第45話 保科華乃

 配信終了から数十分が経っても、僕は椅子に座ったまま、身動き一つ取ることが出来ずにいた。体に力が入らない。頭がまるで回らない。


 分かったのは、ティアラが実は華乃だったこと。華乃が僕を好きだったこと。せいぜいそれくらいで。そんな華乃が何故あんなことをしてきたのかは何も分からなかった。


「…………」


 でも、このままじゃいけない。呆けている場合じゃない。


 で、具体的に何をする?


 分からない。やっぱり分からない。僕は何も知らなくて、何も出来なくて、ただただ情けなくてダサい、VTuberオタクの高校生でしかない。それを、改めて思い知らされる。


 何かをしなくては思い立って、手を動かして、一番初めにしてしまうことは、ツイッターを開くこと。脳が、習慣が、そうなってしまっている。まさにネット中毒。SNS中毒。もはや自嘲するしかない。


 僕のアカウントは、ティアラと同じように、一週間以上前から何も呟いてはいなかった。

 毎日何度も投稿があったアカウントが長期間活動を停止する……そんなことを心配してくれる人なんて当然いるはずもなく。

 ネットのおもちゃに過ぎないオタクのことなど誰も気にかけてはくれていなかった……はず、なのに。


 ティアラの最後の配信が終わってから、こんな僕に対していくつもメッセージが届いていた。一週間以上前の何気ない投稿に、リプライがついていたのだ。


『チャット欄でも言ったんだけどマジで早まるなよ。元気出せ』

『自分もショックでした。でもきっと時間が解決することだと思います』

『五日もすれば忘れるよ。いや、五か月かな・・・。まぁ、これを機にVは卒業してリアルで恋愛していこうぜ!女子によく話しかけられるんだろ?爆発しろ闇猫!青春しろ!(39歳童貞より)』

『みんな馬鹿にしてたけど正直俺は闇猫さんのこと凄い人だと思ってましたよ!自分のお金を自分の好きなものに使って何が悪いんだって話です。結果的に推しのVにも認知されて全くムダじゃなかったじゃないですか。だから早まらないで』


 僕を励ます言葉の数々。前々からツイッター上で交流があったティアラファン達だ。

 この人達だって、悲しい思いをしているはずなのに。その元凶は、実のところ僕なのに。胸が熱くなると同時に、罪悪感も湧いてくる。


 そんな中、励ましとはまた別の、初めて見るアカウント名からのリプライが目につき――


『闇猫だけじゃなくて普通にティアラもやばくね?要するに「失恋」したんだろ。それこそ「早まった」りとか・・・』


 思わず、呼吸が止まる。


『失恋w ホストかセフレに都合の良い穴扱いされてるだけだろw』

『どうしても処女ということにしたい童貞バチャ豚の妄想に大草原不可避』

『お前の文章、闇猫っぽいな』

『闇猫が死んだらお前が奴の意思を継ぐんだ・・・! 任せたぞ・・・!』


 その投稿についていた汚らわしいリプライなんかはどうでもいい。ただ、この人の言っていることは、どうしたって無視出来ることじゃない。「」で強調してくれたおかげで、放心状態の僕でも、気付くことが出来た。


「華乃が……!」


 華乃が、危ないかもしれない。

 あの華乃が人生で初めて僕の前で号泣したんだぞ? 正常な精神状態じゃないことなんて明らかじゃないか。すぐ隣の家で起きているかもしれないことなのに、何で僕は自分のことばかり……!


 美夜が炎上した時、いくら伸ばしたって僕の手は彼女に届かなかった。でも、今なら。自分の足で駆けつけて、自分の腕で抱きしめられる。


 僕は、家を飛び出した。




「華乃……っ! ……よかった……」


 久しぶりに入った華乃の部屋。そのベッドで、布団にくるまり、抱き枕を抱いていた金髪の女の子。赤く腫れた目で僕の姿を認めて、ハッとしたように反転し、こちらに背を向ける。


 とにかく、最悪の事態になっていなかったことに安堵する。


「……何しに来たの。あれで終わりにするって言ったのに」

「僕は同意してないだろ。君が一方的に言ってただけで」

「……だって……………………」

「…………」


 続きを待っても、何を言ってくれるわけでも顔を見せてくれるわけでもなく。

 仕方なく僕は、ベッドの端、華乃の傍らに腰を下ろす。


「…………っ」


 ビクッと震える薄い背中。漏れる吐息。手を伸ばせば、その柔らかい髪にも、シミ一つない肌にも、容易に触れることが出来る距離。


 ……そうだ、華乃の肌にシミ一つないことを、僕は知っているんだ。

 いつだって見ていたから。露出した肌を見せつけようとしてくるのを興味ないフリして、それでもコッソリと目で追ってしまって。ムキになった華乃がさらに露骨なアピールをしてきて。そんなバカみたいなことを何年も繰り返してきて――結果、彼女は仮面を被ってしまった。


 バーチャルな姿で、僕にアピールしてきたのだ。

 導き出される答えは、それなんじゃないだろうか。


 改めて、部屋を見回してみる。

 ピンクを基調としたお姫様みたいなファンシー空間は、昔来たこの部屋の雰囲気とはガラッと違う。

 変わっていないのは、コルクボードに無造作に貼り付けられた僕との写真の数々くらいで……あれ? 浴衣を着た小さな僕がカメラに向けて笑いかけてるあの写真は……背景の屋台を見るに、夏祭り? 写っているのは僕だけだけど、もしかして、隣に? それとも、撮っているのが?


「…………」


 丈太さんにかけられた発破を思い出す。


 僕はもしかして、大事なことをいろいろ忘れてきたのか?

 自信がないせいで、幼なじみと釣り合っていない自分が嫌いで、直視したくなくて――だから現実に期待しないように、彼女への想いを封印した。自ら汚した。

 そうして、代わりに見つけたのが、バーチャルな存在の、しかし彼女と同じように素敵な彼女で。


 部屋の中には、昔はなかったはずなのに、見覚えはあるものが溢れている。

 ぬいぐるみ、クッション、タンブラー、今抱きついている抱き枕、今着ているモコモコファンシールームウェア……全部、僕が大好きなVTuberに送ったものだ。

 猫のぬいぐるみに被せられた初音ミクのお面だけは僕のプレゼントじゃないけど、華乃がつけたものなのだろうか。そういえば歌枠でボカロ曲もよく歌っていたっけ。


 デスク回りの設備も、まさに配信者のものだった。というか、以前ティアラが配信で紹介していた機材が、そっくりそのまま揃っている。ここにティアラがいたんだということが、改めて身に染みてくる。


 防音に関しては特別な対策はされていないようだけど、まぁ一軒家だし問題もなかったのだろう。


「……京子さん」

「え?」


 やっとポツリとこぼしてくれた言葉。だが、それは意外な名前で。


「京子さん、怒ってた? ……わたしのこと、嫌いになっちゃったかな……」


 ああ、それか。考えてみれば、全然意外じゃないか。気になって当然だ。


「むしろ、ずっと華乃のこと心配してたよ。いろんなことから目を背けてた僕の背中を押してくれたのも、あのバカップルだし」

「……そっか……」


 華乃は安堵したかのように息を吐き、しかしまた重い声音に戻って、


「でもそれは、全部を知らないからだよ。わたしがしてきたこと知ったら、今度こそ見放されるに決まってる」

「……聞かせて、くれないか」

「…………つまんない話でもいいなら……」


 そうして華乃はついにポツリぽつりと、これまでの経緯を語り始めた――。

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