第12話 名乗り


 立ち上がった銀髪の娘が、マサヒデを見つめている。


「お腰の物をお預かり致します」


 横に立っていた給仕の男が、頭を下げている。


「む」


 一瞬マサヒデはためらったが、アルマダはためらいなく剣を外して渡す。

 それを見て、マサヒデも腰から大小を抜いて渡した。

 マツもそこでベールを取って「お願いします」と男に渡す。


 そして、マサヒデは立ち上がった銀髪の娘に向き直り、歩き出した。

 と、銀髪の娘はスカートの両脇を持って、ぱたた、とマサヒデの所に駆け寄って来た。テーブルの横に立っていた執事らしき男も「お嬢様!」と声を上げ、娘の後について駆け寄って来る。


「マサヒデ様ー!」


 ばさ、と娘がマサヒデに飛び掛かり、抱きついた。

 マサヒデも驚いて、後ろ足を引いてしまった。

 横にいるアルマダとマツが「おやおや」「うふふ」と声を上げる。


「ああ! マサヒデ様!」


 娘は感極まったように声を上げ、ぐいぐいとマサヒデに顔を押し付けている。

 マサヒデは娘の様子を見て、最初こそ驚いてしまったが、何となく落ち着いた。


「さ、落ち着いて下さい」


 自分にも向けた言葉だ。落ち着け。

 稽古の時と同じ。まずは腕を見せて下さい、だ。


「あなたの顔を、見せて下さい」


 娘が顔を上げた。

 輝く銀色の髪。真っ赤な瞳。


 試合の時とは違って、今は、あの何の表情もない目とは違う。

 今はその目に表情がちゃんと宿っている。輝いて、綺麗に見える。


「うん」


 娘も少し落ち着いたのか、マサヒデから一歩離れた。

 下に俯いて、小さな声でマサヒデに謝った。


「あ、あの・・・申し訳ありませんでした」


「大丈夫です」


「私、こういう場(見合い)は初めてなんです」


「私もです」


 娘は自分の服を見て、


「私、変ではありませんか」


「変ではないですけど、試合の時とは随分と、顔というか・・・変わりました」


 はっ! として、娘が顔をぺたぺたと触る。


「お化粧が、崩れちゃって・・・」


「いや。違います。目が全然違う」


「目」


「はい。失礼だと思いますけど、正直に言いますね。

 試合の時のあなたの目は、何もなかった。

 目は生きているのに、全く表情がないというか・・・剣で言う、無心でした。

 はっきり言って、私は、あなたの目を見て、怖ろしさを感じました」


 娘は俯いてしまった。


「下を向かずに。もう一度、顔を見せて下さい」


 不安そうな顔で、娘が顔を上げた。

 やはり、試合の時のような、無心の目ではない。


(少し不安が宿ってはいるが、やはり目が違う。表情がある。今、この目には、心がある。生きた輝きがある)


 マサヒデは娘の目をじっと見つめて、正直に言った。


「・・・うん。やはり、今は違う」


「・・・」


「あなたの目は、輝いて見える。

 今のあなたの瞳は、すごく綺麗です。美しいと思います」


 ぼん! と音を立てそうに娘の顔全体が赤くなった。

 娘は「はあ~」と小さく声を出し、ふらふらしだした。


「あっ!」


 と、驚いてマサヒデは踏み出し、ふらついた娘の背に手を回す。

 執事も慌てて娘の背に手を回し「お嬢様!」と声を掛ける。

 マサヒデは慌てて振り返り、


「私、何か失礼なことを!?」


 アルマダがにやにやして、


「さすがマサヒデさん。やりますね」


 マツがすごい目でマサヒデを睨んでいる。背から、あの黒いオーラが立ちのぼっている。

 「う!」とマサヒデは固まってしまった。

 壁に並んだ給仕達から「ひっ」と小さな声が上がる。

 執事も怯えた顔で、マツに顔を向ける。


「・・・」


「さ、マツ様。今日は押さえて」


 さすがに、もうアルマダも慣れたものだ。

 自分に向けられたものでなければ、簡単にマツを流せるようになっている。

 軽く、ぽん、とマツの肩に手を当て「さあ」とマツに声を掛ける。


 ゆっくりと、マツの背中から黒いオーラが消えていった。


「・・・そう、ですよね・・・」


「そうですよ。目出度い席なんですから」


「で、ではお三方、席へどうぞ」


 執事は「ああ」と小さな声を上げてふらふらする娘の背を支え、歩き出した。

 少し離れて着いて行きながら、マサヒデは小さな声でアルマダに話し掛ける。


(私、失礼なことを言ってしまったんでしょうか)


(いいえ。最高でした。良かったですよ)


 アルマダはにこっと笑って、マサヒデに笑顔を向けた。


(・・・)


 マツは無表情だ。


 そういえば、カオルは『吸血鬼』と言ったら嫌な気分になるかも、言っていた。

 赤い瞳も、吸血鬼といえば定番で、よく聞く話だ。

 アルマダは良かった、と言ってくれたが、瞳には触れてはいけなかったのかもしれない・・・



----------



 ふらついた娘を座らせ「さあ、お嬢様。お飲み下さい」と、執事は膝をついて水を飲ませている。


 マサヒデ達も席に着く。

 給仕が椅子を引いてくれて、腰を下ろした所にす、と椅子を入れてくれた。


 娘の正面にマサヒデ。

 左右に、アルマダとマツ。


「お嬢様が、大変失礼を。お許し下さい」


 と、執事がまっすぐに立ち上がって、頭を下げる。


「い、いえ。そんな、とんでもない。私こそ」


 慌ててマサヒデも立ち上がって、頭を下げる。

 座り直すと、執事は不安そうな顔をマツに顔を向けた。


「・・・大変失礼ですが、お名前をお聞かせ願いますか?

 国にいた頃、何度かパーティーでお見かけした覚えが」


「マツ=マイヨールです」


「マイヨール・・・あの、もし間違いでしたら、大変申し訳ありません。

 似ているとは思いましたが・・・『マツ』様、そのネックレスは・・・」


「あら。もしかして、お気付きに?

 色々とありまして、ここしばらく母の姓を名乗っておりまして」


「で、では、やはり貴方様は」


 マツは「しー」と、笑顔で口に人差し指を当て、執事の言葉を止め、片目を閉じた。


「時がきましたら、ね」


「は」


 執事の額に一筋の汗が流れ、胸に手を当てて、深く頭を下げた。

 彼は、マツが魔王の姫だ、と、気付いたようだ。


「うふふ」


「ふふ、驚きましょうね」


 落ち着いた所で、マサヒデは前に置かれた食器を見た。


 ナイフとフォークが数本ずつ、皿の左右に並んでいる。

 これは困った。

 使い方が、全く分からない。


 右と左に置いてあるから、それぞれの手で使うのだ、とは予想がつく。

 だが、複数本、並んでいる。

 どの料理に、どれを使えば良いのか・・・


 まだ娘はふらふらしている。

 食事が始まる前に、聞いておこう。


「あの、アルマダさん」


「はい」


「これ、どう使うんですか」


「ああ、マサヒデさんは初めて使うんですね。基本的に外側からです。

 フォークで軽く押さえ、ナイフで食べやすい大きさに切る。

 今はそれだけで十分です。あ、そうそう、手で食べるものもありますけど・・・

 ま、私やマツさん、ご令嬢を見て。それで問題ありませんよ」


「はい・・・」


 本当に、それだけでいいのか?

 不安で仕方がない。



----------



 娘は少し落ち着いたのか、静かに水の入ったグラスを置いた。

 アルマダがすっと立ち上がり、胸に手を当てて、娘に頭を下げた。


「アルマダ=ハワードと申します。

 本日は、トミヤス様の友人として、此度の立会人として、参上致しました。

 厚かましく顔を出したこと、どうかお許し下さい」


 マツも立ち上がり、ドレスの端を軽く掴んで、すっと頭を下げた。


「マツ=マイヨールと申します。

 私、魔の国の出。何度かレイシクランの方々と席を共にしたことがございます。

 本日は懐かしさのあまり、どうしても、とマサヒデ様に供を願い、図々しくも立会人として参りました。どうか、この席につくことをお許し下さいませ」


 2人の挨拶は、堂々としすぎている。

 マサヒデも立ち上がったが、言葉が浮かばない。


「マサヒデ=トミヤスです!

 本日はお招き、ありがとうございます!」


 何とかそれだけ言って、頭を下げた。

 娘も慌てて立ち上がり、マツと同じように、ドレスの端を持って頭を下げた。

 ぴたり、とそこで動きが止まる。


 少しして、娘が名乗った。


「クレール・・・クレール=フォン=レイシクランです」


 そう言って、娘は顔を上げ、マサヒデを向いた。

 マサヒデも顔を上げ、はっ、として、曲げていた背を伸ばした。

 感極まったのか、娘は涙を流している。


「マサヒデ様・・・やっと・・・やっと、名乗ることが出来ました。

 この時を、心待ちにしておりました。

 私、クレール=フォン=レイシクラン・・・クレールです・・・」


 娘の名はクレール。

 クレール=フォン=レイシクラン。

 これから、マサヒデの2人目の妻となるかもしれない娘。

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