保険
◯
少々、五月蝿すぎる蝉時雨を全身に浴びながら、私は森の中を続く細い道を歩いていた。
今は九月、今年は蝉がまだまだ健在なのだろう。もしかしたら、今年の夏は暑くなるのが遅かったから、蝉達は出てくる時期を勘違いしたのかもしれない。
私はこの先にある館に用事があった。用事といっても、たいしたことではなく引越しの挨拶だ。
私は先週越してきたばかりなのだが、この町にはある風習があるらしく、この町を出ていく者、入ってくる者は私の行き先である館に、一度挨拶に行かなければいけないという。
そして今、全身にみんみんと蝉の合唱を感じながら館へ向かっている。幸い、生い茂る木が太陽光線を防いでくれ、そこまで暑くはなかった。
森を抜けると、ただただ広い空間に出た。
どのくらい広いと言われてもわからぬくらい広かった。その空間の中央には小さな古民家がポツンと建っていた。そして、空間を囲うように森が生い茂り木々が蠢いてた。
「どこが館なんだか」
私は悪態をつきながら古民家を目指し足を進めた。しかし、進んでいる感じがしなかった。
五分ほど歩いた頃だろうか、町の人が館と言っていた意味がわかった。小さな古民家だと思っていたものは決して小さくなく、古民家をそのまま大きくした家であった。玄関扉にしても、四メートルはあるのではなかろうか。
私は目の前に、いや目線の遥か上にあるインターフォンを見て大きく溜息を吐くしかなかった。あんな高さのものをどうやって押せと言うのだ。第一押せたところで何も映らないだろう。
私は大声をあげ、家主を呼んだ。
「あのー!ごめんください!どなたかいませんか!」
すると大きな扉は、驚くほど静かに開いた。
大きすぎる家の中から微かに
「はーい、入っておいでー」
と聞こえてきた。
私は恐る恐る家に入った。しっかりと家の中も古民家をそのまま大きくしていた。玄関から廊下まで上がるのに一苦労した。
この家にいると、私は小人にでもなったのではなかろうかと思った。
廊下も長く広い、右に襖、左にドアが2枚あった。右の襖から「こっちだよー」と聞こえてきたので私はそこに向かった。
襖を曲がると和室であった。
和室もやはり大きかった。そして驚いたことに、畳も大きかった。イ草の一本一本が私の親指ほどの太さがあった。
和室の中央には人が座っていた。
小人かと思った。近づいていくと私と同じくらいの人間であった。「どっちだろうか」と私は思った。
それは性別が分からなかったからだ。中性的な顔立ちで可愛らしくもあり、世に言うイケメンでもあった。肉付きもそこまで無く、やや細身、男とも女ともどちらとも捉えることができた。歳はかなり若かいように見えたが髪は白く輝いていた。
私は座布団に座った。
「初めまして、金切正義さん」
声も中性的であった。
「もう、名前は知られているんですね」
「ええ、この町に入ってきた人の名前はすぐに伝わってきますから」
恐ろしい町だと思った。
「ああそれと、私のことはヒイラギとお呼びください。性別はありませんので」
私が聞きたかったことを、ヒイラギさんは言ってくれた。しかし性別が無いとはどう言うことだろう、Xジェンダーというやつであろうか。
「Xジェンダーとは少し違うんですけどね」
ヒイラギさんは言った。私はぎょっとしたが偶々だろうと思った。
「偶々じゃ、ないんですよね」
ヒイラギさんは口を一文字にして言った。
私は困惑した。どういうことだろうと。妖のサトリのようなものかと思った。が、ヒイラギさんの次の一言で、私の仮説は崩れ、困惑が増えるだけだった。
「私はね、この町の神様なのですよ。ある日から」
ヒイラギさんは立ち上がると徐に衣服を脱ぎだした。私は止める隙もなかった。
ヒイラギさんの体は女性の体だった。私は急いで目を伏せ言った。
「服を着てください、ヒイラギさん。なんのつもりですか」
ヒイラギさんはふわふわと笑い言った。
「いいから見ろ。面白いものが見れるぞ」
急に変わった口調にびっくりしながら私はヒイラギさんを見た。次の瞬間であった。
ヒイラギさんの体はぐにゅりと歪んだかと思うと、男性の体になっていた。
「面白いものが見れたろう。この体はあまり好きではないのだがね」
そう言うとヒイラギさんは、またぐにゅりと体を変えた。
「さて、何が聞きたいの」
ヒイラギさんは最初の口調に戻っていた。
「色々ありますけど、まず、なぜ神様になられたんですか」
私は冷静だった。
ヒイラギさんは「少し長くなりますよ」と言って話し始めた。
「四十年ほど前でしょうか、私はね、この町の、いや村だったかなあの時は、その住人だったのよ。ただ迫害を受けていた。何故か、それは私の肉体に二人分の魂が宿っていたから。今で言う二重人格というやつね。そして私の主人格は、今あなたの目の前にいる私、柊ヒオリ。そしてもう一人私の中にいるのが、先ほどあなたの前に現れた柊ヒオト。
私たちは別に村のみんなに迷惑はかけていなかったんだけどね。未知とは怖いのでしょうから。私たちは迫害され、結局山に捨てられた」
そこまで話すと、ヒオリさんの口調は変わった。
「ここからは、ワシが話そう。なんせ山に運ばれる時の人格はワシだったからな。しかしあの時は酷かった」
ヒオトさんは遠くを見つめ言った。
「まあ迫害の話はいいか。山に運ばれる時ワシは目を覚ましたんだがな、どうやら手足を縛られ目には布を、口には石を噛ませられていたからな。まともなことはできなかった。奴らはワシらを乱暴に捨てると帰って行ったよ。
あの時ワシらは、まだ十才にもなってなかったからな。それは怖かった。しかしな、踠いているうちに目に巻かれていた布が取れて周りが見えたんだ。しかしあたりは暗く、何も見えないからな、とりあえず走っていたんだ。あの時は山姥が出るなんて言われていたからな。余計走った。するとどうだ灯りが見えるじゃないか。山姥の家かと思ったがな。そんなふうには見えなかった。とりあえず近づいてみたんだ。
おい、交代だ」
そう言うと、ヒオリさんが出てきた。
なるほど難しい体だなと思った。
「ふふ、慣れれば難しく無いですよ。さて、ここからは私が。
その家に近づいたところでヒオトの緊張の糸が解けたのでしょう、私に人格が移りました。私はびっくりしましたよ。気づいたら目の前には家があったので。私は口は塞がれていたので、扉に頭をぶつけました。すると中から男性が出てきました。
背が高くて髪の毛は黒ではなく金色、少しだけ髭が生えていましたね。彼は言いました。
『あららここならバレないと思ったのになア』と。
彼は私たちの拘束を解いてくれました。私は事の経緯を説明しました。あの時は子供でしたし、うまく話せていたか分かりませんけど。
私が話し終わると彼は私たちを抱擁しました。そして
『ごめんな、僕が人間に自由性を持たせてしまったばかりに』
と訳のわからぬことを言っていました。そして彼はこうも言いました。
『この家はね【迷い家】と言うんだけど、って君たちにはまだ早いか。君たちにこのお家をあげるよ。僕は神様だからね。妖をこの世に定着させることは出来るのさ』と」
全く訳わかりませんよね、とヒオリさんは私を見て言った。
「もう少しで終わりますからね。
彼は私に言いました。『何を望む』と。『復讐』と私は言いました。彼はかっかっかと笑い、やはり人間だなと言い、私の頭をこね始めました。撫でるんじゃありません、こねるんです。頭がグニグニされて怖くて逃げようとしましたけど逃げれませんでした。そしたらいきなりこねるのをやめて言うんです。
『よし、神様完成!まあ擬似神様だし、体を借りなきゃいけなくなる時があるけど許してね。これは保険だ』
そう言うとふわりと舞って、夜の空に消えていきました。
私の、私たちの頭の中には自分が何が出来るのかが流れ込んできたんです。そこで初めてわかりました。あの人は本当に神様なんだって。妖の類じゃなく、神様だと」
これで私の話は終わりです。とヒオリさんは言った。あれ以降、神様は見ていませんとも言った。
私は聞いた。
「復讐はどうなさったんですか」
「まさか、しませんよ。そんなこと」
ヒオリさんは笑って言った。
「嘘つけよ。ヒオリ。お前村民をみんな肉団子にしちまって神様へのお礼だ!なんて言ってたじゃねえか」
ヒオトが暴露した。私はぞっとした。
「まあ!そんなこともう忘れましたよ」
ヒオリさんはそっぽを向いた。
私はここに来て、一番聞きたかったことを聞いた。
「神様が現れた日、迷い家が現れた日、それは何月何日か覚えていますか」
瞬間。ヒオリさんの顔がぐにゅりと歪んだかと思うと、金髪で髭の生えた男の顔になった。
「保険が効いたな。それはタブーなんだ」
◯
私は、金切正義。ミステリー雑誌のライターをしている。私はずっと調べていることがある。それは【十月二十八日のタブー】だ。
もう調べ始めて一年は経つ。そして一週間前ある話が飛び込んできた。ある町に神様がいると。私のミステリー記者的な勘が「ここに秘密につながるナニカがある」と騒ぎ、すぐに調査を進めた。
私は神様に会うために、その町へ引っ越した。
そして今。神様に会うために森の細い道を歩いている。
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