第95話 『野の花集』

 恋人よ、

 白い花 摘みにいこう

 緑なす丘へ 

 

 恋人よ、

 赤い花 摘みにいこう

 幸せな明日

                  エリゼ公国北東部シャロンヌ村俗謡より

                  アレクサンドル・デリーゼ『野の花集』所収 


 オレは〈死者の軍団〉の力を借りてモーリア王国を撃退後、文字通りこの国をはしからはしまで歩き回った。表向きの理由は史上初の男性葬祭長として各神殿を詣でるためであったが、主目的はエリゼ公国に伝わる俗謡と民話の蒐集だ。逆ではない。オレは真剣にエリゼ公国のそれらについていま記しておくべきだと感じたのだ。

 かつて、モーリア王国学士院の辞書編纂に名を連ねてしまったがゆえに。

 オレがこの先ほんとうに詩人として名を残せるのだとしたら、おそらくこのささやかにしてひたむきな仕事のためだと思う。なんどもいうが、オレは自惚れ屋ではない。じぶんの詩の出来具合について見誤るほど愚かではないつもりだ。悪くない詩は幾つかある。だが、それだけだ。

 しかし、ひとに何ができようか。

 忘却という名の時の重みに抗い、それに押し潰されぬために幾つかの詩を残した。オレはそれで自身の詩人としての生涯をよしとしている。他国はいざ知らず、この国の者たちは遠い未来にもオレの詩を諳んじてくれることもあろう。オレがこの国初の男性葬祭長であることと、そしてまた大文字の《夜》を記した『歓びの野は死の色す』の作者であるために。

 そしてまた、『野の花集』という小さな書物のために、それを集めたオレの名を忘れないでいてくれることと思うのだ。今のところ、その想像は外れていない。この国に生まれ育ったものたちは、言葉を習いはじめるときに『野の花集』を紐解いてくれている。

 じつを言えば、あの全国行脚には周囲からの猛反対もあったのだ。だがオレはあえてそれを遂行した。結果的に、この国はよくまとまったのだ。オレの道行に信者たちは群れをなして追ってきた。オレは彼らを拒まなかった。ひとびとの輪のなかに交じり、同じ天幕で寝たこともある。奇矯な振る舞いと謗るものもいなくはなかったが、オレはそれを無視した。オレはこの国の元首で、しかもその守護神たる女神の最高司祭であった。そのオレがたみびとであり信者であるものたちと寝食を共にする日々に要らぬ口を差し挟むものこそが不敬だとひらきなおってみせた。

 まあ、正直なところ、いくたびか危ない目にもあった。ヴジョー伯アンリの機転で救われたこともないではない。世継ぎの子をもうけていたのでできた無茶だとは言い添えておく。

 そうした 『野の花集』編纂にオレを駆りたてたものはたんなる危機感にとどまらず、それなりに切迫した事情であったはずだ。オレはこの国の安全を買うためにさんざん努力をしながらも、この国の文化の独自性というものについて当時かなり気楽に考えていた。なにしろ死の女神の神殿がある。それだけでも、国としてのまとまりにかくことはないと信じていたのだ。

 そうしたお恍けぶり故に、オレは宗教家として名を成さなかった。あの気の狂った道行は伝説となって、大陸中を渡り歩いたという触れ込みで高らかに喧伝され尽くしたが、むろんのこと事実ではない。さすがに国をあける無茶は通らない。モーリア王国がいつまた攻めてくるかわからぬなかで、そんな冒険はゆるされるはずもない。

 そう、我が国を攻めそこなったかの国は、次々に周辺国家を攻め滅ぼしていった。それと同時にモーリア王国の言葉は堅牢となった。王立学士院に、周辺国から優れた人材が大挙して押し寄せた。かつては帝都を目指したはずの者たちが、今度は北上しはじめたのだ。金と権力の集まる場所にひとは集うものだ。

 オレは、それをただ見守った。いや、国王のやり方に反撥する学者たちは我が国に匿った。かつて、そこにわずかばかり寄食したものとして、礼を失することのない穏当なやり方で。帝都ならびに王立学士院の仲介者という役割を演じながら、双方のやり取りを遠巻きに監視した。

 そういう立場におさまることができたのは、いくつかの要因がある。

 〈死者の軍団〉の持ち主であること、そしてモーリア王国賢人宰相と呼ばれた人物の日記を編纂して発行したこと、帝都学士院の佳き庇護者として名を馳せたアウレリア皇女殿下の友愛を得たことなどだ。

 もちろんここに付け加えるべき行いとして、この国の根幹を成す大文字の《夜》について記した書物『歓びの野は死の色す』の新様式があるではないか、と言ってくれるものもあろう。

 しかし、それはオレという「作家の成功」ではあったかもしれないが、葬祭長としてはその未熟がおこした失策としか呼べないものでもあった。

 もうとうに過ぎてしまったことだが、どうであれオレはこの国の秘事を外にひらいてしまったのだ。それはさらなる謎を呼び寄せもしたが、隠すべきものをさらす恥知らずな行為として記録されなければならないものとなった。オレが男子であったからこその不明か、はたまた快挙かというものもあるが、後者なはずはあるまい。それは、オレ自身が誰よりもよく知っている。

 くりかえすが、オレは吐き出さずにはいられなくてあれを記しただけのことだ。それが何を呼び起こすかすら知らなかった。予想もしなかったというはなしではない。オレはその、ほんとうの「意味」を推し量る術をもたなかった。

 たどたどしい繰り言は、いまは擱こう。

『歓びの野は死の色す』について、いまのオレが語るのは卑怯千万なふるまいでしかない。オレは卑怯でもかまわない。だが、時間が惜しいのだ。

 オレは【維持機構】の網の目をぬうようにして、語りかけている。

 誰に。

 ひとりはもう、きまっている。

 皇帝アウレリウスだ。

 どれほど呼びかけたかオレは知らない。それこそ喉が張り裂けるほどその名を叫んだこともある。だが奴は、こたえなかった。

 オレの力では【召喚】かなわぬ者らしい。不届きな輩だ。

 だが、奴もオレ以上の能力者に呼ばれては無視もしてはいられまい。オレはだから、その「とき」が滞りなく訪れるよう丹念に、周到に準備したつもりだ。この厄介な【維持機構】に足をとられぬよう注意して、全力を尽くしてきた。

 いま、このエリゼの街に【召喚者】が幾人いるのか、オレは知らない。

 何故なら、オレもまたこの「とき」に召喚されている客だからだ。

 オレ自身のはった語りの網の目に、誰かの語りの網目が日々積み重なる。【維持機構】は、それらを透写して、歴史という名の傲岸不遜な語りへと謄写しなおしている。それをどれほどくりかえそうと、空隙は埋まるものではない。細分化された断片はこらえようもなく膨れ上がり、入り組んだ洞窟はひかりを嫌いさらなる混迷を蓄える。「とき」は、はしたなく拡がり、だらけきった肢体をわれわれの前にひけらかす。

 オレはかつて語り手にして【召喚者】でもあったはずが、すでにして今、ただの語り手でしかなくなってきている。

 つまり、【召喚者】としての命が尽きているらしい。

 【維持機能】に足を切られたのがいつなのか、オレの錆びついた脳ではもうわからない。たぶん、オレはこの《夜》を最後に文字通り「消える」のだろう。

 それでいい。

 否、そうであってほしい。

 そうであればこそ、オレは詩をかいたのだ。


 この街にいる【召喚者】たちよ、

 どうかオレを、

 詩人アレクサンドル・デリーゼとして安らかに眠らせてほしい。

 もう、オレを「屍人使い」として呼び出さないで欲しいのだ。

 お願いだ……

 この声が、聴こえるものたちよ、

 お願いだ……


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