「愛」とは 4

(愛がわからない、か)


 眠っているリオンの顔を見つめながら、フィリエルは考える。

 フィリエルを腕に抱きしめて眠りについたリオンの顔には、少しだけ苦悶が浮かんでいるように見える。

 もぞもぞと腕の中から抜け出して、前足でリオンの眉間に触れた。


(眉間の皺ー)


 寝ていても皺が寄っている眉間をなでなですると、表情が穏やかなものに変わった。


(何に悩んでいるのかはわからないけど、夢くらい幸せな夢を見てほしいな)


 愛がわからないと言ったリオンの、言葉に乗せられた真意はわからない。

 だが、フィリエルには「愛されることがわからない」というより、「愛することがわからない」と言っていたように聞こえた。

 誰かを愛するということは心を開くということで、他人に心を閉ざし続けたリオンには、まだそれが難しいのかもしれない。


(でもね、陛下。わからないっていうけど、愛ってわかるものじゃないと思うの)


 フィリエルだって、愛が何なのかを説明しろと言われたら困る。

 だって、愛はときに自分の意思すら無視する、理不尽で残酷な感情だ。

 もし自分の意思でどうにかなるものであるなら、フィリエルはとっくにリオンを嫌いになっていただろう。


 ずっとお飾りの妃で、放置されてきて、いっぱいいっぱい傷ついて、たくさん泣いたけれど、それでもリオンを嫌いになることはできなかった。

 どうして嫌いになれないのか。リオンの何が好きなのか。言葉で説明しろと言われても、フィリエルにはできない。

 だってそれは感情の問題で、感情に理由をつけるのも、理性でどうにかしようとするのも、不可能に近い。


(無視された五年の間、わたしが陛下を嫌いになる要素も理由もたくさんあったと思うけど、要素とか理由とかで嫌いになんてなれなかったの)


 これ以上傷つくのが怖くて逃げだしたけれど、嫌いにはならなかった。


(だからね、陛下。難しいことを考えたらだめですよ。答えなんて、出ないんだから)


 それでもリオンが、ふとした瞬間に誰かを愛おしいと思えるようになればいいと思う。

 それがフィリエルに対してならとても嬉しいけれど、フィリエルに対してでなくても、誰かに対してそういう感情が抱けるようになったらいい。


(陛下はこれまでいっぱい傷ついたから、幸せにならなくちゃだめですよ。だから余計なことは考えたらだめなんです)


 答えの出ない問いに悩まされていたら、きっとつらいだけだ。

 愛は悩むものでも努力するものでもない。

 リオンはフィリエルに向き合おうと努力しているが、その努力で愛が生まれるかどうかは別の話なのだ。


(陛下があんなことを言い出したのはたぶんお兄様のせいよね。いったい何を言ったのかしら?)


 フィリエルを愛していないならイザリアを側妃にしてもいいだろう、とか言ったのだろうか。


(……あり得る)


 政略結婚は、愛だ恋だなどという感情は後回しにされがちだが、あの兄ならいいそうだ。

 ステファヌは、フィリエルに縁談が来ていたときも「この中なら国としては誰でもいいから、お前が好きな男を選べ」と言ったくらいである。

 だからフィリエルはかねてから片思いしていたリオンを選んだ。

 それを後悔した日もあるけれど、結果として、今はリオンを選んでよかったと思っている。


(ま、猫になるとは思わなかったけど)


 フィリエルはそっとリオンの頬に口を寄せた。


(ねえ陛下。陛下は愛がわからないというけど、一つだけなら言えますよ。わたしは、陛下を愛しています)


 愛は理不尽で残酷でときにものすごい苦しみを与えてくるけれど、とても幸せな感情だ。

 フィリエルはリオンの腕の中にもぐりこむと、彼の胸にぺったりとくっついて目を閉じた。

 自分は、リオンを愛している。

 リオンがこの先同じ気持ちを返してくれるか否かは、どうだっていい。

 だって、愛は見返りを求めるようなものではないから。


(もう一つ答えがありました。もしこの先、わたしを一生愛してくれるという別の男性が現れても、わたしは陛下がいいです。離縁なんて、しません)


 この先一生猫でも、リオンが側妃を迎えても。

 どれだけ傷つけられることがあっても。

 フィリエルはきっと、一生リオンが大好きなままだ。


 なんとなくだが、それだけは間違いないだろうと、確信した。






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