勇者祭 18 雨

牧野三河

第一章 雨の朝

第1話 朝餉前


 翌早朝。


 マサヒデは縁側に座って、庭を見ている。


「どうぞ」


 カオルが、す、と湯呑を差し出して、茶を注ぐ。


「どうも」


 ず、と口をつけて少しだけ口を濡らし、


「ふう、どうしますかね」


 カオルも顔を上げて、庭を眺め、


「おやめになった方が」


「洞窟の中なら濡れませんが」


 朝から、さー、と雨が降っている。

 ちゃぱちゃぱと音を立て、雨樋から水が流れている。


「ご主人様、山に出来たばかりの穴ですよ。

 地滑りなど起こしたら、どうなさるのです」


 ふ、とマサヒデは息を吐き、


「そうですよね」


 それきり、しばらく2人は無言で雨の庭を眺めた。


「この雨、どのくらい続きますかね?

 カオルさんて、そういうの分かりますか?」


 カオルはちょっと身を乗り出して空を見上げ、すい、すい、と首を回し、


「2日・・・長くて3日と見ました」


「長くて3日、ですか。

 晴れたらすぐ、というわけにはいきませんよね」


「はい。少なくとも、明日までは続くでしょう。

 地面にしっかりと雨水が染み込み、洞窟の中は危険かと。

 止んでから数日待ち、山が乾いてからの方が良いかと存じます」


「ふう」


 マサヒデも空を見上げ、腕を組む。


 昨晩、洞窟の奥の穴の謎の現象の話をした時、マツは身を乗り出して、目を輝かせた。まるで子供のように「次は行きます!」と息巻いていたが・・・


「ま、天気は仕方ないって。待つしかないね」


 後ろで転がったシズクがひらひらと手を振る。


「ね、マサちゃん。どうせ休みなんだから、研ぎでも見に行ってみたら。

 綺麗には研がないんでしょ? そろそろ出来てるんじゃないの?」


 マサヒデは首を回して、


「どうですかね? 出来たら、イマイさんが持ってくると思いますが」


「寝刃研ぎであれば、研ぎはもう仕上がっているでしょう。

 おそらく鞘待ちかと思います。

 ご主人様、鞘の方が、時間が掛かるものですよ」


「ほう? そうなんですか?」


「特に塗りですね。簡単な、目立たない黒塗りの鞘と言っても、何十回も塗っては乾かし、塗っては乾かしの繰り返しです。練習用の適当な物であればともかく、実戦で使う為のまともな鞘であれば、何ヶ月も掛かるのが普通です」


「ええ? そんなに掛かるんですか?」


「そうですとも。あの青貝の鞘を割って、中を掃除して修繕した方が早いかと」


「む・・・ううむ」


「見事な拵えだったではありませんか。

 売ってしまうのは、少々勿体ないかと」


「しかし、あれは目立って仕方がありませんよ。

 ここに名刀がありますって宣伝しているようなものです」


「あはは! 今更、何言ってるんだか。

 マサちゃん、もう世界中に名も顔も売れちゃってるじゃん。

 歩いてるだけで、宣伝してるようなもんじゃない」


「イマイさんも、作り直した方が良いって言ってましたよ」


「確かに、その方が良いとは私も思います。

 ですが、あと数ヶ月もここに滞在なさるおつもりで?

 さすがに、魔王様も待ちくたびれてしまいますよ」


「ううむ、それは確かに・・・

 いや、魔王様にとって、数ヶ月など、我々の数日程度の感覚らしいですが」


「ご主人様。それは遅くなっても良い、という理由にはなりません」


「だね。待ち合わせの約束に、2日も3日も遅れて着いたって、誰もいないよ」


 ぴしりと2人に叩かれた所で、さら、と奥の襖が開いた。

 皆が廊下に目を向けると、マツが起きてきた。


「皆様、おはようございます」


「おはようございます」

「おはようございます、奥方様」

「おはよ!」


 3人が挨拶を返すと、マツも縁側に来て、マサヒデの隣に座った。

 す、とカオルが湯呑を差し出す。


「ありがとうございます」


 マツは雨の庭を見て、溜め息をついた。


「ふう・・・雨ですね」


「ええ」


「このお天気では、やはり今日は行けませんか?」


「ええ」


 マツが湯呑を取って、雲を見上げて、ふう、と細く息をついた。


「残念です。早く見たかったのですが」


「まあ、天気には逆らえませんね」


 マサヒデも雨の空を見上げる。

 カオルも並んで茶を飲みながら、


「時に奥方様。あのおかしな穴の現象は、どういった魔術なのでしょうか」


「普通の魔力溜まりですよ」


「普通の、ですか? 誰も心当たりのない魔術だと仰っておられましたが」


 マツは柔らかな笑みを浮かべ、


「うふふ。カオルさん、魔術には、独自の物があるでしょう?

 私であれば、物を直したり、砂にしたり、閉じ込めたり。

 ラディさんも、とんでもない治癒魔術をお使いに」


「あ・・・という事は、独自の魔術に近いものだと?」


「ううん、ちょっと違います。

 知られている魔術の基本にはない、というだけですね。

 同じ術を使う方も、どこかにおられるかもしれません。

 見つかっていないだけで、同じ魔力溜まりがいくつもあるかもしれませんよ」


「なるほど」


「元々、魔術は今のように分かり易い物ではなかったのです。

 一部だけを火や水ように分かりやすく分類してまとめたのが、今の魔術です」


 マサヒデが少し驚いて、


「え? 一部だけ、ですか?」


「マサヒデ様、試合の前の稽古でお話ししましたね。

 魔術は、基本が出来てしまえば、殆どは数や大小、動かし方の違いだけと。

 これ、簡単すぎると思いませんか?」


「む、確かに」


「私は、今回のように広く知られていない魔術は、とても興味深くて・・・

 良い術であれば、世に広めたいと考えてはおりますが」


 そこで、ちょっとマツが顔を曇らせた。


「砂にしたり、閉じ込めたりするような、特別に危険な術を広めるつもりはありませんけれど・・・安全な・・・例えば物を直す術なんかも、広めるのは難しくて」


「え? 何故です」


「壊れた物をいくらでも直せてしまうなら、職人さん達の仕事が大きく減ってしまうではありませんか」


「ああ、確かに・・・ううむ、難しいんですね」


「そういう訳で、魔術師協会からは許可が出なくて。

 これも、正式な魔術としては、世には残らないでしょう。

 魔術師協会の、許された一部だけが使える術として残れば良い所です」


 カオルも眉を曇らせ、


「既存の魔術でも、十分に危険ですし・・・」


「そういう事ですね」


 あ、と、カオルがぽん、と手を叩き、


「おお、そうです。ご主人様、あの鞘、割って中を掃除しましょう!

 それから奥方様に直して頂ければ、すぐではありませんか!

 柄巻だけで終わりますよ!」


「ええ? まあ、そうですけど・・・」


 マサヒデが言い淀む。


「ご主人様、そんなにあの鞘が気に入りませんか?」


「ええ。はっきり言って、嫌です」


「あはは! はっきり言って嫌、ときたね!」


 シズクが笑う。

 マツが不思議そうな顔で、


「何の鞘です?」


「ああ、そうか。ラディさんの所へ持って行って、そのままイマイさんの所に行ったから、マツさんは見てないんでしたね。コウアンの鞘ですよ」


「あら。そんなに変な鞘なんですか?」


「いえいえ! 奥方様、それは素晴らしく美しい出来でして。

 金貨数百枚、いや、それ以上の価値はあろうという業物です」


「そうなんですか?」


 カオルがうっとりした顔で、


「それはもう・・・黒い地に、青貝が散りばめられておりまして、青みがあり。

 これがまた、陽の光できらきらと輝きまして」


「あら! そんなに綺麗なんですか?」


「あの美しい青みが出るには、それはもう何十年、いや、100年以上はかかるのです。奥方様、ご主人様は、それを気に入らないと仰るのですよ」


 マサヒデは首を振って、


「勘違いしないで下さい。綺麗すぎるんですよ。

 飾っておくなら良いのですが、差すには派手すぎるんです。

 あんなの差してたら、まるで傾奇者じゃないですか」


「ならば、売らずとも飾れば良いではありませんか。

 青貝の鞘と言えば、上級貴族や王族の帯刀でしか、お目にかかれない物です。

 ご主人様。あの鞘は、手に入れたくても手に入るような物ではないのですよ」


「まあ、それはそうですけど・・・あれを腰に差すのはちょっと」


 マツがうきうきしながら、


「マサヒデ様、私、その鞘見てみたいです」


「ううむ、そうですか? じゃあ、今日はイマイさんの所に行きますか。

 あの鞘、取りに行ってきますよ。

 折角ですから、そこに飾っておきましょうか」


「楽しみにしております」


「ご主人様、私も付いて行ってよろしいでしょうか?

 イマイ様のお仕事ぶり、一度拝見したく思います」


「構いませんよ。見学自由、いつでもどうぞって言ってましたし」


「ありがとうございます! では、朝餉としましょう!」


 カオルはうきうきしながら、台所に入って行った。

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