部分がけつこう多く、座って休むにはもってこいの場所である。

「おっさかっなさん♡おっさかっなさん♡」

 唄いながらそこいらに落ちている適当な木の枝を拾い、荷物のなかから小さな釣りばりを取り出す。自慢の長いくりいろかみを何本か引き抜き、束ねたものを何本かわえて長くする。両端を針と木の枝に結わえ──

「完成!」

 これで釣り道具一式のできあがりである。

「生活力あるなー、おまえ」

 ガウリイが横で、何やらしきりと感心している。

「はい、持ってて」

 釣り竿ざおセットを渡し、川辺に行く。水につかった手ごろな石をいくつかひっくりかえし、石の底にはりついているブキミな虫(名前は知らない)を、何匹かつかまえる。

 釣り針に引っ掛け、かわらす。

 さらさらさらさら

 ──うーん。

 シカケを引き上げ、もう一度、えいっ!

 さらさらさらさら……

 (中略)

 それでもなんとか、しばらくののちには、あたしは何匹かの魚を釣り上げていた。

 ガウリイがおこしておいたたき火で、その場で塩をふって焼いて食べる。

 うーん、べりーていすてぃ!

 はっきり言ってあたしは、そこいらへんのヘタな料理屋のメシよりもこっちのほうが好きなのだ。小さめの魚なら、頭から丸かじりである。

「……お前、よくやるねぇ丸かじりなんて……」

 信じられん、と言わんばかりの調ちようでガウリイが言う。彼は男のくせに、ちっちゃい女の子みたいに、ちまちまと白身の部分だけを食べている。

「なーんともったいない」

 あたしはなげいた。

「頭まで、とは言わないけれど、せめてくらいは食べなさいよ」

「げー、やだよ、オレ。はらわた食うなんて……」

つうじゃないわねぇ……ここが一番おいしいのよ」

 あたしは二匹目の魚に手をのばし、はらわたの部分にかぶりついて見せる。

「けど──はらわたってないぞうだろ……」

 げっそりした調子で言う。

「あたりまえでしょーが」

「……お前さんがさっきつかまえた虫が入ってるんだぜ……そこ……」


 ぶっ!!


 おもわず吹いてしまった。あ……あのなあ……

「そ……そりゃあそうだけどォ……」

「そーだろ」

「そーだけど……」

 なにも食べてるその時に言わなくてもいーじゃないかっ!

 ぶちぶちぶち。

 などと言いつつ思いつつ、二人は釣り上げた魚をあっさりと片付けた。

 食べた数は彼のほうが多い。念のため。

「うーん、もうちょっとほしいな……」

「そーねえ、もーちょっと釣ろうか」

 よっこらしょっ、と立ち上がり、たき火のそばを離れ、ほうり出してあった釣り竿ざおに手を伸ばし──

 その手がちゆうで止まった。

 はいを感じたのだ。

「──ゴブリンだよ──」

 何気ない様子で、ボソリとガウリイが言った。あたしにやっと聞こえるかどうか、といった小さな声である。

「さっきちらっと見えた。十匹程度だ」

 ははあん。

 あたしは釣り竿をとった。

 どうやらこのあたりはゴブリンたちのテリトリーらしい。それでこのあたりに料理屋とかきゆうけいじよなどが一つもないのだ。

 ゴブリン──この最もポピュラーな生き物を知らない人間はいないだろう。

 ゴブリンは、大人の胸のあたりまでしか背のない人間型生物である。夜行性でそこそこの知能をもち、性格はどちらかといえばきようぼう。──おくびようでもあるが。

 大きな都市からはなれた町や村では、夜中に、こいつにちくなどをやられることがよくある。

 追記──からかうと面白い。

 あたしは釣りばりを左手でちょいとつまみ、口のなかで小さく、入れ食いのじゆもん(仮名)をとなえてやる。あたしのオリジナルのほうだが、これを公開すると川から魚が一匹残らず姿を消す、ということもありうるので、これをだれかに教えるつもりはないし、あたしも普通は使わない。

 呪文を唱え終わったちょうどその時。

 ケーッ!

 みようたけびをあげながらゴブリンたちが茂みのなかからおどり出してきた。さびだらけの小さな剣や、ぼうの先に鉄片をつけたのと大差ないやりなどで、一応武装はしている。

 ゴブリンの追いはぎである。

『シーッ! 静かにっ!』

 すかさずあたしが、ゴブリン語で言う。

 ゴブリンたちの動きが、いつしゆんピタリと止まる。

 今だっ!

 その一瞬のすきを突き、(と、そんなたいそうなもんでもないのだが)すかさずかわに釣糸をらす。

 さらさらさら。

 沈黙。

『なんじゃ、この女は?』といったニュアンスありありの視線があたしにそそがれている。

 好奇心の強いゴブリンは、あたしが何をするつもりか見極めようとして、こうげきをしてこない。

 直後。

 ごたえがあった。

『おーしっ!』

 いきおいこんで釣り竿ざおを引き上げる。

『うっしゃ! 大物だぁ!』

 魚が宙に舞うタイミングを見計らい、竿に小さくホイップをかける。

 空中で魚の口からはりが外れ、ねらい違わずゴブリンたちの目の前に落ちる。言葉で言うのは簡単だが、実際にそれをやるのはなんわざである。感心するよーに。

『つかまえてっ!』

 ゴブリン語で叫ぶ。

「ギイッ!」

「ギャギャ、グギィッ!」

「ギュゲッ!」

 はい、ごくろーさん。

 ゴブリンたちがね回る魚をようやっとつかまえたときには、あたしは二匹目を釣り上げていた。

 魚は、当然といえば当然だが、面白いように次々と釣れた。

 十匹ばかり釣り上げたころには、ゴブリンたちがあたしのまわりにひとがきを作っていた。

 よーし、かかった。

『はい』

 あたしは釣り竿ざおを、手近にいた一匹のゴブリンに手渡した。

「ギ?」

『よく釣れるよ、ここ。やってみる?』

「ギイ……?」

 ゴブリンは首をかしげながらも釣り竿を受け取ると、かわに垂らす。

 すぐに引きがきた。

「ギッギィ」

 仲間うちで盛り上がっているのをしりに見て、あたしたち二人はその場を後にした。

 

「──しかしお前さん、おもしろい術を使うな」

 ガウリイが言った。

 その日の夜。ようやく次の宿しゆくまちにたどり着き、宿の一階にある、アルコールと安タバコのにおいがじゆうまんする食堂で夕食をとりながらのことである。

 ぱちくり。

 まばたきひとつ。

 左手に持った骨つきの鳥肉を一口かじる。

 料理の味は悪くない。

 もぐもぐもぐ……えーっと……

 ごくん。

 ぱちくり。まばたきをもうひとつ。

 右手に持ったカップを口に運び、レシスのジュースを一口。

 あ。

 ようやっと思い当る。

「──ああ、昼間の話ね」

 べ。

 ガウリイがテーブルにした。

 別に大ボケをかましているわけではない。ただ、昼間にガウリイの前でやったお魚釣りのほうなど、あたしにとっては術のうちにも入らない。

 ……ほんとだってば……

「簡単な魔法よ。それほど技術がるわけでもないし」

「へええぇ」

 ガウリイが感心したような声を上げる。

「じゃあお前さん、どうか何かか?」

 ずべべっ!

 こんどはあたしが盛大にした。

「あのなあ、にーちゃんっ!!」

 あたしはガウリイにくってかかった。

「一体いままで人を何もんだと思ってたのよっ! あたしのこのかっこうを見てわからないのっ!」

 ちなみにあたしの服装は、ガウリイに会ったときから、ズボンに長いブーツ。ゆったりとしたローブを太いかわのベルトでまとめ、薄革の手袋、ひたいにはバンダナ。大ガメの甲を薄くけずって作ったかたてからは、地に着かんばかりのマントが下がっている。

 これらすべての色は黒。それぞれに銀糸のい取りなどで、アクセントを兼ねたどう文字がほどこされている。すなわちこの服自体が一つのけつかいであり、でもあるのだ。

 銀製のブレスレットとネックレス。そしてこしいたショート・ソードには、あたし自身の造った宝石の護符がはめ込まれ、さん然たる輝きを放っている。

 このかっこうを見て、ウエイトレスだとか魚屋だとか思うやつがいたら死んでもいい。

「……そーいえばそれらしいかっこうをしてるな……いや、オレはてっきり、魚屋かウエイトレスかとばかり思ってたが……」


 ずばべしゃっ!


 あたしは景気よくスープ皿に顔を突っ込んだ。

 まだスープがかなり残っていたのに気づいたのは、そのいつしゆんあとだった。

「……うわーっ……じようだんだよ冗談。……しかしお前さん、ダイナミックなリアクションしてくれるなぁ……」

「……やりたくてやったわけじゃないけどね……」

 ハンカチで顔のポタージュをきながらあたしは言った。

「で、どれくらいの能力があるんだ? お前さん。フアイアー・ボールくらいは使えるのか? そのかつこうからすると、くろじゆつ系みたいだけど」

 魔道には、大別して三種類がある。白魔術と黒魔術、そして地水火風の四元素と精神世界を利用して行なうせいれい魔術。

 あたしが最も得意とするのは黒魔術。──といってもかいはしないでもらいたい。

 ひとことで黒魔術といっても、これまた二種類が存在する。

 人をのろうための魔術と、せいれい魔術に属さないこうげき用の魔術。あたしが得意とするのは後者のほうである。

 ちなみに今ガウリイの言った火炎球というのは、精霊魔術に属する。攻撃魔術イコール黒魔術、というイメージが世間一般では定着しているが、あれは大きなちがいである。

「へろへろと自分の手の内を明かすどうがいると思う?」

「いやー、お前さん、乗りやすそうなタイプだから……」

 ……あのなあ。

「ま、いいか。どうせすぐにお前さんのちかを見せてもらうことになるだろうし」

 ──なぜ?

 あたしがその問いを口に出すよりいつしゆん早く、とうとつに宿の入り口がり破られた。

「あの女だ!」

 声のほうに顔を向けたあたしは、声の主とばっちし目を合わせてしまった。

 ──あちゃーっ。

 あろうことか、まっすぐ伸びた男の右手人差し指は、まごうことなくこのあたしを指していた。

 がいとうする方向にいる人間はもう一人、いるにはいたが、残念ながらどう見てもガウリイを女に見立てることは不可能である。

 とーとつに乱入してきたのはトロルの群れ。そしてそれらをあやつっているのは一人のミイラ男──かといつしゆん思ったが、よく見ると体中をホータイでぐるぐる巻きにした、魔道士らしき男である。

「うーん、人ちがいですぅ♡」

 あたしはとっさに両のこぶしをくちもとまでもってくると、ぶりっこをしてみせる。

 ついでにめいまで使ってしまう。

「あたしソフィアって言いますぅ。きっとあなたたちの探している人とは……」

「やかましいっ! 名前など知るかっ! とにかくお前──ちょっとまえ、とうたからぐらをごっそり荒らしていったやつだ!」

 あらま。

「おいおいおい……」

 ガウリイがジト目であたしを見る。

「ま、それは後で説明するわ。今はとりあえずこいつらを……」

 あたしは言って、トロルたちとたいした。

 トロルは人間よりも二回り以上は大きく、それに比して力や体力もあり、なおかつ巨体のわりにそのうごきはびんしようである。

 しかしトロルの最大の特長は、そのケタ外れの再生能力にある。なまはんな刀傷など、眺めているうちに治ってしまう。

 通訳。倒すならいちげきで。

 とは言うものの、派手なこうげきじゆもんを使えば店のなかはメチャメチャになるし、無関係な人を何人も巻き添えにしてしまうだろう。

「よーし、わかったわ」

 あたしはイスをって立ち上がった。

「ケリをつけましょう。表に出なさい」

「いやだ」

「あいやあっ」

 あたしはあわてて別のテを考えた。

「あのときうばっていったものを全て返すなら、それでよしとしてやるが?」

じようだん言わないでよ。人のものをタダで持っていこうなんて、あつかましいにもほどがあるわよ、このぬすっとどうさん」

「お前だってぬす魔道士じゃないか」

 ガウリイが横から茶々をいれる。

「やかましーっ。あたしは悪人からしかんないからいいのよ」

 われながらわけのわからない理屈をこねてからりんせん体勢にはいる。

「やれいっ!」

 ミイラ男の合図で、トロルたちがいつせいに動いた。同時にあたしも。

 トロルの武器はそのするどつめわんりよく。あまりそーぞーしたくはないが、いくらあたしの服が簡単なになっているからといっても、あれをまともにくらったら内臓までズタズタにされてしまうだろうし、一発ぶんなぐられればあたしの首くらいはあっさりとへし折れてしまうだろう。

 しかし、負けるつもりはこれっぽっちもなかった。

 最初の一匹。

 やたら大振りをしてくるいちげきけ、右手をトロルのこしにあて、そこを支点にくるりと半回転してやりすごし、次の一匹にせまる。

 待ち構えているところにスライディングをかけ、またの間をくぐり抜けざま、トロルの足を引っつかむ。さすがに倒れこそしなかったものの、いつしゆんバランスをくずす。そのすきにあたしは体勢を立て直し、次の一匹を目指す。

 背後に殺気が走った。

 次のしゆんかん、別の一匹のつめがあたしのマントを後ろから深々とつらぬいていた。

 ──残念、マントだけである。

 ほんの少し早く、あたしはマントをショルダー・ガードごと外したのだ。

 リナちゃんえらいっ!

 勢い余って、マントにくるまれるようなかつこうでトロルがぶざまにゆかに倒れる。その頭をあたしは軽くいてやった。

 そして、次の目標に──

 しばらくののち。

 あたしはガウリイのところへもどってきた。

「よお、お帰り」

「ただいま」

 この男ときたら、れんな少女が一人でがんっているというのに、(あたしのことよっ!)なーんにもせずにただじーっと見ているだけなのだ。けしからん。

 トロルたちの数はまつたっていない。早い話が、まだ一匹も倒していないのだ。

「おのれ小娘、ちょこまかと……」

 だいぶじれてきたのだろう。ミイラ男がいらいらとした声を上げる。

「ガウリイ! トロルたちに傷をつけることができる?」

 あたしはするどく言った。

「傷をつける……って、お前……トロルの再生能力を知らんのか?」

「知ってるわよっ! いいから早くっ!」

「どんな小さな傷でもいいっていうのなら……」

「それでいいから!」

 言ううちにも、トロルたちはじわり、とその間合いをつめてくる。

「よし、わかった」

 ガウリイはポケットに突っ込んでいた右手を出す。小さな木の実がそのてのひらのなかにおさまっているのがチラリ、と見えた。リスなどが好んで食べる、あの固くて小さいやつである。

 そして次のしゆんかん、彼の手が動いた──ように見えた。

「ぎっ!」

「がうっ!」

 トロルたちが、あるいは腕を、あるいはわきばらを、またあるいはひたいを押えて小さくうめく。

 見事なつぶてだった。彼が指先ではじいた小さな木の実はトロルたちの固い皮膚を突き破り、筋肉の中までもぐり込んだ。

 人間が相手なら、これを何発か打ち込んで殺すこともできる。その程度のりよくは十分に持っている。

「面白いわざを使うな、小僧。しかしそんなものでトロルを倒せるなどと──」

 ミイラ男のたわごとはそこで中断された。

 さえぎったのは、トロルの上げた悲鳴だった。

 ガウリイのつぶてがつけた小さな傷が、みるみるうちに大きく拡がっていく。

「な……なんだっ、これはっ!……一体何をっ……」

 うろたえるミイラ男。ガウリイもただぼーぜんとその光景を眺めている。

 傷は際限なく四方に広がり続け、あるものはどうを両断され、またあるものは体を二つにち割られ、最後には半数以上がただの肉片と化していた。

 自分のやったこととは言え、おにも気持のよい光景とは言えない。

 うーん、夕食前でなくてよかった。

 残る相手はトロルが四匹とミイラ男。

 そのほとんどが、戦意をそうしつしている。

 今あたしがかけた、わけのわからない術に恐れをなしているのだ。

〝未知なるものへのきよう〟というやつである。

 しかし、タネを明かせばそれほど驚くほどのことでもない。

 先ほどトロルたちにれたときに、ある術を彼らにかけたのだ。まあ、白魔術にある『リカバリイ』の術を逆転させてかけたようなものだとでも思ってもらえればいい。

リカバリイ』の術は、その個体の持つ肉体的、れいてきな回復力を極限近くまで早めてやり、傷の回復をうながす、というものである。あたしのやったのはその逆、つまりだれでも持っている『傷を治そうとする力』の流れを逆転させてやったのだ。それも極限近くまで早めて、である。

 当然、トロルのように『再生能力が大きい』ということは、その力の流れが大きい、ということである。その力が逆流、ぞうふくされ、ほんの小さな傷をきっかけとして、みずからの肉体をかいするに至ったのである。

 ちなみにこれまたあたしのオリジナルの術である。ほとんどじやほうに近いので今まで実戦に使ったことはなかったが、今回、相手をビビらせるには十分だろうと思って使ったわけだけど……もう使わないように心掛けよう。術者がユメ見てうなされるような術は、決して使ってはいけないのだ。

 連中、あわてて逃げ出すかとも思ったが、ぼうやつが一匹いた。

 かんにも、あたしを目がけて突っ込んでくる。

 あたしはこしのショート・ソードを抜き放ち、口のなかでじゆもんえいしようをはじめながらトロルに向かって身をおどらせる。

 すばしっこさではあたしの方にがある。

 つめと刃が二、三度火花を散らし、いつしゆんトロルにすきができた。

「今っ!」

 あたしの剣が、深々とトロルのわきばらにめり込んだ。

 ニヤリ、とトロルが小さく笑う。

 ──かかった!──

 そういう笑みだった。

 これが奴のねらいだったのだ。

 技ではかなわないと見て取り、わざと隙を作って自分を刺させ、こちらの動きが止まったその一瞬を狙ってケリをつける──ケタ外れの再生能力があってはじめてできる、まさに捨て身の戦法である。

 奴が自分の勝利を確信したそのしゆんかん──

 あたしが勝負にをつけた。

いかずちよ!」

 モノヴオルトじゆもんはあたしの剣をばいかいにして、トロルの体の中でさくれつした。

 さすがにこれにはひとたまりもなかった。

 ビクン! と大きく体をふるわせ、叫び声すら上げるいとまもなくぜつめつする。

「──面白いテではあったけど、残念ながらあたしのほうが一枚上だったようね」

 ズ……ン

 重い音を立てて、トロルはゆかに倒れ伏す。

 残った連中にダメ押しをかける。

「さて……じゃあそろそろ本気でいくわよ……」

 パン! とてのひらを胸のまえで打ち合わせ、呪文をとなえながらゆっくりと左右に開いてゆく。

 まばゆい光の球がそこに現われた。青白く輝くそれは、拡げる両の手につれて、だんだんとその大きさを増していく。

「げっ! フアイアー・ボールっ!」

 ミイラ男が大きく目を開く。

退けっ! 退けぇっ!」

 ひつで叫ぶと、残ったトロルたちといっしょに、ころがるように逃げていった。

 ふう……

 あたしは両手に光の球をかかえたまま、大きくためいきをついた。

「『ふうっ』じゃないっ! おいっ、どーするんだよっ、そのフアイアー・ボール!」

 遠巻きにしながらガウリイが声をかけてくる。さすがに彼も、  こわさくらいは知っているらしい。

 フアイアー・ボールはわりとポピュラーな〝火〟のこうげきじゆつで、術者の生み出した光の球を投げつけると、着弾と同時にさくれつし、あたりに火炎をらす、いわば集団さつりく用の魔法である。使い手の技量によってもそのかいりよくは異なるが、人間相手にちよくげきさせれば、いつしゆんにしてレアくらいに焼きあげることができる。

「ふむ……」

 まじまじと手のなかのそれを見つめ、おもむろに宙にほうり上げる。

『『わーっ!』』

 全員が叫び、そして沈黙。

 ガウリイが、おそるおそる顔を上げる。

「ファイアー・ボールじゃないわよ」

 あたしはいたずらっぽくほほむと、てんじよう付近でフワフワと宙に浮いたまま、しらじらと光を放つ球を指さした。

「ただの〝ライテイング〟よ」

 

「……どーしてくれるんです、このありさまをっ!」

 じゅーぶんに予想していたことだが、宿のおやじさんはかんかんだった。

 うーん、無理もない。

 テーブルやイスはメチャメチャだわ、トロルの死体がゴロゴロころがってるわ、すさまじい血のにおいがとことん鼻をつくわ……

 さきほどフアイアー・ボールだと思わせるつもりで造ったライティング、あれはモロに失敗だった。

 それまではランプの薄暗い光で照らされていただけのトロルの、ずたずたのぐしゃぐしゃのぎっちょんぎっちょんになった死体──いや肉片が、いまだこうこうと光を放つ光球によってはっきりくっきりと照らし出されたのだ。

 いやー、とってもスプラッタ。グロいことこの上ない。肉屋のせがれか、馬車にひかれた動物の死体を見たことのある人かなら、このしよくの悪さの何分の一かでもそうぞうできるだろう。

 ──とまあそんなわけで、宿の中は、とてもじゃあないが『みんなでにこにこ楽しいお食事』といったふんではなくなってしまったのである。

 ついでに言うと、客の半数近くは耐えかねてほかの宿に移ってしまった。

 こーいったじようきようにあって、それでもなおかつニコニコしていられるのなら、宿の主人なんぞやめてせいじんか仙人にでもなったほうがいい。

 ──とはいっても、いつまでも小言を聞いている気はない。

 あたしはめいっぱい反省した顔をする。じゆつの次に得意な『ぶりっこ』である。

「確かに、ごめいわくをおかけしました。でも……」

 と、ここで顔を上げ、おやじさんの目を正面からじっと見つめる。後ろ手にこっそりとグローブを脱ぎ、少し鼻にかかった声で──

「ああしなければ、あたしたちがやられていたわ……」

 よぉぉっし!

 おもわく通りおやじさんは気勢をそがれ、困ったような顔をしている。

「──あの──」

 と、ふところから小さな宝石を三つばかり取り出す。ただし右手ににぎったまま、てのひらの中身は見せない。

「これはその──おわびのしるしなんですけど──」

 左手でおやじさんの右手をつかみ、そのてのひらに右手の中のものを押しつける。

 中身はまだ見せない。しかしその掌のかんしよくで、そこにあるのが何なのか、大体の察しはつくはずだ。

 この時、視線は決して相手から外さぬこと!

 じっと自分を見つめるれんな少女。掌を包む、しっとりとあたたかい(グローブを脱ぎたてだからなのだが)小さな両のてのひら。

 どんな気分になるかは、して知るべし。

 あたしは言葉を続けた。

「本当は、こういうものでおびをするっていうのは失礼だとは思うんですが、あたしにできることといったらこれくらいしかありませんし……」

 重ねたてのひらをゆっくりとどける。

 おやじさんは自分の手の上にちらり、と視線を走らせ、そこに自分が予想していた通りのものがあることを認め、掌をとじる。

「まあ……そこまで言われちゃあ、あまりきつくも言えんな……じゃあここは人をやとって片付けさせとくから、あんたはもうもどりな」

 らっきー!

 あたしはしおらしく何度も頭を下げながら、ガウリイといつしよに自室に戻った。

 ガウリイはおとがめなしである。しゆぼうしやはあくまであたし、ということになっているらしい。──違うとは言わないけど。

 宿でゴタゴタを起こした場合、時によっては『出ていけ』とか言われることもあるが、たいがいは今回と同じパターンでカタがつく。おそらく宝石を渡された時点で、『この客は金になる』とでも思うのだろう。ちなみに出ていけと言われた場合、あたしはあっさりと出ていく。そこでがんばって食い下がってもまつたく意味がないからである。

「──しかし、たいしたタマだな、お前さんも」

 べッドにこしかけたあたしの横に立ち、ガウリイが言う。あれをえんと見抜くとはなかなかするどい。

「──何のこと?」

 あたしはそらっとぼけた。

 …………

 え?

「ちょっと、ガウリイ、なんであなたがあたしのにいるのよっ!」

「後で事情を説明してくれる、って言ったろ?」

「そーだっけ?」

「そうだよ」

 ま、いいか。

 あたしも彼に聞きたいことがあったのだ。

「いいわ。説明してあげる。……けどその前に、こっちの質問に答えてもらうわよ」

「いいぜ。何だい? じようちゃん」

「……その『じょうちゃん』っていうのは……まあいいわ、座って」

 ガウリイは手近にあるこしかける。あたしとちょうど向かいあわせの位置だ。

「座ったぜ」

「それじゃあ聞くけど……」

 あたしはじーっと彼を見つめた。

「あなた、あたしのことどう思う?」

 ──こうちよくっ!

 うーむ、こりはおもひろい──とはいえ、このまま硬直させておくわけにもいかないだろう。

「──じょーだんよ、じょーだん」

 言うと、ガウリイは大きく息を吐いた。

「……悪いじようだんはよしてくれ。死ぬかと思った……」

「……どーいう意味よ……」

「いや、まあ……で、本当の質問っていうのは?……あ、断わっとくが、スリー・サイズは秘密だぜ」

 しよくの悪いジョークを飛ばす。

「ばか。──で、まじめに聞くけど、なんであなた、あいつらがあたしをねらっているってわかったの?」

「知らなかったさ、そんなこと」

 しゃあしゃあと言ってのける。

「言ったでしょ、あなた。やつらが宿に入ってくるまえに。〝すぐにお前さんの力を見せてもらうことになる〟ってね」

「あー、あれね」

 こともなげに言う。

さつが宿のまわりを取り囲んでたからさ。──となると宿の中のだれかがねらわれてるってことになる。モノりならもっと遅くなってから来るだろうしな」

「じゃあなんで、そのだれかがあたしだと思ったの?──まさかあなたやつらの──」

「──まあ聞けよ。狙われてるのが誰にしたって、必ずお前さんは首を突っ込む、と、そう踏んだんだよ。お前さんお人好しみたいだし、それに何より、ごたごたに首を突っ込むのが好きみたいだしな……」

 う。

 あたしは何も言えなかった。

 ぼしである。

 人がいいかどうかのはんだんは他人にまかせるとして、確かに彼の言うとおり、ごたごたに首を突っ込むのが好きなのである。あたしは。

 ──そう言えばの姉ちゃんにも、同じことを言われた覚えがある。

「──とまあ、そういうことだ。一応スジは通ってるはずだが?」

「……まあね……」

「じゃあ、ほかに質問は?」

「……ないわ……」

「なら、そろそろ説明してもらいましょうか。お前さんが何をして、なぜやつらに追われているのかを」

 ふう……

 あたしは息をついた。

「わーったわ、話すわよ……」

 これまでのいきさつをかいつまんで話す。

 とうにやられて困っている村の人々を見るに見かねて野盗退たいに出かけ、盗まれたものを取りもどしてやったとき、ついいつしよに、ほんの少しだけ手数料がわりに野盗たちのものをいただいていったこと。それをいまだに奴らがつけねらっているらしい、ということ。

 ──え?『退屈だし金もないから』っておそったんじゃなかったのか、って?

 ……しーっ。

 はここだけの話!

 うそも方便。何事にもえんしゆつきやくしよくは付き物である。

 あたしが一通り話し終えると、彼は大きくうなずいた。

「ふむ……最初の〝困った村人を助けるため〟ってところはとにかくとして、ことの成り行きは大体のみこめた」

 ぎく。

 かなりするどい。

「──ま、しかし、これであたしもなつとくいったわ」

 あわてて話題をすり替える。

「何がだ?」

 ガウリイがノってきた。のせたのではない。のってきてくれたのだ。おそらく。

「あたしがやつらのねぐらをおそったとき、顔は見られてないはずだったのよ。なのに奴らは、ちゃんとあたしを追いかけてきた。

 おかしいとは思ってたんだけど、案の定、どうがついていたってわけね」

「さっきのホータイ男か?」

「そう。どうやらいっちゃんはじめのあたしのしゆうでケガでもして、今日までリタイアしてた、ってところでしょうね。たぶん」

ほうで居場所を突き止められた訳か」

「そういうことね」

「ふぅん……何でもできるんだな、魔法って奴は」

「何でも、っていう訳じゃないわよ。魔法にだってできることとできないこととがあるわ。──例えば今回のことにしたって、あのミイラ男が、あたしがいただいた品物のどれか──あるいは全部に、目印となるような魔法をかけておいたのよ、たぶん。で、それをつてにしてあたしの存在をさぐり出したのよ。

 何の手掛かりもない相手を突き止める、なんてことはいくら腕のいいどうでも不可能よ」

「……そーいうもんですか……」

 よくわからん、といった顔でガウリイが言う。

「そーいうもんです。──さて、他に質問は?」

「ありません、先生」

「よろしい。ではこれで本日の──」

 講義はこれで終りです。

 あたしがそう言いかけたその時。

 だれかがドアをノックした。

 

 二人は同時に動いた。

 ドアの左右にはりついて、ノブにはガウリイが手をかける。

「誰?」

 あたしが声をかけた。

『──あんたと商売がしたい。あんたの持っているあるものを、そちらの言い値で引き取ろう』

 とびらの外にいる誰かさんが言った。

「──怪しいわね」

『当り前だ。言ってて自分でも、かなり怪しいと思うよ。普通ならこんなやつの中に入れたりはせんぞ』

 おいおい。

「じゃあご忠告に従って、部屋の中には入れないことにするわ」

『まあ待ってくれ。確かにおれは怪しいが、とりあえず今はお前に危害を加えるつもりはない』

 なんなんだ、そりは。

「部屋のなかに入ってきたたん、つもりが変わる、ってことはないでしょうね!?」

『心配するな……と言うほうが無理かもしれないが、そっちにはたのもしいボディー・ガードもついてるだろう』

 あたしたちは顔を見あわせた。

「言っときますけど……変なマネしようとしたら、ありったけのこうげきじゆもんたたっこむわよ」

「おいおい、部屋に入れるつもりか?」

 ガウリイがあわてる。

「大丈夫よ。たのもしいボディー・ガードがついてるからね」

 軽く言ってウインクひとつ。ドアのそばを離れ、部屋の奥のほうに行く。

「今ドアを開けるわ。静かに入ってきなさい。──いいわガウリイ、ドアを開けて」

 いつしゆんためらった後、彼はゆっくりととびらを開けた。

 そこに、やつがいた。

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