第四章 雑談

第12話 雑談・前


 カオルを置いて、マサヒデとシズクは先に帰って来た。

 居間に入ると、ぱたた、とクレールの手から雀が雨の庭に飛んで消える。


「あ! おかえりなさいませ!」


 慌ててクレールが頭を下げる。

 マサヒデは満足そうに頷いて、


「只今戻りました。集中していましたね」


「いえ、気付かなくて申し訳ありませんでした」


「構いませんよ」


 シズクを風の魔術で飛ばせなかった事で、クレールは自身の未熟さを身に沁みて、しばらく集中力の鍛錬を続けると言う。楽しみにしていた本もお預けに、と息巻いていたが、この訓練はそんなに続くものではない。


「クレールさんも、お休み下さい。

 しばらくしたら、イマイさんが来るでしょうし」


「まだ大丈夫ですよ!」


「この雀の鍛錬であまり根を詰め過ぎるのは、良くないと思います。

 身体を動かすよりも、疲労が溜まるものですから」


「ううん・・・」


 どすん、とシズクが座って、


「クレール様、その方が良いよ。

 今日、明日くらいは出来るかもしれないけど、長く続かなくなっちゃうから」


「そうですか・・・うん、分かりました。

 あの、そういえばカオルさんは?」


 む、とマサヒデは一瞬考え、


「ああ、少しだけ残って、皆さんに稽古をつけてまして。

 カオルさん、男性にも女性にも人気ありますからね。

 私達が食べ終わった時に、ちょうど食堂に来ましたから、すぐ戻りますよ」


「え? 女性にもですか? ううん、そうでしたか」


「ふふ、あの姿、格好良いですからね」


「マサヒデ様、私も格好良くなりたいです!」


 さら、と執務室の襖が開いて、マツが出てくる。


「お帰りなさいませ」


 と、居間の前で頭を下げて、カオルが帰って来ていないのを見て、そのまま台所へ入って行った。茶を用意してくれるのだろう。


「只今戻りました」「ただいま!」


 台所へ下がって行くマツに、マサヒデとシズクが声を掛ける。

 少しして、すぐにマツが急須と湯呑を載せた盆を運んで来た。

 湯呑を並べながら、


「カオルさんはどうされました?」


「少し居残りで、皆さんと稽古をしています。もう戻りますよ」


「あら、そうでしたか」


 皆の前に並べられた湯呑に、マツが茶を注いでいく。


「そうそう。イマイさんは、まだ来てませんよね?」


「イマイ様? おいでなさるのですか?」


「ええ。カオルさんが刀をお貸ししていましたので、今日持って来ます」


 マツはちょっと気不味い顔をして、


「あの、先日は、思わず頭に血が上ってしまいまして」


「大丈夫ですよ」


「・・・」


 マツは黙って、小さく俯いてしまった。

 今まで町に出れば、皆が目を逸らす生活だった。

 恐れられ、話しかけてくれる者は片手で数えられる程度。

 マサヒデは俯いたマツを見て、


「ふふ、マツさんが何を心配しているかは分かります。大丈夫ですよ。

 イマイさん、刀を見る目もありますが、人を見る目もあります。

 先日は驚きすぎて、マツさんに悪い事をしてしまった、と」


 え、とマツは顔を上げ、


「悪い事とは」


「本気で逃げようとする姿を見せてしまった。

 確かに驚きはしたけど、女性に対してあれは流石に失礼だったかなあ、なんて」


「そうなのですか?」


「最初は、普通に喋ってたじゃないですか」


「そうですけど」


「ふふふ。また重要文化財なんて持ってきたら、お小言ぐらい大丈夫ですよ」


 イマイは恐れて眠れなかった、などと言っていたが、マサヒデはちゃんと平気だと説明しておいた。噂も誤解だと話しておいた。


 このくらいの嘘は良いだろう。

 最初は固いかもしれないが、すぐにいつもの態度になるはずだ。


「あの、私を恐れてしまっては」


「ははは! 平気ですって。

 あれだけ怒りましたから、最初は固いかもしれませんけどね。

 サン落雁でも出せば、また子供みたいに飛び上がって喜びますよ」


「そう・・・でしょうか」


「そうですよ。いつ来ても良いように、落雁を準備しておいて下さい。

 あれには大層喜んでおられましたから、お土産の分もお願いします」


「分かりました」


 マツはまだ不安そうな顔で、台所へ下がって行った。

 クレールがそそそ、とマサヒデに膝を寄せて、口に手を当て、


(あれは怖かったですもんねー)


 ぷ、とマサヒデとシズクは小さく吹き出して、


「イマイさんは平気ですよ」


(土下座してましたよ)


「大丈夫です。イマイさんは刀の事しか頭にないんですから。

 あ、これ、悪口じゃないですからね」


 クレールは近付けた顔を戻したが、マサヒデは笑って、


「ふふふ。イマイさん、クレールさんがレイシクランだって気付いてなくて、驚いてましたよ。大貴族にあんなに普通に接してて大丈夫だったのかって」


「ええー? 見た目で分かってたと思ったんですけど・・・

 のたれとか説明してくれたり、魔術をかけるの説明してくれたり、普通に話し掛けてくれたから、嬉しかったんですよ」


「刀しか頭にない人ですからね」


「あの、マツ様は平気でも、私にびっくりしちゃわないでしょうか?」


「平気ですよ。貴方は私の妻なんですから」


「それ、妻だからって関係あるんですか?」


「ありますとも。貴方はもうレイシクランじゃなくて、トミヤスなんですから」


「まあ、それはそうですけど」


「最初はおっかなびっくりかもしれませんけど、すぐに戻ります。

 先日だって、普通に喋ってて、平気だったんですから」


「むうん・・・」


「クレールさんも、そう心配しないで下さい」


 シズクがにやにや笑いながら、


「クレール様、こういう時、変に気を利かせたりすると、逆効果だよ。

 気を付けなよー?」


「え、え? ええと、じゃあ、普通に、普通に?」


「ははは! シズクさん、そんな事を言ったら、逆に固くなっちゃいますよ!」


「あははは!」


 戸惑うクレールを見て、シズクが笑う。


「む、む、気を付けます。所謂、自然体ですね」


「如何にもその通りです。

 普通に、普通に、なんて気張ってはいけません。

 そういうのは、顔や態度に出なくても伝わります。

 逆に相手が固まってしまいますから、先日と同じで良いんですよ」


「分かりました!」


 マサヒデとシズクがくすくす笑っていると、玄関が開いた。


「只今戻りました」


 丸めた長羽織を脇に抱えて、カオルが上がってきた。

 あれだけ泣いていたのに、泣き腫らした後が全くない。

 化粧などで隠しているのだろうが、目も赤くない。

 一瞬の変装で目の色まで変えてしまうのだから、この程度は簡単なのだろう。


「お帰りなさい」「お帰りなさい!」「や、お帰り!」


「お待たせ致しました。まずは、これを置いてきますので」


 と、抱えた長羽織をくい、と軽く上げる。

 雨で裾が濡れてしまったのだろう。


「マツさんが台所に居ますから、置いたら手伝ってもらえますか」


「は」


 カオルは頭を下げて、奥に入って行き、すぐに台所に下がって行った。

 シズクは下がっていくカオルを見て、


「大丈夫そうだね」


 マサヒデも頷いた。

 クレールは2人を見て、


「何が大丈夫なんですか?」


 と尋ねてきたが、誤魔化す。


「ああ、居残りで随分張り切っていましたからね。

 疲れていないかと」


「ま、あそこの冒険者相手に、カオルが疲れるなんてないよね」


 シズクも合せて、ひらひら手を振る。


「ふうん」


 クレールは少し眉を寄せて、


「じゃあ、次は私も含めて、魔術師組と稽古してもらいましょうか」


「魔術師組と?」


「マサヒデ様の稽古に参加される方は、魔術を使わない方が多いですから。

 魔術師相手ではどうでしょうかね」


 お、とマサヒデは顔を天井に向けて、


「む・・・クレールさん、それは良い案ですね。

 確かに、私の稽古では魔術を使う方はほとんどいません。

 魔術を使える方も多いはずですが、単純に剣術の稽古だけに来ています。

 うむ、それは良い案です。実戦では、当然魔術を交えた戦いをするはず」


「弓もほとんどいないよね。

 マサちゃんが「ぱし!」って矢掴んじゃうんだもん。

 みーんなびびっちゃって、すぐに弓は持ってこなくなっちゃうね」


「ううむ・・・いけませんかね」


「別に良いと思うよ。

 それでも弓で上達したいって奴は、ちゃんと弓持ってくるでしょ。

 弓以外が苦手だって、自分の不得意を練習するのも良い稽古だと思うけどな」


「うむ・・・」


 マサヒデは腕を組んで考え込んだ。


「冒険者は複数で仕事をするのが常ですよね。

 それぞれが、得意な所を活かせるように立ち回ります。

 では、不得意な所を伸ばすより、得意な所を延ばした方が良いのでは」


「そんな稽古の内容まで細かく考えなくて良いじゃん。

 大体、来たい人は来てね、剣を教えますからって感じだもん。

 今まで通りで良いと思うな」


「そうですかね」


「マサちゃんは、あのギルド専属の師範じゃないんだから」


「む、確かに」


「でも、魔術師さん達との稽古は、私も興味あるなあ。

 よく来てる人にも、魔術使える人はいるでしょ。

 剣とか槍だけじゃなくて、いつも通りに魔術も混ぜてってのも良くない?」


「良いですね」


「では、私も!」


 ぱ! とクレールが手を挙げたが、


「クレールさんは、しばらく雀で集中力を鍛えるって言ってたじゃないですか」


「もうやめちゃうの?」


 マサヒデとシズクの視線が刺さって、クレールは俯いてしまった。


「いえ・・・あの、魔術も使って戦うと聞いて思わず」


「まあ、以前に特別師範役で来てましたからね。

 もう魔術を飛ばせないって欠点も克服出来ました。

 雀の鍛錬の息抜きに、たまには稽古に来るのも良いかもしれません」


「では、行く時は、よく一緒に訓練している魔術師組の方々を誘って行きます」


「楽しみですね」


「ふふーん。これで魔術師組までマサちゃんの弟子になっちゃうね」


「弟子だなんて、とんでもない」


 シズクはにやにやしながら、


「またまたー。嬉しいくせーにっ! と」


 と、ぐいっと立ち上がって、


「私も台所行ってくるよ」


「お手伝いですか?」


 クレールも立ち上がろうとしたが、シズクは手を振って、


「違う違う。私なんか台所に立ったら邪魔じゃん。

 地下室の本、持ってくるんだよ。

 イマイさんが来るまで、読書」


「では私もそうします。まだ読みかけの本が」


 クレールも立ち上がって、部屋に戻って分厚い本を持ってきた。

 シズクもすぐに戻って来て、寝転がって本を読み出した。

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