消えた王妃の心 2

「にゃにゃにゃにゃーん。にゃにゃにゃにゃーん」

「なに妙な歌を歌ってるんだい?」


 獣医の部屋の出窓に飛び乗って、そこから見える城の庭を見下ろしながらフィリエルが鳴いていると、ヴェリアが背後からあきれた声で問いかけた。


「にゃー!」

(間女の父親を発見したから呪ってるのよ!)

「間女って、陛下とは結局何もなかったじゃないか」


 ヴェリアがやれやれと肩をすくめて、窓に近づいてきた。


「ああ、あれがボルデ公爵かい。なんだろうねえ……不細工ではないんだが、何となくカエルを彷彿とさせる外見だねえ」

「にゃにゃ?」

(ここから見えるの?)

「魔法で視力を強化してるからね」

「みゃー」

(魔女って本当に便利!)


 そんなことができるのかと感心しつつ、フィリエルは庭を歩いているボルデ公爵を睨む。


「にゃにゃにゃにゃーん」

「だからおやめよ。呪いなんてかけてもろくなことにならないよ。呪いはかけた方にも跳ね返るからね」

「なー」

(気分の問題よ。わたしは魔女じゃないから呪いなんてかけられないし)

「そうでもないよ。魔女でなくとも、大きい憎悪を向けるだけで呪いになることもあるからね。ま、あんたの場合は憎悪っていうには可愛らしい感情だがねえ。どうぜ、ムカつくから転んでしまえ、程度のものだろう」

「にゃ⁉」

(なんでわかったの⁉ 超能力!)

「そんなわけあるかい。あんたの不穏そうな空気を見てればなんとなく悪いことを考えてるのはわかるよ。……ま、転ばせるくらいなら、呪う必要もないけどねえ。今日はサービスだよ」


 ヴェリアがぱちりと指を鳴らした。

 その途端、庭を歩いていたボルデ公爵がべしゃっと顔面からすっころんだ。


「どうだい、少しは気分が晴れたかい?」

「にゃっにゃっにゃっにゃっ」


 ぷくくく、と笑うと、ヴェリアが「悪い顔だねえ」と苦笑した。

 悪い顔だろうと何だろうと、いい気味はいい気味である。

 昨夜リオンの寝室にブリエットが侵入したが、それは彼女の父親であるボルデ公爵の差し金だったのだ。宰相の権力を使って兵士たちにブリエットがリオンの部屋に忍び込むのを黙認させ、スープに媚薬まで忍ばせたのである。


(許すまじ!)

「人間だったころにも、我慢なんてせずに、そのくらい感情豊かでいればよかったんだろうにねえ。まあ、無理だったんだろうけどさ。って、こら、窓に爪を立てるんじゃないよ。傷になったらあたしが弁償させられるかもしれないだろう?」

「にゃう」

(おっと、つい)

「つい、じゃないよ、まったく。ほら、紅茶を上げるからこっちにおいで。ああ、ダイエット中だから蜂蜜はダメなんだっけ?」

「にゃぐっ」

(それを言わないで!)

「くくくく、自分の意思でダイエットする猫なんて、世界広しと言えどあんただけだろうねえ」


 ヴェリアが笑いながら紅茶を淹れて、フィリエル専用の皿に注いでくれる。

 ヴェリアがソファに座ったので、フィリエルはテーブルの上に飛び乗ると、飛び散らせないように気を付けながら紅茶を舐めた。


「それにしても、ボルデ公爵って言ったら、例の宰相だろう? ほら、あんたがこの国に嫁いできたときに、リオン陛下が……ああ、当時は王太子だったねえ。リオン王太子が、あんたを嫌っているから不用意に近づかないようにって釘を刺しに来た」

「にゃ!」


 フィリエルは紅茶を飲むのをやめて大きく頷いた。

 ドキドキしながら初恋のリオンに嫁いで、一人淋しく初夜をすごしたフィリエルの元に翌日訪れたボルデ宰相は、「リオン殿下は国のために妃殿下をお娶りになりましたが、妃殿下のことは快く思っておりません」と告げたのだ。

 ショックを受けて固まるフィリエルに、リオンが名前ばかりの夫婦であることを望んでいると言って、宰相は茫然とするフィリエルを放置して去って行った。


「思ってたんだが、それって少し変だよね」

「にゃ?」

(なにが?)

「なにがって、宰相の発言だよ。陛下本人が言うならわかるよ? でもなんでわざわざ宰相が陛下の心を代弁しに来るのさ。貴人の心を勝手に慮って発言するのは場合によっては罪になるんじゃなかったっけ?」

「なー」

(陛下が宰相に言うように言ったんじゃないの?)

「わざわざ? そんなの自分で言えばいいじゃないか。当時……陛下は二十歳だっけ? 小さい子供じゃあるまいし、妻の反応が怖いから代わりに言ってほしい~なんていうタイプかい?」

「……にゃー」

(……言われてみれば確かに)


 宰相からリオンに嫌われていると聞かされてショックを受けて深く考えなかったが、リオンは「あなたとの間の子はいりません」と本人を前にずけずけと言うような男である。フィリエルと仮面夫婦を望んでいるのならば自分の口で言うはずだ。


「それにだ。あんた、結婚前に陛下とどのくらい関わったことがあるんだい?」

「にゃー」

(子供のころに一回遊んでもらったことがあるのと、あとは十六で成人してからパーティーで二回ほどあったことがあるわ。そのときは挨拶を交わしただけだけど。それから婚約式のときだけど、そのときは儀式だけでほとんど話してなかったはずよ)

「たったそれっぽっちしか会ってないのに、あんたのことを嫌っているのも変じゃないか。人が人を嫌うには相応の理由があるはずだろう? 結婚式の時点で、陛下はあんたを嫌いになるほどあんたのことを知らないじゃないか」

「なーぅ?」

(そういうものかしら?)

「じゃあ逆に、あんたは二、三回『こんにちは』って挨拶をしただけの誰かを嫌いになるのかい?」

「なー!」

(そんなわけないじゃない!)

「リオン陛下は、その程度で人を嫌いになるような性格がねじ曲がった男かい?」

「なー!」

(違うわよ! ……たぶん)


 リオンのことをよく知らないので断言できないが、リオンは挨拶を交わしただけの相手を嫌いになるような人ではないと思う。まあ、人間全般嫌いと言われればそれまでだが。

 ヴェリアがにやりと笑った。


「なんか裏がありそうだと思わないかい?」

「な?」

(裏?)

「宰相は、陛下に媚薬を持って娘をけしかけるような男だよ。たぶん、陛下の妻の座……というより、次期国王の外祖父の座を狙ってるのさ。あんたと陛下の不仲は、もしかしたら宰相の差し金かもねえ」

「にゃ⁉」

(なんですって⁉)

「もちろん、そうだったら面白いねってあたしの願望も入っているけどね。あながち的外れでもないだろう?」

「みぃー」

(そう言われれば、そうかも……)


 ヴェリアは手を伸ばして、ちょん、とフィリエルの鼻をつついた。


「どっちにしても、自分勝手に暗躍するようなやつが宰相だと、陛下も大変だねえ。今回の娘の夜這いは失敗したわけだが、あのタイプはそう簡単にはあきらめないんじゃないかい?」

(本当よ‼)


 フィリエルは窓の方を振り返って、きらりと紫色の瞳を光らせた。


「にゃー‼」

(宰相、許すまじ‼)


 せっかく猫になったのだ。この姿をいかして、宰相の近辺を探ってやろうと、フィリエルは笑った。




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