第8話 食に貴賤なし
「ん?」
おや。執事が家の前に立っている。
「どうされました?」
「迎えをと申して、ここで待たせてもらいました。
マサヒデ様、本日は・・・お嬢様のわがままで、大変申し訳ありません」
「いえ、構いません。良ければ、一体何があったのか、教えてもらいますか?」
「はい。マサヒデ様より頂きました、弁当と酒なのです。
いたくお嬢様が感心いたしまして」
「では、良かったじゃないですか。それが何故?」
「いえ・・・平民の料理がなぜここまで、と・・・
特に、酒には、当家には『ワインのレイシクラン』とも呼ばれる誇り・・・
そう、誇りがございます」
「ええ」
「その、お嬢様を唸らせた料理と酒が、平民の物ということが、随分と・・・」
「あ、そんなことでしたか。それで怒ってたというか、拗ねてたんですね」
「まあ、そうですが・・・しかし『そんなこと』とは・・・」
「何、その程度ならすぐ収まりますよ。
ほら、私だって、平民なのに、クレールさんは結婚してくれましたよね。
食事も酒も同じです。
平民のものだって、美味しいものは美味しいんです。
貴族の物しか美味しい物はない、ってわけじゃないんですよ。
クレールさんなら、少し食べて飲めば、すぐ分かってくれますって」
「私もあの料理と酒には驚かされました。しかし『庶民の居酒屋の料理と酒が、私の舌を唸らせるなんて!』と、随分と・・・」
「そうご心配には及びません。帰って来たら、いつもの調子に戻ってますよ」
「申し訳ございません。マサヒデ様を煩わせるようなことを」
「いいんです。気を利かせたつもりでしたが、私が無神経だっただけですから」
「は・・・」
からからから。
「只今戻りました」
「マサヒデ様! 行きますよ!」
ぷんぷんしながら、クレールが出てくる。
「ちょっと待って下さい。すぐ準備しますから」
「・・・分かりました。ここでお待ちしてます」
ふう、と息をついて、マサヒデは奥の間に行き、金貨を一掴み懐に入れる。
クレールのことだ。また大量に食べるだろう。
弁当に入ってなかった物が、店には大量にあるのだ。
「さて・・・と」
弓を置いて、部屋を出ると、執務室の障子が開く。
「マツさん。聞いてるかもしれませんけど、今日はクレールさんとお出掛けです」
「うふふ。とてもお出掛けって感じには見えませんけど」
「ははは。まあ、帰ればいつものクレールさんになってますよ」
「お金はお持ちしましたか?」
「ええ。金貨を一掴みくらい」
「もう少し持って行った方が・・・」
「ですかね。じゃあ、取ってきます」
じゃら、と金貨をもう一掴み入れて、マサヒデは玄関に向かった。
玄関に立つカオルに声を掛ける。
「それでは、行ってきますね」
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「クレールさん。一体どうしました?」
「・・・ふん」
「ふふふ。怒った顔も綺麗ですね?」
「そんなお世辞に騙されませんよ!」
店はすぐ近くだ。
がらっ!
勢いよくクレールが戸を開ける。
酒の匂いと、わいわいとした客の声。
「こんばんは」
「あ! トミヤスの旦那! いらっしゃい! いつもご贔屓に」
「ここはマサヒデ様の贔屓の店なんですか!?」
クレールの勢いに店員も驚いてしまう。
「え、はい、まあ・・・よく来て頂いて」
「そうですか・・・」
ぐるりと店を見渡す。
雑多な人々。
町民、職人、冒険者。
「今日はお二人で?」
「はい」
「カウンターでよろしいですか?」
「はい」
「カウンター!? テーブルはないんですか!?」
「クレールさん。座敷は一杯です。
我々は2人だけですよ? カウンターで良いじゃないですか」
「くっ・・・そういうものなのですね」
「そういうものです」
ああ、と店員はぴんときた。
ここには貴族もお忍びでたまに来る。
初めて来る貴族は、皆が同じような反応をする。
「ああ、こちらお忍びで?」
「ええ。こちらの弁当を、随分とお気に召されまして、店にもと」
「それはそれは。このような店の味を気に入って頂けまして」
「このような店の味!?」
「板長もさぞ喜びましょう。座敷が用意出来ず、申し訳ありませんが」
「・・・」
「さあ、クレールさん。座りましょう」
「・・・はい」
カウンターの一番奥に、2人は座る。
クレールは、まだぷんぷんしている。
「さ、まずはおひとつ。お口に合えば良いのですが」
2人の前に、お猪口が出される。
「く・・・」
酒の味を思い出し、クレールは苦い顔をする。
「さあ、クレールさん。頂きましょう」
「・・・」
ぐ、とクレールは酒を飲み干す。
・・・美味い・・・
「ぐぬぬ・・・」
「さ、こちら。弁当に入ってなかった物も、たくさんありますから」
ばっ! とメニューを取り、すごい目でメニューを見るクレール。
横でクレールの様子を見ながら、ふ、と笑いが顔に浮かんでしまった。
「順番に、全部注文しましょうか? 味を試してみたいでしょう?」
「そうします!」
マサヒデが店員を呼ぶ。
「すみませーん」
「はーい」
「メニュー、上から順に全部」
「え!? 全部!?」
「あ、大丈夫です。彼女、魔族の方で、鬼族よりも食べる方ですから」
「ああ、そうでしたか。では一つずつお持ちしますね」
「お願いします」
「注文入りまーす・・・」
店員は奥に入って行った。
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「わあー!」
食事を前にすると、急にぱーっと顔が輝くクレール。
もしゃもしゃと食べきり、
「次お願いします!」
と、皿を返していく・・・
「どうですか」
と、声を掛けると、は! とした顔でくるっとマサヒデの方を向く。
「む・・・美味しいです・・・」
「平民の料理でも、美味しいでしょう?」
「・・・はい」
「ふふ、何となく分かりましたよ。
平民の料理の味が、美味しかったのが、気に食わないんでしょう?」
「・・・」
ぐ、と箸を握るクレール。
執事から聞いた通り、やはりそこが気に食わないようだ。
「クレールさんは美食家だ。しかし、大事な事が分かってないようだ」
「なんですか!」
「食に貴賤なしって所です。美味しいものは、誰が食べたって美味しい」
「む・・・」
「高い物でも、不味いものは不味いでしょう?」
「まあ・・・そうです」
「じゃあ、安い物が美味しくたって、不思議じゃないでしょう?」
「その通りです・・・」
「クレールさん、あなた、私が平民だって知ってても、結婚してくれたでしょう。
同じことじゃないですか?」
「・・・」
「食と酒に関しては、レイシクランの誇りってもので許せませんか?」
「そんなことでは・・・」
「じゃあ、美味しいなら美味しいで良いじゃないですか。
何なら、レイシクランでさらに研究して、もっと美味しいものにしたりして」
「・・・」
「レイシクランの人たちだって、今ほど食文化が進んでない頃は、大して変わらない・・・いや、もっと酷い物を食べてたはずだ。違いますか?」
「違いません・・・」
「じゃ、美味しいものは美味しいでいいじゃないですか。
例え貴族の、いや王族の料理でも、不味いものは不味い。
一般庶民の料理でも、美味しいものは美味しい。
そこを受け入れられなければ、美食家じゃなく、ただの贅沢者だと思います。
この私の考え、クレールさんはどう思いますか?」
「・・・その、通りです」
「では、美味しいものを食べましょう」
「はい・・・」
ぐ! とクレールが酒を飲み干す。
「すみません! もう1杯、頂けますか」
店員が出てきて、酒を出す。
「はい、どうぞ」
クレールの酒が足される。
ぐい! とまた飲み干す。
「・・・うん・・・とても、美味しいお酒です」
「ありがとうございます。じゃ、次の料理持ってきますね」
店員は奥に入って行った。
「ふふ。クレールさん、食に貴賤はないって、すとんと落ちたって感じですね」
もう、ぷんぷんして拗ねたクレールはいない。
いつもの、元気の良い娘に戻っている。
「はい。良く分かりました!
機会があったら、両親にもここに来てもらいたいと思います!」
「じゃ、食べましょうか」
「はい!」
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