第2章:ジャンルの樹形図


 テクノミュージックがデトロイトの地下クラブから世界へと広がる過程で、多くのサブジャンルが芽生えました。これらはそれぞれ独自の特徴を持ち、異なる文化的背景やアーティストの個性が反映されています。本章では、これらのサブジャンルの特徴と、それぞれに影響を与えたアーティストたちの関係性について探ります。


2.1 アシッドハウスとテクノの出会い


 アシッドハウスは、テクノと並行して発展したサブジャンルで、特にTB-303のシンセサイザーによる滑らかで酸っぱいベースラインが特徴です。このサウンドはシカゴから始まり、アーティストたちが互いに影響を与え合いながら、イギリスのレイブカルチャーにも大きな影響を与えました。ファリー・ジャックマスター・ファンクやDJ ピエールなどのシカゴのアーティストたちは、アシッドハウスのパイオニアとして知られ、彼らの音楽は後のテクノサウンドにも影響を与えました。


 ファリー・ジャックマスター・ファンク(Farley Jackmaster Funk)、本名ファリー・キース・ウィリアムズ(Farley Keith Williams)は、シカゴ・ハウスミュージックのパイオニアの一人です。彼は1962年にシカゴで生まれ、1980年代にその地で活動を始めました。シカゴハウスの初期の発展において、彼の役割は非常に大きなものでした。


 ファリーは特に、シカゴのラジオ局であるWBMXの人気番組「The Hot Mix 5」のメンバーとして名声を得ました。この番組では、彼は他のDJたちと共に、シカゴハウスミュージックをより広い聴衆に紹介し、ジャンルの人気を高めるのに寄与しました。彼のDJとしてのスタイルは、エネルギッシュで刺激的なミックスを特徴とし、多くの人々をダンスフロアに引き寄せました。


 彼の最も有名なトラックの一つに、「Love Can't Turn Around」があります。この曲は、ディスコのトラックをサンプリングし、ヴォーカルにデュウェイン・ウッドソンをフィーチャーしています。このトラックは、イギリスのチャートで大きな成功を収め、ハウスミュージックがアメリカ国外で成功を収めるきっかけとなりました。


 ファリー・ジャックマスター・ファンクはまた、トラックの制作だけでなく、レコードレーベルの運営にも関わり、新しいアーティストの発掘と育成に力を注ぎました。彼のレーベル「House Records」は、シカゴハウスシーンにおける重要な存在であり、多くのクラシックなハウスミュージックトラックをリリースしました。


 ファリーの音楽とその影響は、ハウスミュージックの歴史において重要な足跡を残しており、今日でも彼の作品は多くのDJやプロデューサーによってリスペクトされ、プレイされ続けています。彼はシカゴハウスのオリジナルなサウンドとスピリットを体現するアーティストとして、その名を不朽のものにしました。


 DJ ピエール(DJ Pierre)は、本名をネイト・ジョーンズ(Nathaniel Jones)といい、アシッドハウスジャンルの創始者の一人として知られています。彼は1960年代後半にシカゴで生まれ、1980年代にDJとしてのキャリアをスタートしました。DJ ピエールは、アシッドハウスのサウンドを世界に広めるのに中心的な役割を果たしたことで特に名高いです。


 彼の最も有名な業績は、ローランドTB-303ベースラインシンセサイザーを使用して、特徴的なリキッドなベースラインを生み出したことです。TB-303を使った実験的な操作により、「アシッド」と呼ばれるユニークなサウンドが誕生しました。このサウンドは後に「アシッドハウス」というジャンルの基盤となり、世界中で人気を博すことになります。


 DJ ピエールが所属していたグループ「フューチャー」(Phuture)は、アシッドハウスの歴史において重要な位置を占めています。フューチャーは、「Acid Tracks」を1987年にリリースしました。このトラックは、TB-303のポテンシャルを解放した最初の曲の一つとされ、アシッドハウスサウンドの原型となりました。


 DJ ピエールは、その後もプロデューサー、リミキサー、レーベルオーナーとして活躍を続け、多くのアーティストに影響を与えてきました。彼の音楽は、ハウスミュージックだけでなく、テクノ、トランス、エレクトロなどの多様な電子音楽スタイルにも大きな影響を与えています。


 現在もアクティブなDJ ピエールは、世界中のクラブやフェスティバルでDJセットを披露し続けており、特にシカゴハウスとアシッドハウスのレジェンドとして尊敬を集めています。彼の音楽的遺産は、電子音楽の発展において不可欠なものであり、その革新的なサウンドは今日の音楽シーンにおいても引き続き影響力を持っています。


2.2 テクノの多様化


 テクノミュージックが世界に広がるにつれて、デトロイトテクノ、ベルリンテクノ、ハードテクノ、ミニマルテクノなどの多様なスタイルが現れました。デトロイトテクノの祖とされるジュアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダーソンは、それぞれ異なる音楽的アプローチでテクノを発展させました。一方、ヨーロッパでは、サウンドの硬質さとダークな雰囲気を特徴とするベルリンテクノが登場し、アンダーグラウンド・レジスタンスやベーシック・チャンネルといったアーティストやレーベルがその発展を牽引しました。


 ベルリンテクノは、1980年代後半から1990年代にかけて、ドイツのベルリンで発展したテクノミュージックの一派です。ベルリンのテクノシーンは、特に壁の崩壊後の社会的・文化的な変動期に繁栄しました。この時期、東西のベルリンが統合され、多くの放棄された建物や空間が新たなクラブやイベントスペースとして再利用されました。このような歴史的背景が、ベルリンテクノの独特な雰囲気を形成する土壌となりました。


**ベルリンテクノの特徴:**


- **サウンド**: ベルリンテクノは、ダークでミニマリスティックなサウンドを特徴とし、重厚なベースライン、冷たいシンセサイザーのメロディー、そしてシンプルで反復的なリズムパターンを用いることが多いです。これは、ベルリンの長い冬と、工業的な都市景観が反映されたものと言えるでしょう。


- **クラブカルチャー**: ベルリンテクノはクラブカルチャーと密接に関連しており、特に「ベルグハイン」や「トレゾア」といったクラブは世界的に有名です。これらのクラブは、24時間以上オープンすることもあり、長時間にわたるDJセットが特徴です。


- **アーティストとレーベル**: ベルリンテクノシーンの中心人物には、ポール・カルクブレンナー、リッチー・ホウティン(Plastikman)、モドゼレクターなどがいます。また、ベーシック・チャンネル、オストグート・トンなどのレーベルも、ベルリンテクノの発展と普及に大きな役割を果たしました。


- **政治的・社会的文脈**: ベルリンテクノの発展は、ベルリンの壁崩壊後の社会的な自由化とも関係があります。そのため、ベルリンテクノは政治的な意味合いを持つこともあり、統合と自由の象徴としての役割も担いました。


ベルリンテクノは、その後のヨーロッパ全体のテクノシーンに多大な影響を与え、テクノミュージックをヨーロッパの電子音楽文化の中心に押し上げました。今日でもベルリンは、革新的な電子音楽とクラブカルチャーの中心地として世界中の音楽ファンやアーティストに愛され続けています。


 ハードテクノは、テクノミュージックの中でも特に速いテンポと強いビート、攻撃的なサウンドデザインを特徴とするサブジャンルです。一般的には、140BPM以上のテンポで、重厚なキックドラムや歪んだベースライン、激しいパーカッションが用いられることが多いです。このジャンルは、1990年代中頃にヨーロッパで人気を博し、特にドイツやオランダで熱狂的なフォロワーを獲得しました。


**ハードテクノの特徴:**


- **サウンド**: ハードテクノは、他のテクノのスタイルよりもはるかにエネルギッシュでアグレッシブです。そのサウンドは、インダストリアルやハードコアなどの他の電子音楽の影響を受けており、しばしばダークで機械的なテクスチャーが特徴です。


- **クラブカルチャー**: ハードテクノは、しばしばアンダーグラウンドなレイブパーティーやフェスティバルでプレイされ、その熱狂的な雰囲気と相まって、体全体で音楽を感じる経験を提供します。


- **アーティストとレーベル**: ハードテクノシーンでは、アダム・ベイヤー、デイブ・クラーク、クリス・リービング(Chris Liebing)などのアーティストが有名です。また、ドラムコード(Drumcode)、CLR、トレゾア(Tresor)などのレーベルがこのジャンルの発展に寄与しています。


- **サブジャンル**: ハードテクノは、ハードコア、ガバ、シュランツ(Schranz)などのより速く、よりハードなジャンルとも密接に関連しています。これらのスタイルは、より攻撃的で無慈悲なサウンドを追求し、テクノの範囲を拡大し続けています。


ハードテクノは、そのパワフルなサウンドと生のエネルギーで、多くのリスナーを魅了し続けています。このジャンルのイベントは、音楽だけでなく、光やビジュアルといった視覚的な要素も大きな役割を果たし、参加者に圧倒的な体験を提供します。ハードテクノは、テクノミュージックの中でも特に硬派でストレートな姿勢を持つジャンルとして、その地位を確立しています。


ミニマルテクノは、テクノミュージックのサブジャンルの一つで、1990年代半ばから後半にかけて特に発展しました。このジャンルは、シンプルで繊細なリズム、スペーシーなサウンドスケープ、そして緻密な音のレイヤーが特徴です。ミニマルテクノは、音楽的要素を削ぎ落とし、限られた音で最大の効果を生み出すことを目指しています。


**ミニマルテクノの特徴:**


- **サウンド**: ミニマルテクノは、複雑なメロディや豊かなハーモニーを敢えて避け、リズムとテクスチャーに焦点を当てます。しばしばリピーティブで、微妙な変化や進化を経て曲が展開していくことが特徴です。


- **プロダクション**: 音の空間を意識したプロダクションが行われ、エコーやリバーブを用いて、音に深みと広がりを与えます。ミニマルテクノのトラックは、細かいディテールや音質にこだわり、聴き手が音楽の微細なニュアンスを感じ取れるように作られています。


- **アーティストとレーベル**: リッチー・ホウティン(Plastikman)、リカルド・ヴィラロボス(Ricardo Villalobos)、マーク・ベロット(Marc Houle)などがこのジャンルの代表的なアーティストです。また、ミニマルテクノのシーンを形作るのに貢献したレーベルには、ミニス(Minus)、ペリクルーン(Perlon)、ココーン・レコーディングス(Cocoon Recordings)などがあります。


- **クラブカルチャー**: ミニマルテクノはクラブでの体験を変えました。ダンサーが音楽のリズムに集中しやすいため、より内省的でメディティブなダンスフロアの雰囲気を作り出します。


 ミニマルテクノは、音楽の持つ最小の要素に焦点を当てることで、リスナーの注意を細部に向けさせ、音楽を聴くという行為をよりアクティブなものに変えました。リスナーは、環境の音や他の微妙な音響効果をより意識するようになり、音楽体験がより豊かなものになります。ミニマルテクノは、テクノミュージックが持つ可能性をさらに広げるものとして、今日もなお多くのクリエイターとリスナーに影響を与え続けています。


これらのサブジャンルは、それぞれに特有のサウンドと文化的要素を持ち合わせ、テクノミュージックの多様性を形成しています。この章では、それぞれのジャンルがどのようにして生まれ、どのような音楽的特徴を持ち、どのアーティストが関わっているのかを詳細に解説し、テクノミュージックの豊かな樹形図を描き出します。


この樹形図をたどることで、読者はテクノミュージックが単なる一つのジャンルではなく、幅広い音楽スタイルと文化的背景を持つ多様な音楽群であることを理解するでしょう。また、アーティスト間のコラボレーションや影響関係がクリアになり、テクノミュージックが如何にして世界的な現象となったかの軌跡をたどることができます。

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