第40話 ヴジョー伯爵、宰相の昔語りを聞く
私は返答を控え、その分厚いからだが自分の横を通り過ぎていくのをみるにとどめた。
「私には、伯爵より幾つか年上の娘がおります。ご存知ですか?」
「いえ」
「めったに家の外に出ることのない女ですからな。出たとしても、ヴェールを被らずにはひとに会いません。顔に、火傷の痕があるのですよ」
私は彼がモーリア王国からの逃亡民だと思い出した。
この国に来たのは、二十年ほど前になるか。とすれば、彼女が傷を負ったのは戦争による焼き討ちの被害にあったのだろうと見当をつけた。
「そう……ご推察どおり、モーリア王国の都市抗争に巻き込まれましてね。私はある王族の礼拝堂付筆頭顧問で――ああ、私が改宗教徒であることはご存知ですかな?」
彼はくるりと踵を返し私が首肯するのをみとめ、また床を踏みしめるようにしてこちらへと向かいながら口にした。
「それなら話は早い。そのときに妻と娘を人質に取られた結果、妻は死に、娘はどうにか生きて帰ってきましたが……つくづく戦は嫌になり、《死の女神》に恭順した次第です」
私は祭壇にある木彫りの女神像を見つめていた。ずいぶんと古いもののようで、古拙の味わいがあり、あちらこちら色が剥げていたが、やわらかそうな頬や朱塗りの唇のあたりに往時の麗しさはとどめている。
《死の女神》は、徒に殺しあうものを諌める神でもある。神であるものがその命を与えて奪うのだから、人間同士で命のやり取りをする戦争を驕り高ぶりだとするのが彼らの教義だった。
「私はこの十年、ともかくも、この国が平和であるように努力してきたつもりです。それはまた、オルフェ殿下も同じことでしょう」
「殿下は何故、この場においでではないのですか?」
宰相のことばを断ち切るようにした質問に、彼は吐息をついた。
「伯爵、アレクサンドラ姫とは何者ですか?」
「皇帝陛下のお身内かと」
「ごまかさず、おこたえください」
「私にも確証はないのです」
「ならば市門と古神殿に軟禁中の女戦士を拷問せねばなりますまい。彼女たちは死んでも明かすことはないでしょうがな」
私は掌に汗がにじむ不快さをこらえ、彼が個人的それをしたくないと感じても、執政者としてはそれを断行するに違いないと考えた。
「……恐らくは、亡くなられた皇太子殿下のご落胤かと」
宰相は足をとめ、ただじっと私の顔をみていた。それからおもむろに厚い掌で顔を撫でた。
「たしか皇太后は、皇子をひとりしか生みませんでしたな」
「ええ」
「なるほど。女戦士の女王は彼女を故郷で生み育てたということですかな?」
「ある年齢までは、そのようです」
「ただの神官職であるあなたが何故、そんなことまでご存知なのですか?」
「一時期は頻繁に黄金宮殿へ出入りしましたので、噂は耳に入りました」
「それは正確なこたえではありませんな。あなたは皇族のすぐ側にいたはずです」
私は観念した。
「ええ……そうです」
「皇帝陛下の近衛兵のお役につく寸前までいったとか」
「それは、お断りしました」
「何故?」
「学問をしなければなりませんでしたから」
「そうではありませんでしょう? あなたは他に大事な方がいたから、その方の気持ちを慮って陛下のご寵愛を斥けた。違いますか?」
ああ……。
私は声なくうなだれていた。
「伯爵、今になってこんな昔のことを問い質されて不愉快でしょうが、私ども死の女神の神殿にとっては大事なことなのでご了承いただきたい。
葬祭長が生きて戻れるかどうかは、あなたの肩にかかっているといっても過言ではないのです」
「ゾイゼ宰相、それは」
勢い込んだ私へと落ち着くように手で制し、懐から手紙をさしだした。
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