第12話
後輩の指導も、自分の仕事も、課長の半パワハラも。全てをなんとか五体満足のまま切り抜けた俺は、待ちに待った休日を謳歌するべく、鞄と楽器ケースを抱えて蓮の自宅へ押しかけた。自宅と言うか、防音室に。
手に馴染む楽器の重み、マウスピースの冷たさ、吹き込んだ息に合わせて鳴る音。全部が一週間ぶりだ。酒も煙草も嗜まない俺に、馬鹿みたいに強烈な快楽をもたらしてくれるこの時間が堪らない。麻薬のようだといつも思う。
口と楽器を慣らして、チューニングして、軽く基礎練して、いよいよ「Trumpet Love letter」の練習に入る。一人で軽く吹いてみたが、やっぱり曲自体が高難易度というわけではないようだった。
楽譜が白いということは、テンポや強弱なんかを表す演奏記号だけじゃなく、細かい連符も少ないということ。この曲に関しては、八分音符より細かい音の粒が出てこないのである。緩やかな伴奏に、伸び伸びとした主旋律を乗せ、ビブラートで色気を付けながら壮大に演奏する。超絶技巧を要求されても困るけれど、こういう地力を試されるような曲も、だいぶ緊張してしまう。
俺の準備運動が済んだところで蓮に声をかけ、ピアノと合わせて吹いてみた。自分たちの現在地を知る為に、とりあえず一曲通しで。短いからフル尺で演奏してもばっちり五分に収まってくれるし、それほど疲れもしない。
互いに、なんとか音を止めずに演奏を終えることができた。……が、何故だろう。あまり手応えがない。顔を上げると、蓮もすごく微妙な表情でこちらを見ていた。二人で首を傾げる。
演奏しながらだと客観的に評価するのは難しいので、今度は録音しながら再び通しで演奏した。感度の高いマイクで音を拾い、音質の良いスピーカーで再生してみる。
かくして自分たちの演奏を聴いた俺たちは、やっぱり首を傾げたのだった。
「……なんか、こう……違うよな……。いや、間違ってるわけじゃないはずなんだけど……」
「なんて言うか、いかにも『楽譜通りに演奏しました!』って感じ。機械的でつまんないね」
「だな……」
楽譜に記された最低限の記号を守りつつ、ピアノもしっかり聴いて合わせたつもりだ。しかし、楽譜通りを意識し過ぎてしまったのか、個性がなくて面白くない曲になっている。出演予定の演奏会の中だと、「経験者」の枠に入ってしまうのだろう俺たちが、堂々と披露して良い出来ではない。
「うーん。まあ、最初だし、こんなもんでしょ。ここからどう面白くしていくかが、今後の課題かな」
「面白く、か……」
明確な指標が存在しない芸術の世界において、何を以て「面白い」とするのか。その基準も人それぞれである。万人受けするものを創り上げるのは、恐らく不可能。だからこそ、せめて当事者である自分たちが納得できる程度のものにはしていきたい。
もう一度、録音した演奏を流してもらった。全体的に、曲が平坦でつまらない気がする。蓮も同じ感想を抱いたようで、ピアノ用の椅子に座ったまま指摘してきた。
「音源と比べて、ダイナミクスが弱いんじゃない? もっと大袈裟にやってみても良いと思うよ。俺も合わせるし」
「…………」
ダイナミクスが弱い。要は、強弱をしっかりつけろ、ということ。確かに俺の演奏には、迫力や臨場感が足りない。それは分かっている。……分かってはいるのだが。
「……なんかさあ、それがあんまり、腑に落ちてないんだよな」
「? どういうこと?」
「譜面上でも音源でも、盛り上がるところはあるけどさ。なんで盛り上がるのかが分かんねえんだよ。それまでは穏やかだったのに、なんかここ、急にボルテージが上がってるような感じしねえ? 手紙書いててボルテージ上がるって、どういう状況なわけ?」
トランペットの楽譜を持って蓮の席へ近付き、指を差しながら相談した。曲の中盤、譜面上ではSecret episodes(秘密の思い出)からOverflowing emotion(溢れる感情)へと繋がっていく部分である。
演奏記号としてはallargando(段々遅く、段々強く)の指示があるから、盛り上がる部分なのは確かだ。この曲における最初の見せ場だと言っても良い。蓮の言う通り、大袈裟なくらいダイナミクスをつけて情緒たっぷりに吹き切るべきなのだろう。
でも、この曲は大切な相手へのラブレターを書いている様子を表現しているはず。穏やかな気持ちで愛情をしたためている
「……ふ~ん。つまり航大には、この部分が、突然ボルテージを上げてるように聴こえるってこと?」
「おう。実際、そんな感じじゃねえ?」
「……へえ、そっか。まあ、捉え方は人それぞれだよね」
「は?」
いつもと違う雰囲気で笑う蓮に、俺はますます混乱する。
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