剔抉
†
《悪魔の十字路》までやってくると、冷たい森と山と崖のみだった景色が一変する。
穏やかで幅の広い川に沿うように街並みがつづいて、どの通りも人で混雑している。
ここロマニア国は元より多様な民族の住まう地が併せられてできているが、その来歴を表すかのように行きかう人もその職も、じつに様々だった。
呼び名こそおどろおどろしくて無法地帯のように思われるが、実際のところ《悪魔の十字路》はある程度国の手入れが行き届いた交易地である。ただ信教の都合で、強すぎる異国の文化風俗の流入に対して《
「平和で良い街並み。川を交易路にしてるんだろうけど、発展するのもわかる気がするよ」
「独立戦争のときには流氓や疎開した民で溢れかえって、結構荒れ果ててた……らしいですけどね」
「なんだか、見てきたように言うね。この国の独立戦争なんて、もう十何年も前なのに」
「若輩の聞きかじりですよ」
実際にはその、『十何年か前』にここを訪れている……などと思われないように付け足しつつ、ジズは周囲を見回した。二階建ての商店やタウンハウスの前に露店や屋台が並び、いかにも盛況である。
怪しげな店は裏通りだろう。出どころの怪しい情報から、うまいことウィルヘルミナの尻尾をつかんだフリをするつもりだった。マッチポンプで非常にむなしいが仕方がない。
「早速ですがフリーダさん、その女吸血鬼を探しましょう。目撃情報とか、潜伏できそうなところを聞き込みするかたちで」
「うん。それじゃあ、信徒の集う教会とか、裏に通じた酒場とかがいいかな」
言われて、少しジズは考える。この街の酒場は、吸血鬼どもが質の良い血を得ようと
「では手分けしましょう。僕は酒場で」
「私が教会だね。……危ないことはしないでよ? 約束してくださいね」
「話を聞くだけですよ」
心配性な彼女に苦笑を返し、ジズは酒場に向かう。
司祭服を着て赴くのは似合わない場所だが、交易によって文化のごった煮と化しているこの街では意外と目立つほどでもない――というのをかつての来訪経験から知っていた。
加えて個人の家ではなく広く開かれた『店舗』などであれば、招かれなければ入れないルールも適用されない。ジズはカウンターに腰掛け、一応聖職者の末席である以上酒は控えているのでレモネードを頼んだ。
飲みながら周囲の話に耳を傾け、どこかで吸血鬼についての適当な噂を捕まえる。
あとはそれが真実になるよう、ウィルヘルミナと共謀して動き、フリーダの前に出現して首を刎ねれば終わりだ。
そう考えていたら、後ろから吸血鬼の噂が耳に入る。
「聞いたか、ムンテ通りの事件」「ああ、血を吸われてたって」
ウィルヘルミナの起こした事件だろう。血を与えなくてはいけない都合、なるだけ離れすぎないように尾行してもらいながらのこの二週間だったが最後の最後は追い越してもらっていた。言わずもがな、吸血事件を起こしてもらい、それを解決したという体を取るためである。
ところが酒を片手に語らう男たちからは、思いもよらない発言が出た。
「なんでも、吸い殺されてたって?」「もう、カラッカラだよ。最初は藁束のカカシが倒れてんのかと思ったくらいさ。一滴残らず血を吸われた死体だと気づいたのは、もがき苦しんで死んだ顔が見えてからだね」
ジズはがたんとスツールを倒して立ち上がっていた。周囲から怪訝なものを見る眼が向くが、気にしてなどいられない。お代を投げ出し、彼はきびすを返した。
たしかにウィルヘルミナには事件を起こすよう言った。だが一滴も残さず吸い殺す、などというのは話がちがう。
『人間は殺さない』。その了解のもとに、二人は今日まで行動を共にしてきた。
あくまで二人の仇敵は吸血鬼・カミラであり、その打倒に際して無関係の人間を巻き込むのはけっして許されないことだ。あのユージンとの戦いのあとで、そう決めたはずなのだ。
「あいつ、どこに行った……」
早足で街角を駆け巡り、姿を探す。
焦る気持ちが膨らみ、ジズの頬からは嫌な汗が垂れ始める。
時間の経過は日の傾きを招き、山に挟まれた谷の中に位置する《悪魔の十字路》は、次第に闇に落ち始めていた。
そんな、街の一画で。
どよめきがさざなみのように広がり、次いで大波のような悲鳴となって荒れ狂った。
教会の方向である。ジズが見やると、人波が分かたれるところだった。
左右に別れた人の列の間に居るのは――
「うっかりしてたのかな、正体を現したね。じゃ、死になさい」
「ぐうううっ」
――槍を突きこみながら全力で駆けるフリーダと、必死にこれを凌ごうとしているウィルヘルミナだった。
フリーダは長い脚で地面をしっかりと捉え、大きく体を前に押し出す。
長い腕が躍動し、次々と槍を送り出す。柄がしなって軌道はねじ曲がり、蛇が襲いかかるような鋭さで穂先が刺し込まれる。
ウィルヘルミナは
ジズは思わず声をあげそうになるが、ここで呼びかけるなどすれば彼女とジズが組んでいることがフリーダにバレてしまう。……いや、そもそも彼女が人を殺めたのであれば、もうバレても構わないのか。人を死なせてしまったのなら、ジズは彼女諸共に死ぬべきだった。
けれどまだ、ウィルヘルミナが本当に殺めたのかは、わからない。
「…………吸血鬼っ‼」
だからジズはそう叫び、予定通りに動いた。つまりウィルヘルミナ討伐のフリをつづける。
ウィルヘルミナは両腕に円刃連鎖の輪を数十枚連ねることで籠手替わりにして、防御をしている。その動きは明らかに上半身、とくに首を執拗に守る構え。
すなわち、頸椎を砕かれると死に至る眷属の演技だ。
フリーダも眷属だと思い込んでいるだろう。だからジズがアシストし、フリーダに首を
そう思い、ジズは杭を投げつけた。ウィルヘルミナはこちらの意を汲んだらしく、左腕にわざと食らってガードを下げた。
ここを見逃さず、フリーダは首に横薙ぎを走らせる――と思ったのだが。
なぜか彼女はまっすぐにウィルヘルミナの胸を突き刺した。肺腑を貫かれ、ごふ、とウィルヘルミナは口から粉っぽい血をほとばしらせる。
だが当然致命傷にはならない。吸血鬼にとっては再生可能な負傷だ。
その意味不明な攻撃選択の意味に、ジズは一瞬遅れて気づく。野営のときにフリーダは『突き刺したら再生力にものを言わせて無理やり止められることもあるからね』と語っていたが。
傷口の再生によって、『突きを止められること』そのもの……槍と相手の体が、強力に固定されることこそが目的だとしたら。
フリーダの貌が、いつもの微笑みのまま凶悪な技を起動する。
「《
刺したままでぐるんと反転し、膝を屈しつつ相手に背を向ける。槍の柄を肩に担ぐ。
石突を地面に押し当て、フリーダは肩に当たる柄を、渾身の力で跳ね上げる。肩を支点に、梃子の原理でウィルヘルミナを飛ばしたのだ。
心肺を抉られながら上空に放り出されたウィルヘルミナは、やがて重力に逆らえず落ちる。
落ちる。
落ちる。
どこへ?
石突を地面に付けたまま、地と垂直に立てられた槍の穂先へと――だ。
「水は眠れど敵は眠らず……かつて国境守護を任じられた私の一族は、この槍技で以て恐怖を与えることで、寡勢による防衛を成しました」
フリーダが槍から手を離した瞬間、
落ちてきたウィルヘルミナが足の間から脳天まで、串刺しとなった。
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