ラブレター
@kumehara
第1話
定時だ。
PCを眺めて、キーボードを叩いて、マウスを触って、資料を印刷して、たまに電話に出て、上司に嫌味を言われる。それだけをひたすら繰り返す八時間が、今日も終わった。
椅子に座ったまま、ぐぐっと背伸びをしたら、肩やら腰やらいろんな所が鈍い音を立てた。残業続きだったし、長時間同じ体勢でいることも多いから、凝り固まっているんだろう。社会人、つら。もうやだ、帰る。
だらしなく背もたれを支えに仰け反れば、真上から俺を見下ろす視線が一つ。
「
「おー。お前も?」
「そのつもり」
同僚の
「ねえ。早く帰れるならさ……久しぶりに、やる?」
「やらねえ。残業ばっかで疲れてんだ。今日はさっさと帰って、さっさと寝る」
「えー、そうなの? ……まあ、いいや。じゃあ、やりたくなったら声かけてよ。俺はいつでも大歓迎だから」
「へいへい。……つーかさあ、蓮」
「何?」
上下が反転していても、へらへら笑っているのだけは分かる。こいつ、いつも楽しそうだな。羨ましい限りだ、まったく。
「毎回毎回、そのいかがわしい誘い方すんの、やめてくんね? おかげで、あらぬ噂が立ってるらしいんだけど」
「噂? どんな?」
「俺とお前が付き合ってるとか、同棲してて毎晩お楽しみだとか、近いうちに寿退社するとか、そんなん」
「あはは! 何それ、ウケるね」
「ウケねえわ!」
ガバっと体を起こした。頭に上っていた血液が、一気に下がっていくような感覚。気持ち悪い。
でも、そんなのを無視してでも、俺はこいつに抗議しなければならないのだ。今後の色鮮やかなサラリーマンライフを守る為に。
「その噂のせいで合コンにも呼んでもらえなくなったし、女性社員と会話してても『あんまり長く話していると、早川さんに悪いので……』とか言われるようになったんだぞ! 誤解を解くのにいちいち説明しなきゃなんねえのも面倒臭えし! どうしてくれんだ!」
「モテないのを俺のせいにしないでよ。俺は普通に女の子寄って来るし、飲み会も誘われるよ? 俺が居ると相手の集まりが良くて助かる、って。それに、こっちの誘い方が悪かったとして、そのまま会話続けるそっちも悪くない? 共犯でしょ」
「うるせえ、ちょこちょこ自慢挟んでくんな!」
「短気~」
ムカついて頭を小突いてやろうと思ったのに、軽く躱された。余計にムカつく。蓮の言う通り、俺は短気なのだ。重々承知している。疲れて気が立っている、というのも大いにあるが。
「お疲れ様です、
「え? あ、はい」
クソが……と恨みがましく蓮を睨んでいたら、同じ部署の女性社員に声をかけられた。可愛くて、気が利いて、ちょっと気になっていた子だ。別の同僚情報によれば、今は彼氏もいないらしい。
飯の誘いとかかな、だったら嬉しいな、なんてワクワクが顔に出ないように気を付けながら振り向く。
「何か──」
「課長から、この資料の確認を明日の朝までに済ませるように、とのことです」
「え…………明日の、朝……」
無慈悲な紙の束が、重厚な音を立てて俺の机に乗せられた。たぶん、会議か何かで使うのだろう。企画は出したがいつの間にか課長の手柄にされていたプロジェクトの情報が踊っている。
チラリと課長を見やれば、ニコニコ笑顔でこっちを見つめていた。五十代半ばのおっさんの笑顔、可愛くない。泣きたい。
「あーあ。航大、今日も帰れないね」
「いつも、お疲れ様です……。あ、あの、早川さんは上がりですか?」
「俺? うん、もう帰るよ」
「私もなんです! よろしければ、一緒にお食事へ行きませんか……?」
「んー……今日はあんまりそういう気分じゃないかなあ。ごめんね」
「あ、いえ、お気になさらず。急でしたもんね。今度は事前にお誘いします!」
「ああ、うん。そのうちね」
「……おい、蓮」
「ん? 何?」
横で始まった不愉快な会話をぶった切って名前を呼んだ。別にこいつが羨ましかったとか、嫉妬したとか、そんなんじゃない。断じて。
「週末、お前の家に行く。……やるぞ」
「! やった! 待ってるね」
食事の誘いを受けた時よりも明らかに声が弾んでいる。なんでだよ、と思わなくもないが、仕方がない。こいつは、こういう奴だから。それ以上の説明なんてできないのだ。
いかがわしい噂を加速させてしまったことにも気付かないまま、俺は目の前の資料を手に取った。
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