ハンバーガー

 ピンポン。

 インターホンが鳴り、玄関の扉を開ける。


「どもっ。ドッパ・イーツですっ」


 元気の良い挨拶と共に、今度は細長い箱を渡される。

 両方の手の平を合わせたくらいの幅だ。

 縦はペットボトルが入るくらいのサイズ。


「な、なにこれ?」

「ハンバーガーっスね」

「ハンバーガー……」


 ラーメンではなく、今度はハンバーガーときた。

 前にずれたヘルメットを直し、黄野はさっさと帰ろうとする。


「あ、ちょっと待って」

「へ?」


 またお代を頂かずに行こうとするので、オレは慌てて呼び止めた。


「麦茶くらい、飲んでいけば?」


 外は炎天下。

 日の長い季節なので、まだ五時とはいえ、昼間のように青空が広がっている。


 燦燦さんさんと降り注ぐ日光に当てられ、彼女はずっと走っていたに違いない。水でも被ったかのように、顔や首筋、腕やふくらはぎなどは、大量の汗が浮かんでいた。


 黄野は小首を傾げる。


「え、いいの?」

「脱水症状で倒れるって」

「へへ。んじゃ、頂いちゃお」


 再び、自転車を停め、黄野がヘルメットを脱ぐ。

 汗で髪のセットは崩れており、顔中に髪の毛が張り付く。

 不覚にも、玄関から見つめる黄野の姿は、周囲の明かりが後光のように輝いているように見えてしまう。


 その姿を見て、オレは恋心によるときめきとは違い、別の感情で胸が温かくなった。


 黄野を家に招き入れて、オレは居間にある冷蔵庫に向かう。

 彼女はオレの家が珍しいのか。

 辺りをキョロキョロと見回していた。


「ほえ~、なにここ。公民館?」

「そ。一応、古民家って事になってるけど。元は村の公民館なんだよ。だから、居間はご覧の通り。30畳くらいある。トイレとか風呂は、ちょうど壁の裏」


 親がいた時は、このだだっ広いスペースで布団を敷き、二人で眠っていた。いつも、ぶつくさと仕事の愚痴をこぼしていた。

 独り言だと分かっていたので、オレは聞こえないフリ。


 子供の頃は、大人になる事に憧れていた。

 だけど、父の愚痴や疲れ具合を見て、「大人って最悪だな」と率直な感想を抱くようになった。


「お父さん……まだ帰ってきてないんだ……」

「うん、まあね」


 ん?


 振り向いて、黄野をジッと見てしまう。


「なに?」

「オレ、言ったっけ?」


 親戚のおばさん以外、オレの家の事情は知らないはずだ。

 数少ない友人にさえ話していない。

 すると、黄野は後ろ手を組み、きょとんとした様子で言った。


「村にいる人達、みんな知ってるよ?」

「え、……マジか」

「そりゃ、これだけ閉鎖的な村だからね。高島の家のおばあさん、口軽いもの。すぐに広まるって」


 麦茶を渡すと、「サンキュ」と黄野が口をつける。

 コップの内側に鼻息が当たったせいで、ガラスが白く曇った。


「っはぁ、美味し」

「そりゃ、良かった」

「つか、あたしの家。こっから近いから」

「周辺だったんだ。マジか」

「当たり前じゃん。わざわざ遠いところから来ないし。料理冷めるよ」


 自転車に乗ってるから、もうちょっと遠くかと思った。

 オレと同じ、山側の村にいると聞いて、改めて黄野の恰好を見つめる。


「バイトは本当にしてるわけ?」

「してるよ。学校から公衆トイレで着替えて、スマホチェックして、配達。運動にもなるし、ちょうどいいんだ。高島もやってみる?」

「オレはいいよ」

「えー? インドア派なわけ?」


 黄野の後ろに見えている庭。

 そこにある畑が、オレのやらない理由。


「畑作ってんだよ」

「マジぃ?」


 オレの視線を追いかけ、窓越しに庭を見る。

 本当に畑があることに驚いたのか。黄野は吹き出した。


「農家じゃん!」

「それほどじゃないけどさ」

「うぇー……。この辺、マムシいるって聞いたけど。大丈夫?」

「ああ。しょっちゅう見かけるよ。本当に怖すぎて、軽く鬱になったくらいだ」


 蛇を舐めちゃいけない。

 黒くて、小さいのがいたら、本当に気を付けた方がいい。

 顔の所に赤とかオレンジっぽいのが見えたら、もう逃げた方がいい。


 それはガチでダメな奴である。


 でも、一つ言えるのは、蛇がいるって事は、それだけ自然に恵まれてるってことだ。あいつらはしぶといけど、水田とか綺麗な水が流れている場所に多く生息している。


「ふーん。それよか、早く食べてよ」

「……う、うん」


 床に座り、組み立てられた箱を上から解いていく。

 現れたのは、タワー型のハンバーガー。


「う、わ」

「何、その反応」


 どう表現すればいいのか。

 ハンバーガーというからには、当然上も下もパンで挟んである。

 段数は5段。

 一番下のバンズはベチャベチャになっており、よく見れば、それは脂である事が窺えた。理由は、濃厚なニオイと光沢である。


「脂……やっべぇ……」

「安い肉しか使ってないよ」

「こ、これも手作り?」

「うん」


 バンズ一つが、全ての脂を吸収している。

 絶対に胃もたれしそうだった。

 オレの脂肪は増量待ったなし。


「早く食べなってば」

「あ、はい」


 上に刺してある串を抜き、一番上の段を頂く。

 一気にかぶりついて、口の中に詰め込むと、ぶわっと肉汁が染み込んできた。


「おえっ。くっせ!」

「ええ⁉」

「くっせぇ!」


 肉に混じっているのは、ハーブか?

 なんだっけ。ベトナムの、最近スーパーで見かけるハーブ。

 あの苦味とマッチングした、甘辛いハンバーグ。


 例えるのなら、出会い目的でサイトを利用したはいいが、実際に会ってみたら相手は殺人鬼だった時の気分だ。


 殺される。

 逃げたいが、後ろは壁で、「ひぇあ!」とか奇声を上げて殺されていく被害者。


 つまり、オレだ。

 あと、安い肉と言っていたが、肉がシンプルに臭かった。

 一週間お風呂に入っていないズボラなおっさんが、「あと一週間チャレンジしてみよう」と絶望宣言を出したが如くである。


「そ、そんなはずは……」


 下の段を黄野は指で持ち、同じようにかぶりつく。


「おえええええっ!」

「ほらぁ!」


 残すのはもったいないし、一人じゃ食えないので、黄野を逃がさないように扉を閉める。

 それからは、二人で一時間掛けてハンバーガーを食べるのだった。

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