第21話 利用されてやる

「お初にお目にかかります、殿下。アングラード侯爵オリヴィエと申します」


 オルガの手配で用意された面会場所は、王妃宮の一階。普段は使われることもないので何も置かれていない、殺風景な小部屋だった。

 既に先に入っていたアングラード侯爵が、腰を折ってルトを迎えている。

 白に近い灰色の髪を背中あたりで束ねた男は、たしか四十歳だったか。


「ルトだ」


 殿下と呼ぶなと、今の名を名乗る。灰色の頭がすっと起こされて、青灰色の瞳が穏やかに笑った。


「承知した。では言葉を改めよう。貴殿もそのおつもりで」



「侯爵がわざわざ俺に会う理由を聞きたい」


 王妃宮の人は少ないとはいえ、ルトとアングラード侯爵の密会など危険極まりない現場だ。無駄話に使う時間はない。


「太王太后陛下エドラ様は何もおっしゃらなかったか?」

「侯爵と懇意にせよとだけ」

「時間もないことだ。手短に言う。私に手を貸せ。見返りはヴァスキア。どうか?」


 どこかで予想していた取引だったが、見返りにヴァスキアを挙げられて複雑な思いがルトを無言にさせる。

 アングラード侯爵に助力する見返りに、故国をくれてやるということか。まるで爵位や金貨を与えるように、褒美として与えてやると。ありがたくて涙が出る。


「その約束が確かなものであると、その証は?」


 どんなに屈辱的な提案であっても、今のルトに拒むだけの力はない。

 太王太后エドラの騎士団がすべて出自をヴァスキアにもつもので、彼らがルトに忠誠を誓っているとしても総勢50騎足らず。ルトの自由にできる兵力は、最大でそれだけなのだ。

 マラークを向こうに回して戦を起こすなど、夢のまた夢。

 だから多少の危ない橋を渡ってでも、ヴァスキアを取り戻したいのが本音。

 だが足下を見られるわけにはゆかない。無表情の仮面を二重につけた。


「ありていにいえば、ヴァスキアは手に余るというところだ。マラークは往年のマラークではない。荒れたヴァスキアの面倒をみる力など、とてもとても」


 戦で荒れた国土の再建は、元の宰相ハーケが単独で仕切っているという。敗戦国の元の宰相一人にはねまかせるなど、普通であれば絶対にしない。いつ裏切るといもわからない元敵国の人間だ。

 それでもそうせざるを得ないほど、マラークには人がいない。金もないのだとアングラード侯爵は苦笑した。


「マラークにとって手に余るものだが、貴殿らにとっては喉から手がでるほどほしいものなのだろう? 取引の価値ありと、私は思うのだが」

「なるほど。だがヴァスキアを手放すには王の裁可が必要だが、それを取り付けられるのか?」

「ああ、それこそが貴殿に手を借りたいところだよ」


 アングラード侯爵は王位継承権第二位を持つ男だ。なるほど狙いは王権か。


「マラークには二代続いて愚王が立った。ノルリアンの現状も似たようなものだと知っていよう? そしてヴァスキア、貴殿には耳に痛いことだろうが、父君もけして褒められた王ではなかったな」


 父が無能だということは、この八年の間ずっと恨み続けてきたルトにはいまさらだ。

 父も母も、親というには距離のあり過ぎる存在だった。あの二人は互いにしか興味がなかったのだと、今のルトにはよくわかる。王太子であったルトに会うのは月に一度か二度。乳母や教師にほとんどまかせっきりだった。様子を聞かれたこともない。その点、ラウラの環境とよく似ている。違うのは嫌われてはいなかったというところだが、嫌われるよりもっと酷いのかもしれない。

 無関心だった。父も母も、王太子という存在は認識していても我が子としてのルトをどれくらい認識していたことか。多分、限りなくゼロに近いのだと思う。


「だから侯爵が再構築すると?」


 そうだとも違うとも答えず、アングラード侯爵はふっと笑う。


「私の麾下に1万の騎士がいる。もちろんこれは領地に駐留する騎士の数も含めた総数だ。そのうち五千がここに在る。すべてヴァラキアの騎士だったものたちだ。意味がわかるか?」

「捕らえられた者たちを侯爵が匿ってくれたのか?」


 辺境伯の騎士団はほぼ全滅したと聞いたが、その他の騎士団がどうなったか。多くは投降したと、エドラから聞いていた。投降した騎士の末など、聞くまでもない。ほぼ刑死だ。


「助けてくれた……と?」

「書類上は死んだことになっている。新しい戸籍を作って我が家で召し抱えた。平民騎士の扱いであればさほど面倒ではないのでな。だが中身はヴァスキア精鋭の騎士に変わりない」


 刑死を偽ったと、平然と言ってのけるアングラード侯爵を面白いと思った。

 肝が据わっている。

 五千もの数の騎士の死を、独断で偽ったとは。


「奴隷商が運び込んだ者も少なくないからな。すべて私が助力したばかりではないが」


 戦時下の混乱に戸籍操作など大したことではないと、アングラード侯爵は皮肉に笑う。


「五千の騎士に忠誠を誓わせてみろ。貴殿の最初の仕事だ」


 できるかと挑発される。

 思惑どおりにしてやるのも腹立たしいが、ルトにとって悪い話ではない。むしろ願ってもない話。


「承知した」

「よろしい。ではもうひとつ、これはできるだけ……だが」


 この日初めて見せる沈んだ表情で、侯爵は付け加えた。


「王妃陛下を国王からお守りしてほしい」


 どういう意味だと殺気だったルトに、侯爵は首を振る。


「初夜がならないのなら、その方がいい。男女のことだ。こちらの思惑どおりにゆくかはわからない。だからできるだけ……だ」


 知っているのか。

 銀の分銅ソルヴェキタの姫の番のことを。

 無言で侯爵に問いかける。


「あのような愚王が、銀の分銅ソルヴェキタの姫の伴侶であるはずがない。だがあの美貌を放っておくほど、禁欲的な男ではない」


 侯爵の乾いた笑いが、ルトの背に冷たい汗を伝わせた。

 

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