第87話 カムアウト
「ほんとうに、百年以上前に死んだ方が【召喚】されているのですか?」
たしかに【召喚】されていた。ただし、それはオルフェ七世の純然たる能力のみに帰せられることではないのだが、いまここでそれを語ることは避ける。また、その死者の【召喚】という秘儀について、若い国からきた青年がどの程度理解しているかも疑問だった。いちおうトマス・クレメンズの名誉のために断っておくが、彼は『歓びの野は死の色す』その他の《夜》に関する書物はひととおり紐解いていたし、エリゼ公国や大陸全土の歴史についても無知ではなかった。それでいながらすこしばかり世間を知ったつもりの人間が陥りがちなあの過ち、驕り高ぶりという毒に侵されていたがために、自身の目で見たものしか信じないと言い切る無恥に取り込まれがちだった。むろん、さればこそ、彼ははるばる海を越えてきたのである。そのことは大いに評価されてしかるべき冒険であるが、いまは措く。
「くりかえしますが、それはアレクサンドル葬祭長ご本人なりその末裔のオルフェ殿下なりにおたずねください。もしくはエリゼ公国の支配者たる公爵閣下のおこたえになるべきことです。もうすぐ謁見がかなうはずです。ぼくも一緒に聞かせていただきたい。歴史の証人になれる機会など、そうそうあるわけではないですからね」
「けれど私はあなたにお尋ねしてるんですよ」
つよく迫られて、神官シャルルは無意識に吐息をついた。王を持とうとしなかった国の新聞記者は、王権について素朴な疑問を口にしたわけではなかった。また神官シャルルも、新聞記者という人間がいついかなるときであれ素朴であるなどと思いもしなかった。しかしながらその質問に本来あるに違いない批判というものがすっぽり抜け落ちているかに見えて戸惑った。太陽神殿は事実上、帝国が崩壊するまでは彼らの神がその国の皇帝であり、国家宗教としての在り様を謳歌していたのだ。
そしてまた、ここに来てからトマスがメモをとらないことにも彼は気がついていた。非公式の応答、記録されない言葉を求める異国の青年の真意がつかめず、シャルルはそこにあらわれるであろう案内人の姿を思いながら扉のほうを見た。それが、おのれの怠惰だと知りつつも、自分の言葉を要求される苦痛に耐えかねていたのだ。
「シャルルさん、あなたは誠実な方だ」
「質問にこたえようとしないのに?」
トマスはそこで少し首を傾けるようにして微笑んだ。
「わからないことをわからないということや確信のない応答を拒むのは悪いことではないし、潔く立派な行為と私は思う。とはいえ宗教家の教化という概念とそれは相容れない。むろん、不条理であればこそ神意であると《至高神》の司祭が口にするようにエリゼ派は言うことができない。
私がエリゼ派に取材を申し込んだのは、この魔法の国、さきほどあなたがおっしゃった他国と違う徴をおされた国で、あなた方がもっとも誠実に魔法という『力』を危ぶみ、かといってその存在を頭ごなしに疑うだけでなく、それが在るものとして認め、なおかつ相対化させようと努力しているように思ったからですよ」
「それは、《死の女神》教団もしていることです」
「そうでしょうかねえ? 彼らには説明義務を怠っている印象がありますね。まあ、それは心情的に理解できないってことじゃないんですがね。解明された謎は神秘ではなく、その権力を喪失します。革命の後、神から許されて王となったモーリア国王の威光は失われた。かつて民衆は王の手に触れられれば病が治りその肉体が妙薬であると信じていた。最後の王が断頭台にのぼったときに、その血を頭から被ろうとしたひとびとがいるくらいでしたのにね。今となっては、誰もそんなことはしないでしょう。それと同じく、たとえばこの国の《夜》が科学的に理解されうるものであれば、巷にあふれるエリゼ公国不可侵の説は脆くも崩れ去るのでは?」
「そうした見解をもつ研究報告も少なくはありません。女神の神殿に力があるのは『騎士』と『不死の軍団』にかかっている。または、死者を【召喚】できる葬祭長の魔法が存在です。とはいえ一般に葬祭長が死者を【召喚】できるのは《夜》に限られると信じられています。だからこそ《夜》の解明がエリゼ公国の失墜をもたらすと信じ、それを阻もうとする一派もあるにはありますがそれは少数派で……」
彼はそこでことばを止めて苦笑した。そして異国人の視線をかわし、頭を働かせた。この新聞記者の本当に欲しいものは、《夜》の解明や『騎士』の情報ではない。もっと現実的で建設的な、そして単純でありながら最も根深い問題を取りあげていたのだ。シャルルは早々に決着をつけてしまいたかったので遠慮をかなぐり捨てて質問した。
「クレメンズさん、あなたは、エリゼ公爵家の方々を腑分けしろとお望みですか?」
「ああ、やっと気がつきましたか!」
「しかし、それは」
「腑分けしろとは申しませんよ。生きておいでの方々にメスを入れるわけにはいきません。ですが、他にもやれることはあるのでは? もしくは、これから亡くなられた後には解剖してもいいと一筆いただくのもひとつの方策じゃあありませんか?」
シャルルは口をつぐんだ。それは会議場の外で話されることであって、権力者であるエリゼ公爵家の前で為される内容ではなかったのだ。否、彼本人は一度だけ、ヴジョー伯爵令嬢に面と向かって女神の教団の秘密を開示せよと迫ったことがある。それが、政教条約の根幹であると詰め寄ったのだ。そのときのアンリエット嬢の表情は、思い出すだけでつらかった。彼を馬鹿にしたものであるのなら、反撥を覚えればいいのでそれでもよかった。しかしながら彼女は何かに絶望していた。語ること、そのものへの忌避が見えた。それ以来、シャルルは自分がなにを口にしたのかを考え続け、会議の場でも、発言を控えるようになった。
太陽神殿の長は、そんなシャルルをしずかに見守っていた。会議の議事録は閲覧しているはずだった。それなのに、なにも言われなかったことでシャルルは混乱した。自分が見限られたかと感じたのだ。
とはいえ彼自身の沈黙には意味があった。ひとの意見を聞くことを学んだし、考え続ける気力も増した。以前より、その場にいるひとびとの意識の流れを澄明に把握し、誰がいつなんと発言するのか、またその反論がどんなものであるのかがほぼ確実に読めるようになった。そして、女神の神殿の研究報告通り、より多く話している当人の意向が強く重視される――つまり、公の場で慎みという名で沈黙を期待される女性はそのために自分の意思を伝えることが難しく、意見が通りにくいことも理解した。
そのいっぽう、エリゼ公爵とアンリエットは互いに視線を見交わさず、それでいてある言葉、ある態度に的確に反応し、ときに意見を戦わせながら、その場にいる者にそれとはっきり気づかせないように自分たちどちらかの意見を通した。あらかじめ、出来上がった台本があるのかと訝りながら、シャルルはそうではないと察した。何故なら、彼らの頭のなかにあるのは「最善」という概念で、それは、エリゼ派の神官であるシャルルにとっても忽せにできない一点であった。むろん、善きこととして想定された行為がいつまでも善である保証はこの世のどこにもない。むしろ、逆である可能性、いや当初の予測を裏切る結果のほうが多いという事例もあげられることだろう。シャルルはそれもまた理解していたが、エリゼ公爵家の人間にその歴史的事実を説くのは愚かしいとも知っていた。
「クレメンズさん、あなたはご自身が異能を持つ身であればすすんで献体となることを躊躇しないのでしょう。それが高貴なる者の務めだとも思っていらっしゃるのかもしれない。しかしぼくはそれを他者にまで敷衍するのは留保します。そこにあるのは強要という名の暴力です」
トマス・クレメンズは恥じ入ることはしなかった。それは予期されていた非難だと瞳が物語っていた。それでも、シャルルは彼の両目に悲しみに似た諦めを見て取った。傲慢なまでの冷徹な覚悟を見透かされたことで、トマスは軽く頭をふって顔を伏せた。そして床の大理石を見つめながら、つぶやくように口にした。
「神官さま、人間の歴史において知とは力以外のなにものでもないですよ。民草は愚かではありません。開かれたものを望むことも罪ですか?」
「そうは申しません。エリゼ派は早くから多くのひとびとに教育をひらくべく活動してきました。また、あなたの思う開かれた政治がモーリア王国の革命をさすのでしたら、賛同はしませんが一定の評価もあるべきと思います。人権という概念や、女性の参政権まで獲得しようという動きのあること、われわれがあの国で何世紀にもわたって教化してきたことがあの血塗れの革命で成し遂げられようとしているのですから、革命がもたらしたものは混乱だけではありません。その上で、われわれが一体なにを求め、なにを善とし、なにを失い、また築いていかなければならないか問わないとなりません。
この国は、モーリア王国やあなたの国の植民地政策にさえ、異を唱えるつもりでいます」
「この国? 《死の女神》の教団でなく?」
「『騎士』がいなくなれば、それは同一のものと化します」
トマスは眉を寄せた。一瞬、意味が取れなかったのだ。それから、おのれの察しの悪さを呪うように宙を仰ぎ額に手をあてた。
「まさか! ああ……なんてこった、そうか、そこまでいってしまうのか……敵は、じゃあ、この世のすべてじゃありませんか?」
「すべて、ではありません。全て、などというものは存在しないのですから。そして、『敵』という単語は不穏当です」
シャルルは落ち着いた声でこたえたが、はたして本当だろうかと自身も疑問に思っていた。比喩表現としての「すべて」というのはこの場合、至極正しいようにも感じた。ところが、この今にして初めて、彼はヴジョー伯爵令嬢の気持ちが理解できたように思った。だからそれを自ら表明すべく、まだおろおろと頭をふっているトマス青年にむかって告げた。
「クレメンズさん、ぼくは同性愛者なのです」
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