「愛」とは 2

 リオンは朝から仕事なので、フィリエルは日課となっている散歩に出かけた。

 散歩と言っても、外は暑いので城の中を歩き回るだけである。

 てってって、と歩き回っていると、あちこちから「お猫様ー」と呼ばれる。ステファヌたちがいる間、「リリ」もしくは「お猫様」と呼ぶようにリオンが通達したからだ。


「クッキー食べますか?」

「にゃー‼」


 クッキーの単語にフィリエルは即座に頷いた。

 メイドが手に持っていたクッキーをフィリエルの口に入れてくれる。

 もしゃもしゃと食べていると、メイドがうっとりと頬を染めてそーっと手を伸ばしてきた。


「撫でてもよろしいですか?」

「にゃ!」

(いいよ)


 返事をすれば、メイドがフィリエルの頭を撫でて、ほーっと息を吐き出した。


「ああ、なんてお可愛らしい……」

(わたし、すっかり城のペットになったなあ)


 フィリエルにお菓子をくれて頭を撫でたがるのは、何もこのメイドだけではない。

 メイドも女官も兵士も、果ては大臣たちまで、フィリエルを餌付けしてなでなでしたいと思っているようだった。

 さすがに全員にお菓子をもらったらデブ猫まっしぐらになるので自制はしているが、彼らはありとあらゆる手を使ってフィリエルにお菓子攻撃を仕掛けてくるから困る。


(せっかくスリムボディに戻ったのに、また太りたくないもんね!)


 毎日の散歩と食事管理で、ふっくらと丸くなっていた体形は元に戻った。

 しかし、人のときと違って猫のときは食に貪欲なので、油断していると欲求に負けてしまう。

 ここは鋼の精神が必要だ。クッキーなんかに負けな――


「もう一枚食べますか?」

「にゃー‼」

(食べるー‼)


 メイドが取り出した二枚目のクッキーに反射的に口を開けて、フィリエルはがっくりとうなだれた。

 このままこのメイドの側にいると、三枚目、四枚目のクッキーが出てくる可能性があるので早めに退散しよう。たぶん抗えない。鋼の精神は、フィリエルには無理だった。

 ばいばい、と前足を上げると、メイドに残念そうな顔をされたが、彼女だって仕事の途中なのだ。いつまでも猫と遊んではいられない。


 あちこちから「お猫様」と声をかけられるのに、ひとつひとつ「にゃあ」と返事をして歩き回っていたフィリエルは、ふと足を止めた。

 王妃の部屋の前に、イザリアが立っていたからだ。


(……な、なんかもめてない?)


 王妃の部屋の前には扉を守る兵士が立っている。

 その兵士に向かって、イザリアが食って掛かっていた。


「いいから開けなさいよ!」

「申し訳ございませんが、陛下、もしくは王妃様の許可がなければ開けられません」

「じゃあ中にいるお姉様に許可を取ればいいでしょう? わたくしが来たと言えばお姉様なら開けてくれるはずよ!」

「現在王妃様はお休みになられていますので……」


 必死に「いけません」という兵士に、フィリエルは心の中で謝った。

 兵士たちは中にいるのがフィリエル人形だと知っている。

 さすがに魔女の作品だとは教えられないので、ただの人形だと伝えてあるが、逆にただの人形だと思っているからこそ彼らは必死だ。中のフィリエルが人形だと知られたら減棒ではすまされないだろうから。


(もとはと言えばわたしのせいだから申し訳ないけど、たぶん、上から怒られて減棒どころか降格処分にもなりかねないもんね)


 要人の扉の警護を任されている兵士は、兵士の中でも上の人間だ。特に平民上がりの兵士はたくさんの努力をして今の地位を築いたはずである。絶対に降格されたくないだろう。


「寝ているなら寝顔を見るだけでもいいわよ! いいから開けなさいってば!」

(まったくもう、イザリアっば、他国で我儘を言うんじゃないわよ)


 兵士たちは隣国の姫である。ゆえに強くは出られないが、けれども決して通してはならない。板挟みでとっても可哀想なことになっていた。


「にゃー!」


 見かねて声をかけると、フィリエルに気づいた兵士がホッと息を吐き出す。


「おう――お猫様」

(うん、今危なかったね)


 安心したのか、うっかり「王妃様」と呼びそうになった兵士にフィリエルはヒヤッとした。途中で言いなおしてくれたよかった。

 兵士の視線がこちらに向いたので、イザリアもフィリエルの方を向く。

 そして、忌々しそうに眉を寄せた。


(あんれー? なんか嫌われてる? 猫パンチをお見舞いしたからかな? でもあれはイザリアが悪いからね)


 イザリアは動物嫌いではなかったはずなのだが、何故か敵意を向けられている気がする。

 きょとんと見上げると、イザリアがずんずんこちらに近づいてきた。


(うん? やる気? やる気なの? 受けて立つわよ?)


 イザリアからなんとなく殺気らしきものを感じて、フィリエルは上体を低くしてふしゃーっと威嚇した。

 小さい頃はよく姉妹喧嘩をしたものだ。成長してからはフィリエルが折れることが多くなったが、今は猫。引き下がってはやらないのである。


 カツン、とヒールを鳴らして、イザリアがフィリエルの前に仁王立ちになった。

 イザリアの背後の兵士たちがハラハラしているのが見える。


(そんなに心配しなくても、ナイフとフォークより重たいものを持ったことがないイザリアより、わたしの方が強いわよ! たぶん!)


 いつでも飛び掛かれるように神経を研ぎ澄ませていると、イザリアが腕を組んで、ふんっと鼻を鳴らした。


「どうしてリオン陛下は、お姉様よりもこんな猫が大切なのかしら?」

「にゃ?」

「こんなぶっさいくな猫の何がいいのかしらね?」

「に……」

(ぶさ……)


 ぴしっとフィリエルは凍り付いた。


(ぶさ、不細工って言った? 不細工って言った⁉ こんなに可愛い猫に向かって不細工って言った⁉)


 わなわなと震えるフィリエルには気づかず、イザリアはこれ見よがしなため息を吐いて続ける。


「凶暴で不細工で、その辺の野良猫の方がよっぽど可愛いわ。わたくしが陛下の側妃になった暁には、とっとと捨てて――」

「にいやああああああああ‼」


 ぷちっとキレたフィリエルは、大きく跳躍してイザリアに飛び掛かった。


「きゃああああ! 何なのこの猫‼ 本当になんて凶暴なの‼ ちょっと、あんたたち、助けなさいよ‼ 痛っ、痛いっ」


 フィリエルが肩に爪を立ててぶら下がると、イザリアが喚きながら暴れ出した。

 兵士たちがハッとして駆け寄ってくる。


「お、お猫様、落ち着いてください!」

「そうですお猫様! お猫様はとっても美人ですよ!」

「ええ、とっても可愛らしいですから、お心をお沈めください‼」

「深呼吸、深呼吸ですよ‼」

「ほんと何なのよこの猫‼」


 あんたの姉です、とはもちろん言えない。

 兵士たちも「あなたの姉君ですが」と言いたそうな顔しつつ黙っている。

 兵士たちに引きはがされて、フィリエルはイザリアに向かったふーっと口から威嚇音を出した。


(絶対に側妃になんてさせるものですか‼ 人間に戻った暁には覚えてなさいよイザリア‼)


 イザリアはふんっと鼻を鳴らすと踵を返してずんずんと歩き去って行く。

 イザリアが見えなくなると、兵士がフィリエルをそっと廊下に下ろしてください。


「とても助かりましたけど……、お猫様、さすがに飛び掛かるのはまずいですよ」

「にゃあ‼」

(喧嘩を売ったのはイザリアの方! わたしは買っただけ!)


 ムカムカがおさまらないフィリエルは、ヴェリアのところに行って愚痴ってこようと、てってってっと駆けだした。





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