序章:テクノの誕生

 1980年代初頭、デトロイトの街は変貌を遂げようとしていました。かつては繁栄を極めた自動車産業が衰退し、その余波で街は荒廃し始めていました。しかし、その荒涼とした風景の中で、若き音楽家たちが新たな音楽的実験を始めていたのです。


 この時期、デトロイトの三銃士とも呼ばれるジュアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダーソンが音楽シーンの中心となります。彼らは、ヨーロッパの電子音楽、特にドイツのクラフトワークからの影響を受けつつ、自分たちの音楽にアフリカ系アメリカ人のリズム感を融合させていきました。彼らの音楽は、シンセサイザーやドラムマシンといった電子楽器の使用によって、従来のディスコやファンクとは一線を画す新しいサウンドを生み出しました。


 ジュアン・アトキンス(Juan Atkins)は、1959年9月12日に生まれたアメリカの音楽プロデューサーであり、テクノミュージックの創始者の一人として広く認識されています。彼は特に「サイボトロン(Cybotron)」という名前でリリースした作品で知られ、その音楽はテクノのジャンルを確立するのに大きな役割を果たしました。


 アトキンスはデトロイトで育ち、若いころから音楽に興味を持っていました。彼はベルベル音楽学校で学び、音楽理論と楽器演奏の教育を受けました。音楽に対する彼のアプローチは、彼が大学で学んだ人類学とマスコミュニケーションの理論にも影響を受けています。


 1980年代初頭、アトキンスはリック・デイヴィス(Rick Davis)と共にサイボトロンを結成しました。彼らはデトロイトの工業的な背景と、未来的なテーマ、そしてクラフトワークなどからの影響を取り入れた音楽を創り出しました。サイボトロンの代表曲「Alleys of Your Mind」や「Cosmic Cars」、そして特に「Clear」は、テクノ音楽のプロトタイプと見なされ、後の多くのアーティストに影響を与えました。


 アトキンスはサイボトロンの後、モデル500(Model 500)という名前でソロキャリアをスタートし、テクノミュージックのジャンルをさらに発展させていきました。彼のトラック「No UFO's」はデトロイトテクノのアンセムとされ、国際的なヒットとなりました。


 さらに、アトキンスはメトロプレックス(Metroplex)レーベルを設立し、デトロイトテクノシーンの他の重要なアーティストたち、例えばデリック・メイやケビン・サンダーソンといった彼の盟友たちの音楽をリリースするプラットフォームを提供しました。彼らは共にデトロイトテクノの「ベルヴィル・スリー」として知られ、世界的なテクノシーンの発展に大きな影響を与えました。


 アトキンスは音楽プロデューサーとしての役割にとどまらず、DJとしても活動し、世界各地でテクノミュージックを演奏し続けています。彼の音楽とその影響は、テクノが「デトロイトの音」として認識される上で不可欠な要素であり、現在もなお新しい音楽の創造に取り組んでいます。


 デリック・メイ(Derrick May)は、1963年4月6日に生まれたアメリカ合衆国の音楽プロデューサーであり、テクノミュージックのパイオニアの一人として世界的に有名です。彼はジュアン・アトキンス、ケビン・サンダーソンとともに「ベルヴィル・スリー」と呼ばれる、テクノミュージックの創設者グループの一員です。


 デリック・メイはミシガン州ベルヴィルで育ち、高校時代にアトキンスと出会い、その後音楽の道を歩み始めました。彼はデトロイトの地下音楽シーンに深く関わり、初期のテクノミュージックの発展に重要な役割を果たしました。彼の音楽は、ヨーロッパの電子音楽、特にクラフトワークの影響を受けつつも、独自のソウルフルでメロディックな要素を取り入れていました。


 メイの最も有名なトラックの一つに「Strings of Life」があります。この曲は、ピアノのリフとストリングスをフィーチャーした、感情的でエネルギッシュなテクノトラックとして、1987年にリリースされた後、テクノミュージックのアンセムとなりました。この曲は、デトロイトテクノが世界的な現象となるきっかけを作り、テクノミュージックの可能性を広げる重要な瞬間となりました。


 彼はまた、トランスマット(Transmat)レーベルを設立しました。このレーベルは、彼自身の作品だけでなく、他の多くのテクノアーティストたちの作品もリリースしており、デトロイトテクノの重要な拠点となっています。トランスマットは、新しいアーティストの発掘と育成にも力を入れており、多くの才能あるプロデューサーたちにとって重要なステップアップの場を提供しています。


 デリック・メイの音楽と彼のレーベルが持つ影響力は、テクノジャンルを定義する上で非常に大きく、彼の独自性と革新性は今日の電子音楽シーンにおいても尊敬され続けています。彼はプロデューサーとしてだけでなく、世界中で活動するDJとしても知られており、デトロイトテクノの精神を世界に広め続けています。


 ケビン・サンダーソン(Kevin Saunderson)は、1964年9月5日にニューヨークで生まれ、後にミシガン州ベルヴィルで育ちました。彼もまた、ジュアン・アトキンス、デリック・メイと共に「ベルヴィル・スリー」として知られ、デトロイトテクノムーブメントの黎明期における重要な人物です。


 サンダーソンは高校でメイと友人になり、彼とアトキンスの影響を受けて音楽制作を始めました。彼は音楽に対してより実験的なアプローチを採り、テクノミュージックに深みと多様性を加えることに貢献しました。サンダーソンは、インナーシティ(Inner City)という名前で最もよく知られており、このグループではヴォーカリストのパリス・グレイ(Paris Grey)と共に活動しました。


 インナーシティを通じてリリースされた「Good Life」と「Big Fun」は国際的なヒットとなり、テクノミュージックがヨーロッパのクラブシーンとチャートで大きな成功を収めるきっかけとなりました。これらのトラックは、テクノがダンスフロアだけでなくラジオや商業的な音楽シーンにも受け入れられることを証明しました。


 サンダーソンはまた、KMSレコードを設立しました。このレーベルは彼自身の作品はもちろん、他の多くの重要なテクノアーティストたちにもリリースの場を提供しました。KMSは、デトロイトテクノシーンを形作る上で中心的な役割を果たし、多くのアーティストのキャリアを支えるプラットフォームとなっています。


 ケビン・サンダーソンは、プロデューサー、レーベルオーナー、そしてDJとしての彼の多面的な才能で、テクノミュージックの発展に大きく貢献しました。彼の音楽は、エネルギッシュでアクセシブルなテクノのサウンドを確立するのに役立ち、ジャンルの枠を超えて広く人々に受け入れられることとなりました。現在でも、サンダーソンは音楽制作を続け、世界中でDJとして活動し、デトロイトテクノの精神を継承しています。


 ジェフ・ミルズ(Jeff Mills)は、1963年6月18日に生まれたアメリカのテクノミュージックDJおよびプロデューサーで、デトロイトテクノシーンにおいて中心的な役割を果たした人物の一人です。彼はウィザード(The Wizard)という名前で知られるようになり、その卓越したターンテーブリズム技術と速いミックスで名声を博しました。


 彼の音楽キャリアは、デトロイトでラジオDJとしての仕事から始まりました。ミルズは、地元のラジオ局でウィザードとしての名を馳せ、その後音楽制作に移行しました。彼は、デトロイトテクノのパイオニアたちと同様に、デトロイトの音楽シーンにおいて独自の足跡を残し、ミニマルテクノの先駆者としての地位を築きました。


 ミルズはアンダーグラウンド・レジスタンス(Underground Resistance)という集団の創設メンバーでもあります。これは、マッド・マイク・バンクス(Mad Mike Banks)と共に設立した音楽コレクティブでありレーベルで、政治的なメッセージを込めたハードエッジのテクノを提供し、テクノミュージックを社会的な運動として前面に押し出しました。アンダーグラウンド・レジスタンスは、レコードレーベルとしても高い評価を受けており、多くの重要なテクノトラックを世に送り出しました。


 ジェフ・ミルズはその後、アクシス(Axis)レーベルを立ち上げ、より実験的でコンセプチュアルな作品をリリースしています。彼のトラックは、しばしば宇宙や未来をテーマにしたもので、テクノミュージックに科学的かつ哲学的な要素を取り入れることに成功しました。彼の代表作には「The Bells」があり、このトラックはテクノミュージックのクラシックとして世界中で愛されています。


 ミルズはまた、映画のスコア制作や、オーケストラとのコラボレーションなど、テクノミュージックの枠を超えたプロジェクトにも取り組んでいます。彼のアーティストとしてのアプローチは、音楽と視覚芸術を融合させることによって、観客に独特の経験を提供することに重点を置いています。


 現在もアクティブに活動を続けるジェフ・ミルズは、テクノミュージックの枠を常に拡張し続けるアーティストとして、その影響力を確固たるものにしています。彼の音楽は、テクノジャンルの先駆けであり続けると同時に、新しいアーティストたちへのインスピレーションの源となっています。


 ロン・ハーディ(Ron Hardy)は、1958年5月8日にシカゴで生まれ、1992年3月2日に亡くなったアメリカのDJで、ハウスミュージックの初期の発展において重要な役割を果たした人物です。彼はフランキー・ナックルズとともに、シカゴ・ハウスシーンのパイオニアとして名を馳せました。


 ハーディのDJキャリアは1970年代に始まり、1980年代には彼の名が広く知られるようになりました。彼はシカゴの有名なナイトクラブ「ザ・ミュージック・ボックス(The Music Box)」のレジデントDJとして特に知られており、その場所はハウスミュージック愛好者にとって聖地のような存在でした。


 ロン・ハーディは、その斬新なミックススタイルと音楽選択で知られていました。彼はディスコ、ファンク、ソウル、さらにはより実験的な電子音楽を組み合わせることで、ハウスミュージックのサウンドを形作りました。彼のセットはエネルギッシュで予測不可能であり、しばしばスピードアップされたトラックや、独自のエディットをフィーチャーしていました。


 ロン・ハーディは、フランキー・ナックルズが作り上げたサウンドをさらにプッシュしていく存在でした。彼はより生の、時には過激な形でハウスミュージックをプレイし、その独特なスタイルで多くのDJやプロデューサーに影響を与えました。ナックルズがハウスミュージックを洗練させる一方で、ハーディはよりアンダーグラウンドでエッジの効いた感じを追求しました。


 ロン・ハーディは音楽プロデューサーとしての作品は多くありませんが、彼のDJとしての活動はシカゴだけでなく、ハウスミュージックの歴史においても重要な足跡を残しました。彼の熱狂的なDJスタイルは、今日でも多くの人々に語り継がれており、ハウスミュージックの精神を象徴するものとなっています。


 ハーディが亡くなった後も、彼の影響はシカゴのみならず世界中のハウスミュージックシーンに感じられています。彼の名前は、ディープハウス、アシッドハウス、さらにはテクノミュージックにも影響を与えるなど、幅広いジャンルにおいて尊敬され続けています。彼がヘロイン中毒と闘い、それを克服することができなかったという事実は非常に残念です。


 一方、ヨーロッパでは、特にイギリスのニューウェーブやシンセポップの流行、そしてベルギーのニュービートといったジャンルがテクノに影響を与えていました。シカゴでは、フランキー・ナックルズやロン・ハーディなどのDJたちがハウスミュージックを発展させ、これがテクノの発展にも影響を与えたのです。


 フランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles、本名: Francis Nicholls)は、1955年1月18日にニューヨークで生まれ、2014年3月31日に亡くなったアメリカのDJでありプロデューサーです。彼は「ハウスミュージックのゴッドファーザー」と広く称され、このジャンルの創成期において中心的な存在でした。


 ナックルズの音楽キャリアは1970年代にニューヨークのクラブシーンでのDJとして始まりました。彼は後にシカゴに移り、そこで彼の名を不朽のものにするウェアハウスクラブ(Warehouse Club)でレジデントDJを務めました。ウェアハウスでの彼のDJスタイルは、ディスコ、ソウル、R&B、ファンク、さらにはヨーロッパの電子音楽を織り交ぜたもので、その独特なサウンドは「ハウスミュージック」として知られるようになりました。


 フランキー・ナックルズは、ウェアハウスでプレイされる音楽の編集やリミックスにも手を加え、これが後に「ハウスミュージック」となるスタイルの基礎を形作りました。彼はトラックを再構築し、新しい音楽的要素を追加することで、ダンスフロア向けのまったく新しい音楽体験を生み出しました。


 彼のプロデュース業も非常に成功しており、多くのトラックがハウスミュージックの古典とされています。特に「Your Love」や「The Whistle Song」といった楽曲は、今日でも多くのDJによってプレイされるハウスミュージックのアンセムです。


 ナックルズは、音楽制作とDJ活動における彼の革新的な手法で、シカゴハウスシーンを形成するだけでなく、世界中にハウスミュージックを広めるのに大きな役割を果たしました。彼の影響は、テクノ、ディープハウス、エレクトロなど、さまざまな電子音楽のサブジャンルにも及びます。


 フランキー・ナックルズの遺産は、彼が亡くなった今でもハウスミュージックのコミュニティや多くのアーティストによって称えられ続けており、彼の音楽と精神は今日の音楽シーンにおいて生き続けています。彼の死後、多くのクラブやイベントでは彼を記念してトリビュートが行われ、彼の貢献とハウスミュージックへの献身を讃えています。


 しかし、デトロイトのアーティストたちは、単に既存の音楽を模倣するのではなく、それを根底から覆すような新しい音楽を作り出そうとしていました。ジュアン・アトキンスは、彼のプロジェクト「サイボトロン」で、宇宙的なテーマとメカニカルなリズムを融合させ、デリック・メイは「ストリングス・オブ・ライフ」でその感情的なメロディラインで多くの人々を魅了しました。ケビン・サンダーソンは、よりダンスフロア指向のトラックを制作し、それぞれが異なるアプローチでテクノの基盤を築き上げたのです。


 これらのアーティストたちは、音楽的なコラボレーションだけでなく、レーベルを立ち上げるなどして、デトロイトのテクノシーンの基盤を強固にしていきました。アトキンスの「メトロプレックス」、メイの「トランスマット」、サンダーソンの「KMSレコード」といったレーベルは、デトロイトテクノのサウンドを全世界に広める役割を果たしました。


 こうして、デトロイトはまさにテクノミュージックの聖地となり、その影響はシカゴのハウスミュージック、ベルギーのニュービート、そして後にはイギリスのレイブシーンにまで及び、世界中の電子音楽シーンに大きな影響を与え続けることとなります。それは、単に音楽のジャンルを超えた動きだけではなく、文化や社会に対する一つのステートメントとしても機能しました。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る