3.上弦の月に祈る(後)―――ラウラ

 空に舞い上がるフラウを見送って、ラウラは魔術式カンテラに光を灯した。

 それがラウラの薬屋の開店合図。待っていてくれたらしい常連客たちが近付いてくるのを見て、営業用の笑顔を浮かべた。


「いらっしゃいませ!」

「ラウラちゃん、傷薬ちょうだい。三つね」

「はい、銀貨一枚と大銅貨一枚になります!」

「わたしには傷薬一つと火傷の薬一つ」

「銀貨一枚です」

「大銅貨で払ってもいい?」

「構いませんよ」


 大銅貨を十枚受け取って、金庫代わりの頑丈な箱にしまう。お客さんは今も待っているから、のんびりしていられない。次のお客さんは、大工見習いの少年だ。


「ラウラさん、俺には血行促進の薬十二個!」

「今日寒いものね。親方さんたちに気を付けてって言っておいて!」

「わかった。親方たちもラウラさんに心配されてたって言ったらきっと喜ぶよ……えっと、いくら?」

「銀貨三枚と大銅貨六枚だね」

「ええ……大銅貨分まけてよ……」

「値下げ交渉には応じません。ほら早く」


 ちえーとか言いながらお金を払い、彼は大量の薬瓶を抱えて帰って行った。


「ラウラ」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、真紅の瞳と目が合う。


「いらっしゃいませ、セアル。今日はどうしたの?」

「薬瓶を買い取ってもらいに来たのと、治癒の魔法薬の注文に」

「先に薬瓶を見せてもらえる?」

「わかった」


 鞄の中から取り出された十本近い薬瓶を一つ一つ見分する。割れや欠けはなく、薬が残ってもいない。


「いつも持ってきてくれてありがとう。九本だから、大銅貨四枚と小銅貨五枚だよ」


 セアルにお金を渡してから薬瓶を箱にしまい、ついでに注文書を取り出した。


「いくつ?」

「五……いや、七で頼む。狩人たちからの情報を聞くに、今回の『影津波』は大きそうだ」

「そう……次の満月までには必ず納品するね」

「頼む」


 注文書に品名と価格、品数を書き込みセアルにサインをもらい、控えを渡す。代金は商品と引き換えだから、今ここでは貰わない。注文書を金庫代わりの箱にしまっていると、セアルがふと思いついた、というように呟いた。


「ラウラ、今日の昼に予定はあるか? もしよければ、一緒に昼食を食べよう」

「今日のお昼? フラウに昼食に誘われたけど……」

「そうか。そういうことなら俺は遠慮しよう」

「どうして? 三人で食べればいいじゃない」


 セアルは仄かに甘い微苦笑を浮かべた。珍しい表情に、ラウラの瞳は釘付けになる。


「どうせなら、二人でがいいからな。俺も、フラウも」

「……そうなの?」

「ああ。……昼はまた、別の機会に」


 柔らかい声に顔が火照る。ぱたぱた扇いで頬の熱を冷ましながら、次のお客さんに微笑みかけた。

 それからしばらくの間、お客さんは絶えなかった。昼に近付くに連れ人が増えていくから仕方のないことだが、長い時間座っているとどうしても疲れてしまう。

 客と客の切れ目に伸びをしていると、精一杯背伸びした子供の声が聞こえてきた。


「ごきげんよう、ラウラお姉さま」


 見れば、庶民っぽい服を着て、あからさまに「お忍びに来た貴族です」という感じの女の子が勝気そうに微笑んでいた。勿論ラウラは彼女のことを知っている。


「こんにちは、リーユさま」


 フラウの妹であるリーユ・ベルデュークはちょっと悪戯っぽく笑う。まだ色っぽさよりも可愛らしさが勝つ笑みだ。


「『さま』は付けなくていいですわ。ラウラお姉さまは未来のお義姉ねえさまですもの」

「……どうしてそうなるの、リーユ。私とフラウはただのお友達だよ?」

「だってお兄さまったら、ラウラお姉さまにぞっこんですもの」

「そんなことないよ。他の女性と同じ態度か、むしろ気安いぐらいだよ?」


 リーユは大きくため息をついて、頭を左右にゆっくり振った。金茶のくるくるツインテールが弱い日光を反射して、金色っぽく見える。


「………鈍感なのか、ヘタレなのか……いい勝負ですわね……」

「ところでリーユ、何を買いに来たの?」

「そうでしたわ! 保湿クリームをくださいませ! わたくしの侍女の誕生日が近いんですの!」

「そうなの?」

「そうなのですわ! ジャスミンの香りのものはございます?」

「うん、あるよ。香り付きだから、大銅貨五枚ね」

「わかりましたわ!」


 可愛らしい花の刺繍がされた財布からリーユが硬貨を探している間に、辺りを見回す。案の定、護衛らしき人と目が合った。


(鷹族領主の娘を一人でお買い物に出すわけないものね)


 相変わらず素晴らしい紛れ込み方だ、と感心しつつリーユから硬貨を受け取り、白いリボンを巻いた小さな素焼きの壺を渡した。


「ラウラお姉さま、少し相談なのですけれど」

「なあに?」

「わたくしに付いてくれている侍女には、普段とても世話になっていますの。ラウラお姉さまは、どうすればもっと喜んでもらえると思います?」

「……そうだね。侍女は手が荒れるから、って考えて誕生日に保湿クリームを贈ることにしたんだよね? リーユが一生懸命考えて選んでくれた、というだけでも十分喜ぶと思うけど……」

「でもどうせなら、誕生日プレゼントらしい特別感を出したいのですわ」

「じゃあ、容器に付けているリボンに刺繍をしてみたら? 今練習してる、って言ってたよね?」

「………名案ですわ! それなら練習の成果も見せることが出来ますし!」

「喜んでもらえたか、また教えてね」

「はいですわ! それではごきげんよう、ラウラお姉さま!」

「気を付けて帰ってね、リーユ」


 ぱたぱたと元気よく手を振って、小走りに駆け出すリーユ。転ばないか少し心配だったが、素早く近付いた護衛たちの姿が見えたので問題ないだろう。

 リーユに遠慮して待っていたお客さんの相手をすべく、ラウラは視線をリーユから外した。その後は狩人組合ギルドの人から回復薬や魔物避けの香の注文を受けたり、若い女性に(普通の)媚薬を売ったりしながら時を過ごす。

 昼の鐘が鳴っても、フラウは戻ってこなかった。


(遅い……)


 昼は皆昼食を食べたりするから、ラウラの薬屋の客は減る。雑踏を眺めながらぼんやりしていると、ざくざくと雪を踏みしめこちらへ真っ直ぐ向かってくる人影を見つけた。


「ラウラ! 悪い、遅くなった!」

「フラウ……まあ、昼一つ目の鐘が鳴る前だから、許してあげる」

「ははは……ありがとう」


 ラウラはカウンター上に置いた、魔術式カンテラの火を消した。カウンターになっている面の反対側を回り込んで閉じ、魔具の結界じょうで屋台をぐるりと囲む。結界縄がきちんと作動したのを確かめてからフラウに向き直った。


「言い訳はご飯を食べながら、ね」

「そうだな。……お手柔らかに」

「ふふ、どうしようかなー」

「マジでお手柔らかに頼むぞ!?」


 フラウの悲鳴交じりな懇願を聞きながら、食べ物を売っている屋台に向かう。ラウラは淡水魚のフライを挟んだサンドイッチ、フラウは雪牛のソテーを挟んだサンドイッチを買った。


「それで? どうして遅くなったの?」

「実は、魔獣が数体『影の森』から出てきてたんだ。そいつを見つけたのが昼近くで、しかも魔術とかで威嚇しても追っ払えなくて……倒すのに時間がかかったんだ」

「やっぱり、次の『影津波』もそろそろみたいだね……。傷薬、大目に準備しておかないと」

「材料いるからって『影の森』には行くなよ?」

「まだ備蓄があるから大丈夫。……そうだ、リーユにあまり出歩かないように、って言っておいてくれない?」

「構わないが……何でだ?」

「今日リーユがお店に来たの。侍女さんへのお誕生日プレゼントを買いに、って」

「何ぃ!?」

「大丈夫だよ、護衛がちゃんとついてたから」


 立ち上がりかけたフラウを宥める。フラウがかなりのシスコンだということは前から知っていたので、慌てることはない。


「そ、そうか。そうだよな……」

「落ち着いた?」

「ああ……うん……取り乱してすまない」

「落ち着いたところでサンドイッチ、一口ちょうだい? 私のも一口あげるから」

「いいぞ」


 雪牛は香ばしいソースがかけられていて、少し濃い味付けがサンドイッチにぴったりだった。


「魚も美味いな。次外で食べるときは魚にしよう」

「雪牛もおいしいね。このソース、再現してみようかな。ケントが喜びそう」

「ああ、確かに。あいつ好きそうだな、こういう味」

「お肉は大好きみたいだし」

「うん、おれが保障する。絶対喜ぶ」

「ありがとう。……あ、カウルとトーヴァのご飯も買わなくちゃ。何がいいかな……」

「近くに鶏肉売ってる屋台あったぞ?」

「そうなの? じゃあ、そこにしようかな」


 フラウに付き合ってもらって鶏肉を買い、店の前で待っていたカウルとトーヴァに与える。それからもう一度見回りに行くというフラウを見送り、ラウラも薬屋を再開した。

 ふと気紛れに見上げた空に、ぶ厚い雪雲の隙間から半分の月が覗く。


(もう、上弦……)


『影津波』は満月の日に起こりやすい。だから、猶予はあと一週間ほどしかないだろう。


(どうか、怪我人が少なくありますように)


「魔の太陽」とも呼ばれる月に短くそう祈り、ラウラは新たな客を迎えた。

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