第7話 最初で最後の……

「リア……」


 泣きじゃくる私の頭に、ギルがぎこちなく手を置いて、何度も優しく撫でてくれる。

 温かい、大きな手で。

 何度も、何度も……子供をあやすみたいに。



 私……ギルに頭撫でてもらうの、嫌いじゃなかった。


 ううん。

 『子供じゃないんだから』なんて、怒ってみせたりしたけど……ホントは、すごく嬉しかった。


 とっさに、『やめて』なんて言っちゃったこともあったけど。

 あれは、ただの照れ隠しだったの。


 ホントは……ホントはね?

 もっと、こうしていて欲しかった。

 小さい頃、向こうの世界の――桜さんのお父さんが、してくれていたみたいに。


 あなたの手は、お父さんみたいに大きくて、温かくて……。

 この世界に来たばかりの頃、心の底では不安ばかり抱えていた私にとって、救いにすら思えた。

 いつも、すごくホッとして……そのまま、全部ゆだねてしまいたくなるほど、あなたは心の支えだった。



 ……好き、だったのに……。



 なのに、今日……私はこの手を失うんだ。

 優しい、温かい――この大きな手を、永遠に失ってしまうんだ。

 今日を境に、彼から頭を撫でてもらうことは、もう、二度とない――。



 そう思ったら、寂しくて。

 どうしても、泣き止むことが出来なくて。


 私はただ、みっともなく泣き続けた。




 泣いて泣いて。

 目元がヒリヒリするくらい、泣いて。


 ようやく、落ち着きを取り戻した頃。

 頭上で、ギルが私を呼ぶ声が聞こえた。


「……え?」


 反射的に顔を上げた私の唇に、彼の唇が重なった。


「――っ!」


 驚いて目を見開きはしたけど、私は拒めなかった。



 ううん、違う。……拒まなかった。


 これが最後だって、わかっていたから。

 最初で最後の、唇へのキスだって。

 心に決めて、彼は私にキスしたんだって……何故か、強く感じられたから。



 カイルに悪いと思いながらも。

 私は身動きひとつせず、ギルの想いを唇で受け止めていた。


 ファーストキスじゃない――ってことで、どこか、心の余裕があったのかも知れない。

 〝カイルとファーストキスを済ませてる〟という安心感が、一度だけなら……っていう甘えた気持ちを、私に抱かせたんだと思う。


 それに……。

 ギルからは、大きな悲しみや苦しみ、絶望、混乱、嘆き。そんな負の感情しか伝わって来なくて、怖くて、動けなかった――ってこともある。



 どうしてだかわからないけど。

 彼が、何かに怯えているように思えて。

 震えてる、小さな男の子みたいに思えて。


 とてもじゃないけど、『突き放す』なんて選択は出来なかった。



 ねえ、ギル……何をそんなに怯えてるの?

 この、まぶたの裏に映る――震えてる、小さな男の子は……誰?


 この子は……。

 ねえ、ギル。

 この子は、もしかして――……。



 唇が離れた感覚で、私はそっと目を開いた。

 すぐ前にあるギルの顔を、ぼんやりと見つめていると、彼は寂しそうに微笑して、


「どうやら、もうひとつの約束は……守ってはくれなかったようだね」


 責めているような口調ではなかったけど、そんな言葉を漏らした。


「……約、束……?」


 口にした瞬間。

 ――別れの夜の、ギルの言葉が脳裏をよぎる。

 私はハッと目を見開き、片手で口元を押さえた。


「思い出してくれたかい?」


 穏やかな声で訊いた後、ギルは寂しげな微笑を浮かべる。


「君が、『王子』ではなく、自然に『ギル』と呼んでいてくれたから……。きっと、もうひとつの約束も守ってくれているのだろうと、勝手に期待してしまっていた。だが……どうやら、思い違いだったようだね」


「……あ……」



 そうだ。ギルとの約束――。


 私、彼と約束してたんだ。

 ギルが国に戻る日の前日。

 別れの夜に、あの塔で……。



『唇は……誰にも触れさせないで欲しい』



 ギルはそう言って……私もうなずいて。


 なのに私は……。

 私は約束を破って、カイルと……。



「そんな顔をしなくていい。君を責めているわけではないんだ。ただ……君の心はカイルのものだと言うのなら、せめて、初めてのキスは私と――……などと、淡い期待を抱いてしまっていただけだよ。……それすらも手遅れだったとは、予想もしていなかったが」


 自嘲するようにフッと笑うと、ギルは私から目をそらし、


「控えめに見えて、カイルもなかなかやるね。私は少し、彼を甘く見過ぎていたようだ」


 『それが私の敗因かな』と、彼はまた、寂しそうに笑った。


 ……その笑顔が切なくて。

 いけないと思いながらも、私の両目からは、再び、涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。


「リア……泣かないで。君が泣く必要はない。君が悪いわけではないんだ。他の誰かが悪いわけでもない。誰も悪くないんだよ。……それはわかっている。わかってはいるが、それでも、どうしても――」


 指先で私の涙をぬぐってくれながら、ギルはぽつりとつぶやく。


「君を諦められそうにない。……それだけだ」


「ギ……ル……」


 涙で視界がぼやけて。

 彼が今、どんな表情をしてるのかさえ、わからなかった。

 締め付けられるように痛む胸を押さえながら、私はただただ泣き続けた。


 彼は、そんな私の頬に手を当てて、


「リア。最後にひとつだけ、私の願いを聞いてくれないか?……あと一度。たった一度だけでいい。君を抱き締めさせて欲しい。……ダメかい?」


 最後と言われて……一度だけと言われて、断われるはずもなかった。

 涙でいっぱいの両目を閉じ、私は無言のままうなずいた。

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