7.一ヶ月経過

 閉鎖病棟の患者となって、気づけば一ヶ月が経っていた。

 

 気分の波はあるものの症状は落ち着いてきていて、何より、大きく沈んでもすぐに回復できるようになった。

 しかし、いつまた何がきっかけで落ち込むかわからない恐怖感は絶えず、自責や後悔の無限ループは止まらない。


 せっかく叶えた夢だったのに。

 大好きな仕事だったのに。

 自分が弱いせいで全てを失った。


 うつ病なんかになってしまった自分、耐え抜けなかった自分、退職を選んだ自分をずっと許せなかった。

 もう辞めてから何ヶ月も経っているのに、自分だけ夏で時間が止まっている。そんなウジウジした自分も許せない。

 11月も半ばに入り、窓からの景色はどんどん冬めいていくのに……





 会社を辞める時、どうしてもと言って総務に頼み込んだことがある。


 退職理由は「体調不良」として、うつ病のことは他の社員には絶対に伏せてほしい、という我儘だ。

 もちろんその対象は、パワハラの張本人である上司も含めて。

 末端社員が辞めるだけに過ぎないくせに、少しでも同僚や取引先が会社に対して猜疑心を持たないように、という自己満足。


 ……と、あの “新人つぶし” で有名な某上司の何人目かの被害者Aが入院を強いられるほど追い込まれたという事実を隠匿できるようにし、抜本的解決を図らないならまた被害者を出し続けていけばいい、という根性の腐った陰湿な仕返し。


 上司や会社に対して私がこれほどまでに深く長く苦しんでいるのを知らしめたい、という悔しさや復讐心も腹の底で常に煮えたぎっていた。

 私は根に持つタイプなので、今でもずっとそう思っている。

 でもそれは、真面目で責任感が強い私の正義に反する。(というか、表立ってギャンギャン騒ぐのはなんかダサい)


 この『真面目で責任感が強い』性格は治るものではない。

 履歴書に書けば好意的に捉えてもらえる長所の典型。

 私にとっては、自身の個性としてうまく折り合いをつけて付き合っていかなければならない自己嫌悪の塊。


 考えるべきは「逃げてしまった自分の弱さ」ではなく、「またこうならないように、もっと早く逃げるにはどうしたらいいか」だ。


 入院して1ヶ月の私にはまだ気づけず、夢から逃げた自分を責めて勝手に1人で苦しみ続けていた。




 他の患者さんたちと触れ合う中で気づくこともあった。


 ここには、さまざまな精神疾患を抱えた患者が入院している。

 『この病棟の入院患者』と一括りにはできないような多種多様な症状がある。

 同じ病気でも患者が違えば症状や苦しみは違ったり、同じことで苦しんでいても全く違う病気だったりする。


 だから、私は自分から他の患者の病気や経緯についてはあまり聞かないようにしていた。

 そんなことを知ったところで、というと聞こえは悪いが、私にどうこうできることは何もない。

 ただその時苦しいことを聞いてあげるだけならできるから、わざわざ根掘り葉掘り聞く必要はないと思っていた。


 反対に、他人ひとから私の病気について問われれば、躊躇わずに答えていた。

 うつ病なんて、何も恥ずかしいものではない。

 自傷の痕も「キレイ」と言ってくれる人がいた。周りに見せびらかすような代物ではないが、私も自分が苦しんだ痕は消えてほしくなかった。


 同じ屋根の下で同じ釜の飯を食いながら、お互いに一線を引いて寄り添う。

 一般的なと比べれば希薄な関係かもしれないが、それが心地よかった。

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