第36話 女戦士の姫君アレクサンドラ、暗殺者としての自身を振り返る

 あたしがオルフェ殿下の私室で向かい合って出した条件。

 それは、『殿下自らがエリスを救出する』ことだ。

 まさか彼女を救出した張本人がエリスを「売った」とは思わないだろうという仕掛けとともに、もうひとつ。

 あたしは、彼が自分の意志で動くところを見たかった。

 周囲の思惑に従うふりでただ甘やかされて生きてきた彼が、はたしてどこまでやれるのか。

 あたしにはそんな、ちょっと意地悪な気もあった。

 けど、こっちの思惑を裏切るようにオルフェ殿下はいざとなったら迷わなかった。

 日が落ちる前にと、いきなりあたしの手をひいた。

 びっくりして目をしばたくと、彼はいった。

「アランは単独行動をとっているはずです。そうでなくとも、目立たぬ人数でしか兵を動かしていません。手勢を引き連れてあちらに気取られては拙い」

「だからって」

「あなたの女戦士たちを解放してはこちらの動きに気づかれます」

「目算はあるの?」

 彼はこちらを見おろして、あっさりと言った。

「アランが迷っているのだとしたら、あります」

「どういうこと?」

「それは道々、おこたえします。ともかくも、行きましょう」

「ちょっと待って、伯爵はどうするのよっ」

「ぼくに代わって、別件を抱えた宰相の相手をしてもらうよう書き置きします」

 立ったまま命令を記す相手のしずかすぎる横顔に、あたしのほうが慌てそうになる。

「アレクサンドラ姫」

 彼はこちらを見ずに、あたしの名を呼んだ。

「ぼくの命はこの国の将来にとってあまり重みはありません。皇帝陛下が妹のエリスを返してよこしたのは、彼女にこの国の権利を委譲しろという声なき命令だとぼくは認識しています」

「それは」

「皇帝陛下はモーリア王国とこの国が交戦することをお望みです。これ以上、帝国版図が縮小するのを食い止めよという意味で姪の姫君をぼくに娶わせ、さらにはきっと、ぼくにくれるという大砲でさえ、実は陛下のお指図ではないかと想像します」

「たしかに、そのくらいの裏取引はするだろうね」

 あたしが嘆息すると、彼はようやく顔をあげてこちらを向いた。

「ぼくは、戦うのが怖い」

「殿下」

「この国のひとびとを殺されるのが怖い。それを避けるためにしてきた努力が費えるのが恐ろしいのです。

 ルネがエリスを選ぶというのは、エリスが彼を選ぶというのは、ぼくのしてきたことを無にする行為だ。そうは思いませんか?」

「そう思うよ」

 あたしは、それをわかっていた。

「けどね、エリスはそれを理解してたから、よその国へ勧進に出るつもりでいた」

「え」

「ゾイゼ宰相と昨日、そういう話になったみたいだよ。それに、ヴジョー伯爵も、エリスをそういう意味で引きとめようとはしてなかった」

「そんな」

「ほんとに。本人に訊くといいよ。それこそ尋問するために閉じ込めたんだろうから、そうすればいい。あの男はあなたにうそはつかない」

 そのことばで、彼は自分の疑心暗鬼がアラン・ゾイゼ騎士団長の先走りを生んだと察したに違いない。

 殿下は打ちのめされたようすで机に手をつき、けれどすぐに顔をあげた。

「……ならば余計、ぼくはこの国に命を捧げないとなりませんね」

 あたしは何もこたえなかった。

 あたしなんかの答えに、意味はないと思ったから。

 彼よりももっとずるく立ち回ろうとした自分を思い出し、腰にさげた剣の柄を握りしめて、頭をきりかえた。同情のことばは、いまの彼には追い討ちにしかならない。

「あの男に勝つための方策はあるの?」

「勝ちにいくわけではありません。ぼくがしなければならないのは、エリスを取り返すことです」

「大砲は?」

「それは、貴女のほうがご存知のはずです。大砲の造り主は貴女の教師だった人物ですよね?」

 それを聞いたあたしは天井を仰いでつぶやいた。

「《死神トト》が来てるのか……」

 彼にこちらを流し見されて、あたしはこれ以上、しらばっくれることができないと諦めた。

「どこまで知ってるの?」

「あの日記に書いてあったことくらいです」

「それでもあたしを信じるの?」

 オルフェ殿下はこれ以上ないくらい綺麗な笑顔をみせた。

「たとえ貴女がぼくを殺すために遣わされた人物だと知ったからといって、この状況で、貴女を信じないわけにはいかないでしょう」

 それは、間違いなく事実でもあった。

 陛下はたしかにそうも言った。

 でもそれは、あたしに下された命令のひとつでしかない。

 ただ、それを今ここで口にしても意味はないと、あたしは知ってる。

 それだけじゃなくて、あたしも、それに対して返すことばはなかった……。

 初めて彼に会ったとき、あたしが自分の正体を見抜かれたことで動揺したのは、彼があたしの初めての、そして恐らく最後になるであろう、この世でただひとりの標的だったから……。


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