後妻のすすめ 2
「日に日に猫らしくなっていくねえ」
くつくつと肩を揺らして笑いながら、ヴェリアがフィリエルの前に皿を置いた。その中には冷ました紅茶が入っている。フィリエルが紅茶が飲みたいと言ったら、ヴェリアがたまに出してくれるようになったのだ。
「それにしても、猫になっても味覚って変わらないものなのかい?」
「にゃー」
(前より味に敏感になったけど、好みはたぶん変わらないと思う)
だからなおさら、ティータイムがないのが悲しい。
美味しいお菓子に美味しい紅茶。
かつて、ただ一日が過ぎるのをぼーっと待つだけの生活を送っていたフィリエルが、唯一楽しみにしていたのがティータイムの時間だった。
「みゃあ」
(チョコレートとか食べたい)
「あー、やめときな。猫にチョコは毒だからねえ。ま、あんたの場合はもともと猫だったわけじゃないから大丈夫な気もするけど、もしあんたに何かあったりしたら、間違いなくあたしの首が飛ぶからね」
「にー?」
(ペットが死んだくらいで処刑なんてされないでしょ?)
「あの王様のあんたへの溺愛具合を見ても断言できるかい?」
(溺愛……)
恥ずかしくなって、フィリエルは前足で顔を洗う動作をした。
「にゃぁ」
「照れてんじゃないよ」
ヴェリアがあきれ顔をする。
「第二の人生を自由に謳歌するって猫になっといて、実際のところはペット人生を謳歌してるじゃないのさ。まったく、困った子だね」
「にゃぐっ」
その通りなので反論できない。
だが、今もまだ、自由な猫生活を諦めているわけではないのだ。
ただ何となくリオンが気になって、彼の内に秘められた本当の心に触れることができるまでそばにいたいなと思っているだけである。
(まあ、こういう思考に陥っている時点で、初志貫徹できていないわけだけど……)
でもいいのだ。だって「自由なセカンドライフ」を謳歌すると決めたのだから。これの意思も、ある種の自由だろう。そういうことにしておいてほしい。
「それにしても、あたしは『獣医』として雇われてるはずなんだがねえ、あんたの王様は獣医とペットシッターをはき違えてるんじゃないのかね。ここは託児所ならぬ託猫所じゃないんだがねえ」
そうなのだ。
執務室で書類仕事だけをするときなら、執務室にフィリエルを連れて行ってくれるリオンだが、さすがに会議だなんだと立て込んでいるときはそうはいかない。
しかし部屋に残しておくとまたフィリエルが部屋を荒らすかもしれないと警戒しているようで、飼い猫がヴェリアに懐いていると知ってからはここに預けていくようになった。
(さすがにもう部屋の中を荒らしたりしないのに)
と思うものの、リオンには言葉が通じないのだから仕方ない。
「あんただけならいいけど、そのうち新しい猫とか拾ってここに連れてきたりしないだろうねえ」
「にゃー」
(新しい猫なんていらないわ)
「あんたがそうでも、わからないじゃないか。城に迷い猫が入ってきたら広いそうだよ、あの王様」
フィリアはむっと目をすがめた。
なんだろう、他の猫を可愛がっているリオンを想像すると無性に腹が立ってくる。
「猫に焼きもちとか、あんた本当に猫道に磨きがかかったね」
ヴェリアがやれやれと肩をすくめる。
そして続けて軽口を叩こうとした彼女は、ハッとしたように唇に人差し指を立てた。
そのわずか数秒後に、コンコンと扉が叩かれる音がする。
「開いていますよ」
ヴェリアが改まった口調で返事をした。
貴族が大勢生活している城の中で砕けた口調を続けるほど、ヴェリアは世間知らずじゃない。
(わたしには最初からこの話し方だったけど……、まあ、獣医師が生意気な口をきいたりしたら、怒る貴族とか大勢いそうだし)
ひと悶着あったりして、ヴェリアがクビになったら困る。
「失礼しますわ」
可愛らし声がして、扉を開けて入って来たのは、金色の髪に青い瞳の可憐な美少女だった。
サクランボ色の唇に大きな瞳。丸顔で、頬はふっくらと柔らかそうだ。
お人形のように可愛らしいこの少女のことを、フィリエルは知っていた。
(ボルデ公爵のところのお嬢さんじゃないの)
ボルデ公爵は現宰相である。
金髪に青い瞳の丸顔の公爵には娘が一人いて、それが彼女、ブリエットだ。年は十八歳だったはずである。
二年前に社交デビューしたときに宰相に紹介されていたし、パーティーでも何度も会ったことがあるが、挨拶程度しか交わしたことがない。
(ただ、陛下に向ける視線が気になってはいたのよね)
ブリエットがうっとりと熱のこもった視線をリオンに向けていたのには気づいていた。
リオンが相手にしていないようだったのでホッとしたのも覚えている。
「ここは動物専用の医務室ですよ?」
ヴェリアが暗に「部屋を間違ってないか?」と訊ねた。
しかしブリエットはにっこりと微笑むと、ソファの上でくつろいでいたフィリエルに視線を向ける。
「ええ、存じておりますわ。今日はお猫様に会いに来ましたの」
お猫様、という愛称は今や城中で使われていた。
リオンの愛猫を呼び捨てるわけにもいかないが、当初、フィリエルにつけられた「リリ」という名前はあまり浸透していなかった。リオンがフィリエルを部屋から出そうとしなかったからである。
ゆえに使用人たちはいつの間にかフィリエルに「お猫様」というあだ名をつけていて、リリという名前が広まる前に定着してしまったため、今ではリオンとヴェリア以外の人間のほとんどがフィリエルを「お猫様」と呼んでいる。
「にゃ?」
(わたしに何の用?)
フィリエルがヴェリアのところにいても、わざわざ会いに来る人間はいなかった。
国王の愛猫を下手に触ってリオンの機嫌を損ねたらと警戒されているらしい。
不思議に思っていると、ブリエットが「まあ!」と瞳を輝かせてこちらに近づいてきた。
「噂通りなんて可愛らしいのかしら」
「にゃにゃ」
(そんな、可愛いなんて)
照れていると、ヴェリアが冷ややかな視線を送ってくる。
「な!」
(何よ、褒められたら嬉しいでしょ?)
文句を言ってみたが、ヴェリアにため息をつかれてしまった。
ブリエットがにこにこしながらフィリエルの頭を撫でる。
「お猫様、わたくし、ブリエットと申します。いずれ、わたくしもお猫様のお世話を任されることになると思いますので、どうぞよろしくお願いしますね」
「……にゃ?」
(どういうこと?)
フィリエルは首を傾げた。
何故、フィリエルの世話をブリエットが任されるのだろう。
「お猫様の世話というのはどういうことですか?」
怪訝に思っていると、ヴェリアが代わりに質問してくれる。
ブリエットはポッと赤くなって、フィリエルの頭を撫でていない方の手を頬に沿えた。
「まだ内緒にしていてくださいませね。わたくし、陛下と結婚いたしますの」
「にゃ!」
フィリエルは衝撃を受けて固まって――
「ずっと、お慕いしていましたから嬉しくて……」
という言葉を聞いた瞬間、反射的にブリエットの手に噛みついていた。
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