第20話 伝授・2
おかわりの椀を受け取ったカゲミツは、箸をマサヒデに向け、
「マサヒデ、この振り方は、とっくの昔に見つけた人がいる。
だが、失伝しちまった流派の振りだ。これは稽古でも言ったな」
「はい」
「俺は、若い頃に旅してて、偶然この振りを見つけた人の子孫に会ってな。
伝書が残ってたから、そこから何とか身に付けることが出来たのよ」
「何と言うお方でしょう?」
「お前が良く知っている剣客だ。サマノスケ=ショウリンだ」
「ええっ!?」
声を上げ、マサヒデとカオルが驚いた。
大声に驚いて、マツとクレールがマサヒデ達を見つめる。
しばらくして、固まったマサヒデの手から、から、と箸が落ちた。
「まさか、まさか、あのサマノスケ=ショウリンですか!?」
「そうだ。失伝しちまったから、御前試合で庇まで飛び跳ねたとか、刀の上に乗ったとか、派手な話しか残っていねえが、これが、サマノスケ=ショウリンの流派の、無願想流の基本の振りなんだ」
「基本!? これは、基本だったのですか!?」
マサヒデもカオルもまた驚いて声を上げた。
「そう、基本だ。軽捷神業の如く、なんて言われてるのは、この振りがあるからだ。普通のどっしり腰を据えて振る、とは全く違う。指先からなんて全く逆。手振りだ、悪い、と普通は言われる。だが、ちゃんと芯を作れて、振り回されず、身体がしっかり着いていけば、ちゃんと重さが乗って斬れるんだ。跳んでも崩れないぞ」
「ううむ・・・」
「だがな、頭で分かっても身体が出来るかどうかは別だ。
今までの振りとは、全く別の身体の使い方なんだ。
芯に合せて振るんじゃなくて、振りに合わせて勝手に芯が出来る。分かるか?
お前の身に染み付いた振り方を、全部壊して最初から組み直しになるんだ」
「全部、組み直し・・・ですか」
「そうだ。サマノスケも、この振り方に気付いた後は、そりゃあ苦しんだはずだ。修行の旅に何年も歩き、大変な思いをして身に付けた振り方を、基礎から全部ぶち壊して組み直したんだぞ。俺だって、伝書があったから何とか分かったんだ」
そうだ。カオルの振り方を考えていた時だ。
素人ならすぐ分かった、とマサヒデも気付いた。同じようなことだろう。
しかし、しっかりと振りが身体に染み付いている者には、非常に難しいはずだ。
ううむ、とマサヒデは腕を組んで唸った。
「もし出来れば、お前もサマノスケになれる。軽捷神業の如く、にな。
稽古の時みたいに、飛んだり跳ねたりも自由自在。
米の字に囚われず、どんな筋からも振れる。この基本が恐ろしい流派なんだ」
カオルが喉を鳴らす。
「どんな筋からでも・・・恐ろしいですね」
こく、とカゲミツが頷いて、
「そうだ。しかも、芯の位置が変われば、全く同じ筋の振りでも大きく変わる。
相手からしたら、やりづらくてしょうがねえ。分かるよな」
「はい」
「良いか。一度振れれば、すぐ身体で理解出来る。振れば自在に芯が作られる。
既にお前は、無願想流の奥義、足譚を身に着けている。あれは奥義なんだぞ。
なら、基本なんて楽なはずだ。せっかく見つけたんだ。やってみせろ」
「はい!」
真剣になっていたカゲミツの顔が、にやっと笑った。
「無願想流。名前の通り、願わず、想わず、だ。
余計な事を考えず、自然に刀の進む方に着いて行け。
そうやって無心で振ってれば、お前なら自然と出来るはずだ」
「はい!」
「ふふふ、さすがに俺も驚いちまった。一本取られたぜ。
まさか、この馬鹿息子が無願想流を自分で思い付くとはな。
わははは! お前、トミヤス流を失伝させないようにしろよな!」
「お父上、マサヒデ様は、そんなにすごいものを見つけたのですか?」
マサヒデもカオルもすごく驚いているが、マツには良く分からない。
にっこり笑って、カゲミツがマツに顔を向ける。
「おうよ。なんたって、400年だか500年前の、そりゃあすげえ剣豪と同じ技術を思い付いちまったんだ。今は失われた技術なんだよ。さすが俺の息子だろ?」
「4、500年前ですか・・・
ううん、私も剣を習っていたら、その方に会えていたかもしれませんね。
剣術には興味がなかったものですから・・・申し訳ございません」
「そんな、謝る事じゃねよ。おお、そういや面白い話があるぞ」
にやにやとカゲミツが笑い出した。
「な、マツさんもクレールさんも聞いてくれよ。
サマノスケ=ショウリンってお方はよ、やたらと女に人気があったらしいぜ。
道場にも、王族から町人まで、そりゃあ色んな女が多く通ってたって話だ」
「へえ、意外ですね。剣豪って聞くと、何か怖い感じですけど・・・」
「マサヒデ様も、たまに怖い感じしますもんね!」
「え? 私、怖いんですか?」
「ははは! モテたって訳じゃねえのに、なぜかいつも女が周りにいたんだそうだ。
な、気を付けてくれよ? こいつも、やたらと女を呼ぶようになるかもしれねえ。
その上、俺の息子だしなあ。モテちまうぞー。妻がどんどん増えちまうぞー」
「む! マサヒデ様!」
きり、とマツとクレールの目がマサヒデに向いた。
マサヒデは慌てて、
「ええ!? ち、父上、誤解を生むような話はおやめ下さい!」
「何言ってやがる。既にこの家だって、女しかいねえじゃねえか」
ぐるりと見れば、マツにクレールにカオル。
今は代稽古に行って不在だが、シズクもいる。
男はマサヒデ1人だけ・・・
「それに美人揃いときた。な、この調子で道場でも開いてみろよ。
女だらけの道場になっちまうぜ。ま、それも悪くはねえけどな! ははは!
そうなったら、後世になんて名が残るかな?
トミヤス流の2代目は、女泣かせのマサヒデ様かな? ぷ! くくくっ!
出掛ける時は、ぞろぞろと女の門弟ばっかり連れたりしてよ! わはははは!」
「父上! そんな名の残り方は嫌ですよ!」
くす、とマツが笑い、
「でも、マサヒデ様は、私もクレールさんも、カオルさんも泣かせてますよね?
シズクさんには救世主だなんて言われて、崇められるような事まで」
「ねー! マサヒデ様は女泣かせですよね!」
クレールもにやにやと笑う。
「ほおれ見ろ! やっぱりお前は女泣かせのマサヒデ様よ!
帰ったらアキにも話しといてやるから。お前は家中の女を泣かせてるって」
「父上、やめて下さい! 母上が誤解されたらどうなさるのです!」
「誤解? なあ、誤解か? 事実なんだろ?」
にやにやしながら、カゲミツが皆の方に顔を向ける。
「事実です」
「本当です!」
「間違いございません」
ばしばしと膝を叩いて、カゲミツが笑い声を上げる。
「ははははは! ほれ見ろ! やっぱり事実じゃねえか!
アキにはちゃんと話しといてやるから! お前は女に甲斐性があるって!
な、また妻が増えるかもって先に話しといてやるから、好きなだけ増やせよ」
「父上! 皆さんもやめて下さい! そんな事はしていません!」
「お前、そろそろ自分を認めろよ。モテるのは悪い事じゃねえんだからよ!
孫をどんどん増やして、俺達を喜ばせてくれよ! な! ははははは!」
ばんばん、とカゲミツがマサヒデの肩を叩く。
「ははは! 俺の息子なんだから、モテたって仕方がねえって!」
「く・・・」
「ふふふ。まあそんな顔するなよ。からかいすぎたって。
もうひとつ、面白い話をしてやろう。
無願想流と、ウチのトミヤス流には、同じ所がひとつある」
「同じ所? 父上、どこでしょうか?」
「世襲じゃなくて、一番強い奴が引き継ぐって所だ。
サマノスケも家督は息子に譲ったが、流派は門弟の1人が引き継いだんだ。
アルマダにも、ちゃんと教えを授けてやった。精進しねえと、すぐ抜かれるぞ。
俺の代でトミヤス流をトミヤスが引き継げない、なんて事になるなよ」
「はい」
「あ、あの・・・カゲミツ様」
おずおずと、カオルが手を挙げた。
「ん? どうしたカオルさん」
「私にも、何か、その・・・教えを授けて・・・」
「あーっははははー!」
カオルを指差して、カゲミツがげらげらと笑い出した。
「し、忍に授けられる教えなんてねえって! 俺、忍じゃねえもんよ!」
「あの、もちろん剣術の所でです!」
「うくくく。じゃあ、マサヒデと一緒に、無願想流でも練習してみたらどうだい?
あんたの方が、絶対に早く分かると思うぜ?
分かったら、マサヒデの内弟子から師匠になれるぞ。悪くねえだろ」
「はっ! 内弟子から、師に!?」
ご主人様に手ずから・・・
もやもやと煩悩が浮かび上がってくる。
にやにや。
「ぷっ! あははは! 見ろよ、あのにやけ顔! 煩悩の固まりじゃねえかよ!」
き! とマツとクレールの視線がカオルに向けられた。
「はっ!」
ぎくりとして、顔を能面のように戻したが、
「カオルさんよ、無願想流は、願わず、想わず、だぜ!
そんな煩悩の固まりじゃあ、とてもだな! あはははは!
あ! 今、教え思い付いたぞ! あんた忍だろ?
そんなに分かりやすく、本音が顔に出ちゃ駄目! どうこの教え! ははは!」
「は・・・」
カオルは恥ずかしくなり、顔を赤くして俯いてしまった。
ひしひしとマツとクレールの視線が突き刺さり、余計に顔が赤くなる。
「くくく、ここは面白えなあ! マサヒデ、お前中々良い家族が出来たじゃねえか。
じゃあ、俺そろそろ行くわ。遅くなっちまうからな」
ぐいっと茶を一気に飲んで、カゲミツは立ち上がった。
「では・・・」
皆が見送りに立ち上がろうとしたが、
「いいよ、見送りなんて。目立って仕方ねえ。
そうだ、マサヒデよ。最後に一言だけ言っておこう」
「は」
「絶~~~っ対に! お前の黒嵐より良い馬を見つけてやるぜ! じゃあな!」
と言って、さっさとカゲミツは出て行ってしまった。
とん、玄関が閉められると、急に、家全体が静かになった。
皆の心に、一抹の寂しさが残る。
全員の目が、カゲミツが出て行った廊下の方を向いていた。
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