第15話 剣聖、シュウサン道場に立つ
道場に入ると、門弟が1人、素振りをしていた。
「よう! 頑張ってるな!」
「は・・・? お客人ですか?」
ばたばたとジロウが駆け入ってくる。
「馬鹿者! 頭を下げろ! この方はカゲミツ=トミヤス様だ!」
「え!?」
驚いて門弟が土下座で頭を下げた。
「し、失礼致しました!」
「良いって良いって! 勝手に入っちゃって悪かったな!
あんた、腰が浮いてるぞ。下半身な、もっとこう、ぐっと地に突き刺す感じで」
「は!」
「コメタロウ、これからカゲミツ様が、私に稽古をつけて下さる。
座って、良く見ていなさい」
「は!」
門弟が壁に下がり、びっと背筋を伸ばして正座した。
カゲミツは、うんうん、と頷いて、竹刀を取る。
「さあ、やろうぜ!」
「は! よろしくお願いします!」
ジロウも竹刀を取った。
「じゃあ・・・ううむ、まずは三手な。三手譲るから、思い切り来て見せてくれ!
譲るのは馬鹿にしてる訳じゃねえぞ。あんたの剣が見たいからだ」
「はい!」
ぴし、とジロウが綺麗に正眼に構える。
す、とカゲミツも正眼に構えた。
「ほう。中々やるな。その構えで分かるよ。
マサヒデもアルマダも、次は勝てねえって言うわけだ。さあ来てくれ」
「む・・・」
ぴったり同じ正眼の構えなのに、これは格が違う、とはっきりとジロウは感じた。
これはマサヒデ達とは次元が違う。
どう打ち込んでも、当たる気がしない。
「打ち込まずに参った、は、なしだぞ。さあ、見せてくれ」
「・・・」
しゅ! と竹刀が払われた。
「え!?」
カゲミツの位置は変わらない。
なぜ当たらない!?
避けて、元に戻ったのだ。それは分かる。
だが、全くその動きが見えなかった。
構えも微動だにしていない。
「おお! 良いな! ぴたりと収まってる。だが、本来の力が出せてねえな。
もっと肩の力を抜け。さあ、残り二手だ」
ふぅ・・・と息を吐き、ジロウが元の構えに戻る。
「お・・・やるねえ」
カゲミツがにやりと笑う。
大体の者は、ここで慌てて次を振ろうとする。ちゃんと戻って、整えない。
ジロウは落ち着いて、構えを戻し、整えた。
マサヒデ達とは違う。
「やあー!」
面打ち。
ぴたりと腰の高さで止まる。
カゲミツが竹刀の横にいる。
「うん! 良い! しっかり出来てるじゃねえか! さすが先生のご子息だ!
だが、俺に飲まれるな。お前の本当の剣を見せてくれ! 残り一手だ!」
「は」
にこにこ笑うカゲミツ。
背中にぞくぞくと冷たいものが走るジロウ。
す、と額の汗を拭い、深呼吸。
構えを戻す。
確かに、飲まれている。完全に飲まれてしまっている。
しかし、一本取れずとも、せめて触るくらいは!
「うおおお!」
袈裟斬りからの斬り上げ。
「ははは! やるじゃねえか! 残り一手と聞いて、2度振ってくるとは!」
顎の下に、ぴたりと竹刀が当てられている。
さすがに叩きのめす気はないので、今回は寸止めだ。
「さ、一本だな」
「ま、参りました・・・」
ぱちぱちぱち。
ん? と縁側を見ると・・・
「ああっ!?」
大声を上げ、ば! とカゲミツが土下座した。
驚いて、ジロウも縁側に目を向ける。
にこにこ笑ったコヒョウエが、いつの間にか立っていた。
「せ、先生! ご無沙汰しております!」
「これはこれは剣聖殿。息子に稽古をありがとうございます」
「礼など言われる筋合いではございません!
勝手に押しかけてしまいまして!」
「よいよい。久方振りだ。積もる話もあろう。さ、座って話そうではないか」
よ、とコヒョウエが縁側に腰掛け、ぽんぽん、と横を叩く。
「は!」
び! と正座して、カゲミツがコヒョウエの横に座る。
「もっと崩せ。さ、足を下ろして」
「は!」
「おい、ジロウ。茶を頼む」
「は、はい・・・」
カゲミツの豹変ぶりに驚きながら、ジロウが出て行った。
「で、どうしてここへ来た? マサヒデ殿から聞いたか」
「は・・・お察しの通りで」
「そうかそうか。ジロウをどう見た? はっきりと言え」
「技を磨く余地はありますが、何より、まだまだ心が足らぬと見ました。
簡単に飲まれてしまいます。そのせいで、先程も本当の振りが出来ておらず」
うん、とコヒョウエが頷き、ふう、と息をついた。
「お前もそう見るか。儂もよ。4年もふらふらしておって、まだ心が練れておらぬ。
技を磨くことばかりに目が行っておっての。どうしようもないわさ・・・」
ジロウが戻ってきて、2人に茶を差し出す。
「すまんの」
「頂きます」
ずずー・・・と茶を啜る。
にやにや笑いながら、コヒョウエがカゲミツに顔を向け、
「で、お前、今は道場は中々上手く行っておるようではないか? んん?」
「いや、その・・・肩書のおかげです」
「聞いておるぞ。随分と貴族の門弟もおるらしいの。
色々と、心付けを頂いておるのではないのか?」
「まあ、たまに・・・」
「ははは! 肩書も、使わねば只の紙切れ同然よ。お前は十分使えておる」
「恐縮です」
「で、道場を追い出した後、お前は何をしておったのだ?
すぐに首都から出て行ってしまったではないか」
「は、諸国を回って武者修行と・・・今の村で妻と出会いまして・・・」
「ふうん。で、子が出来てしもうて、道場を立てて根付いたと言う訳か」
「そんな所です」
「ま、その辺は大体聞いておるから良い。誰でも知っておろうが。
何か、武者修行の間に面白い事でもなかったか」
「面白い事・・・」
は、とカゲミツは思い出した。
「ショウリンの子孫を見つけ、無願想流の伝書を読ませて頂いたことが」
「ほう。マサヒデ殿の足譚は、お前が教えたのか。
教えられた所で、中々出来る技ではないだろうに」
「いえ、あれは古の剣豪の話を聞いたか読んだかして、足譚を知り、自分で再現しようとしまして・・・」
コヒョウエが驚いて顔を向けた。
「何、自分で再現しようとして、出来てしまったのか!?
お前が教えたのではなかったのか!?」
「はい」
「ううむ・・・また、末恐ろしい子を作ってしまったものだの。
ふふふ、カゲミツ、中々やるではないか」
「足譚が出来てしまったので、いつか気付くと思っておりましたが・・・
実は、昨日マサヒデを見に行きましたら、無願想流の振りにまで」
「何だと!? 自分でそこまで気付いてしまったのか!?」
「はい。まだ振り回せている状態ですが、あの様子ではそのうちに・・・
このままでは慢心してしまわないかと、もう気が気ではないのです」
ぷ! とコヒョウエは吹き出してしまった。
「ははは! さすがの剣聖も、子は心配で仕方がないか!
お前がここまで親馬鹿であったとはの! のう、ジロウよ!」
ジロウの方を向いて笑い、またカゲミツに目を戻し、ついにコヒョウエが膝を叩いて笑い出した。
「馬鹿者、足譚は奥義のひとつではないか。それを既に身に付けておるのだ。
基本の振りが出来た所で、慢心などするものかよ。ははは!」
ぐ、とカゲミツが身を乗り出し、
「しかし先生、無願想流はその基本の振りこそが奥義である、と私は」
「愚か者。それはどの流派でも変わりはせんわ。
基本を突き詰めれば、それが本当の奥義になるものよ。
考えすぎだ。身の軽いマサヒデ殿には、ぴたりと合ったものではないか」
「は・・・」
「まあ、あの歳で自分で気付いてしまったというのは、さすがに驚いたがの。
が、自分の身に合った振りを考えていれば、自然に身についてしまうわ。
のうカゲミツ、そうは思わんか?」
「あと10年はかかると思っておりましたが」
「何、10年が1年だろうと変わりはせんわ。そこから伸びるか否かよ。
お前は伸びると思うか? 止まると思うか?」
「慢心さえせねば・・・」
「ふふふ。まだそんな事を言うておるのか。せぬと言うたろう。
マサヒデ殿が、いつお前を超えるか、楽しみだの。
まだ儂が生きておるうちに、お前を叩きのめすマサヒデ殿を見たいものだ」
コヒョウエはずず、と茶を啜って、昔のカゲミツを思い出した。
あのカゲミツが、まさかここまで親馬鹿になってしまうとは。
ふふふ、とコヒョウエの顔に笑いが浮かんだ。
「さて、話は変わるが・・・カゲミツよ。ひとつ聞きたい事があるのだ」
「は」
「お前、なぜ儂に隠して御前試合に出た。なぜ、剣聖の称号を辞退せなんだ」
ぎく。
カゲミツが剣聖という称号を堂々と受け入れたのには、理由があったのだ。
自分より強い者は、当時でもごろごろいた。
道場では、師であるコヒョウエに、歯も立たなかったのだ。
そのコヒョウエと同じくらい強い者が、首都には何人もいた。
「は。それは、剣聖が弟子とあらば、えー、道場も栄えるかと思いまして」
にやにやとコヒョウエが笑う。
「ふうん・・・そうか。師匠思いだな。なんと良い弟子か。のう、ジロウ」
「は。左様で」
この父上の様子、何かある。
カゲミツが、自分より強い者がいると分かっていて、なぜ剣聖を名乗った?
だらだらとカゲミツの顔を、汗が流れ落ちている。
「ふふふ。ジロウ、門弟が増えたらどうなる」
「はあ・・・忙しくなりますね」
「そうだ。忙しくなろう。では、カゲミツに、手ずから教える暇も少なくなるな」
ぴし、とカゲミツの身体が固まった。
「あ!? ま、まさか!?」
あまりに厳しい稽古。
少ない門弟。
当然、父上の手ずからの稽古は多くなる。
「ははは! そうよ、此奴が剣聖を名乗りおったのは、そういうことよ!
門弟が増えれば、儂が手ずから稽古する機会も減ろうな!
儂の稽古が厳しかったものだから、自分に当たるのを少なくしたかったのよ!
どうだカゲミツ。違うか? ん?」
にやにやと笑いながら、コヒョウエがカゲミツの顔を覗き込んだ。
「ご、ご冗談を! そのようなことはございません!」
カゲミツの顔が真っ青になって、ぶんぶんと顔の前で手を振る。
「ははは! お前は相変わらず嘘が下手じゃの! ははは!
お前も、まだまだ心の鍛錬が必要だな! はーはっはっは!」
ぷ、とジロウも吹き出してしまった。
自分より遥かに上がいると、カゲミツはしっかり自覚していた。
それでも剣聖の称号を頂いたのは、そういう事だったのか。
「ふふふ。儂の稽古は嫌なのに、道場は出たくなかったか。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか」
「・・・」
「なあに、お前の腕なら、すぐに儂を超えると分かっておったわ。
お前を道場から叩きのめして追い出したのは、それが理由よ。
怒ったのではない。道場を出るのに、ちょうど良いきっかけだと思ったからだ」
「きょ、恐縮です」
「叩きのめしてやったのはな、お前がこれで慢心せぬようにと考えたからだ。
剣聖などと箔が付いても、お前より強い者は、世にいくらでもいるとな。
ふふふ、思い出してみれば、今のお前と同じではないか。
しかし、あの時はちとやりすぎたかな? 朝まで門前で寝ておったろう」
「は。情けない姿を晒しまして・・・」
「良い良い。恥を晒すのも、良い勉強になったろうて」
「は・・・」
にやにやしながら、コヒョウエはジロウの方を向いて、大声で笑い出した。
「はーっはっは! 見ろ、ジロウよ。これが剣聖様の本性よ! 驚いたか!
ふふふ、笑わせてくれるの! マサヒデ殿にも教えてやれ!」
「せ、せ、先生! ジロウ殿! それはご勘弁を! 何卒!」
がば、とカゲミツが土下座して額を付けた。
「恥を晒すのも勉強だ、と言ったばかりではないか! ははははは!」
「カゲミツ様、私はこの事は口外しませんよ。ふふふ」
げらげらと笑いながら、コヒョウエが膝を叩く。
ジロウも笑いを堪えきれず、口を抑えていた。
「ふふふ、そろそろ帰らねば、オリネオに着く頃には夜であろう? もう行け。
そして、マサヒデ殿に、手ずから振りを教えてやれ。
中途半端に使える程度では、慢心などせずとも、余計に死を招く。分かるな」
「は」
「であれば、まだオリネオにおるうちに、しかと教えておいてやれ。
マサヒデ殿であれば、コツさえ分かればすぐ振れるようになる。
ないと思うが、慢心するような事があれば、すぐ釘を刺しに来れるではないか」
「確かに、仰る通りです」
「お前は相変わらず、考えがひとつ足らんの! はーっはっは!」
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