第2話 前世の私は呪いの女王

 アンリエッサ・アドウィルは転生者である。


 前世において、アンリエッサは日本という国に生きていた『呪術師』だった。

 呪術というのは陰陽術や道術などのいくつかの系統のまじないを併せたものであり、呪術を扱う人間が呪術師である。

 日本には呪術師が一定数いて、権力者を背後から操って国を陰から支配していた。

 平安時代、安倍晴明が時の権力者である藤原道長と繋がっていたように……現代日本においても、未来を読んで吉凶を操作する呪術師というのは強い影響力を持っていたのである。


 前世のアンリエッサはそんな呪術師の頂点に立つ圧倒的な力を持っており、裏社会において『呪いの女王』、あるいは『禁呪の呪術師』などと呼ばれて恐れられていた。


(そんな私が転生したら無能者扱いとは愉快ですね。人生というのは何が起こるのかわからないものです)


 木陰に腰かけて本を読みながら、アンリエッサがのほほんとした顔で思う。

 両親からネグレクトされ、兄姉からも憎まれ蔑まれているアンリエッサであったが……特にそれを気にしている様子はない。

 今も庭にある木の下でのんびりと読書をしており、押しつけられた洗濯の仕事を人型の式神にやらせている。


「平和ねえ。今日も」


 空から降りそそぐ日差しが心地良い。

 ポカポカとした春の温かさが全身に染み入ってくるようだ。


 運命の日……魔力測定から八年間。

 十五歳になったアンリエッサは相変わらず、アドウィル伯爵家の中では『家族の中の他人』として、不遇な扱いを受けている。

 洗濯や掃除などの家事をやらされ、使用人同然の待遇……いや、給金をもらっていないから、それ以下の生活をしていた。


「はい、アンリエッサお嬢様。こちらの洗濯もお願いしますねー」


 屋敷で働いているメイドが衣服やシーツが入ったカゴを運んできて、ドシンと重そうな音を立てて地面に置いた。


「今日中に終わらせないとメイド長に言いつけますからね。『アンリエッサお嬢様が仕事もせずに遊んでいたって』。鞭打ちされるのが嫌だったら、ちゃんとやっておいてくださいねー」


 メイドが小馬鹿にしたように言って、ニヤニヤと笑いながら去っていく。

 アンリエッサは顔を上げて、面倒臭そうに口を開く。


「あの子も懲りないわねえ……別に良いけれど」


 洗濯物を運んできたメイドであったが……彼女は仕事をしていた式神に話しかけており、木陰で読書をするアンリエッサのことを一瞥いちべつだにしていなかった。

 呪術の偽装で式神をアンリエッサだと思い込まされているのだ。

 木の周りには結界を張っているため、本物のアンリエッサを視認することもできなかった。


「ごめんねー。そっちもやっておいてねー」


『畏まりました』


 人型の式神……目も鼻もない卵のような顔をした人形が頭を下げてくる。

 地面には大量の洗濯物が入ったカゴがあるが、疲れることもない式神であれば余裕で終わらせることができるだろう。


「それはそうとして……無礼なメイドにはお仕置きをしておかなくっちゃいけませんね」


 アンリエッサがゴソゴソと懐を探って、一枚の紙を取り出した。

 掌サイズの紙片には日本語で『蜂』とだけ書かれている。


「はいはい、急々如律令ー」


 アンリエッサがかなり雑な呪言を唱えると、紙片が蜂の姿に変わった。

 文字が書かれた紙を触媒として、式神を生み出したのである。

 本来であればもっと手順や手間を必要とするのだが……かつて最強と呼ばれた呪術師であるアンリエッサであれば、軽く呪力を込めるだけで作ることができるのだ。


「じゃ、あの子をプスッとやってきてくださいねー」


『ブンブーン』


 指示されたように、紙から生み出された蜂が飛んでいく。

 蜂が飛んでいってからしばらく経つと……遠くから女性の悲鳴が聞こえてきた。


「はい、仕返しおしまい」


 魔力無しであることを理由に、アンリエッサは屋敷で働いている使用人からも蔑まれていた。

 メイド達は伯爵家の令嬢を貶めることを愉しんでおり、嬉々として自分達の仕事を押しつけてくる。

 そんな無礼なメイドにはもれなく、呪術を使ってお返しをしていた。


「人間の悪意に限り無し……それはこっちの世界も変わらないみたいですね」


 肩をすくめて、アンリエッサは読書を再開させる。

 その日、毒蜂に顔を刺されたメイドが治療院に運ばれたと使用人が話していたが……その知らせを聞いて、アンリエッサが特に顔色を変えることはなかったのである。






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