【書籍化作品/他視点前日譚】公爵令嬢アリステリアのメイドは、いつもお嬢様第一主義

野菜ばたけ『転生令嬢アリス~』2巻発売中

第1話 婚約破棄? お嬢様がする方じゃなく、される方で?


 ヴァンフォート公爵家の屋敷にて、優雅にティーカップを傾けるアリステリアお嬢様に、思わず聞き返す。


「お嬢様、今なんと?」


 今、何やらものすごくあり得ない言葉を聞いたような気がしたのだけど。

 そんな気持ちを隠さず聞けば、彼女はもう一度同じ事を言う。


「王太子殿下から婚約破棄を申告されたの。その話を私は受けるつもり」


 婚約破棄? お嬢様がする方じゃなく、される方で?


 どうにか動いた緩慢な思考で、最初に思ったのがソレだった。





 そもそもお嬢様は今日、夜会に行った筈だった。


 日によるものの、大抵夜会がある日の帰宅は午後十時を回ってからが殆どだ。

 それが、今の時刻は午後八時半。

 それも帰ってきて、ご両親と何やら話をした後に、お風呂に入り部屋着に着替えたりもした後の今。


 どれだけ珍しい事なのかは、それだけでも分かり切っていた。


 そもそもお嬢様――アリステリア様は、社交場では引っ張りだこだ。

 容姿端麗、才色兼備。婚約者という立場ではあれど、既に王国の公務に携わっている。


 いつも柔和な笑みを浮かべ、誰に対しても平等に接する。

 使用人や王城勤務の平民出の文官にも優しく、区別せず、息を吸うように勤勉さを発揮する。

 こちらが心配になる程の仕事量を常にこなし、成果だって出している。


 話していると、たまに私では思いも寄らないところまで考えていたりする。

 そんな人だ、当たり前のように、周りからの評価は総じて高い。



 貴族社会でこれだけ皆に好かれている人も、中々いないのではないか。

 そんなふうに思えるほどに、お嬢様は優秀だ。


 そんな彼女が、何故婚約破棄なんて申告されるのか。

 それが私には分からなかった。




 だって、そうでなくてもこの国の王太子は――全くダメという訳ではないけど――口が裂けても「優秀」とは言えないような人だ。


 別に殿下に、何か悪いところがある訳ではない。

 強いて言うなら、実務能力も高くなく、とびぬけて頭が回る訳でもないが、お嬢様と比べれば大抵の人がそうだろう。

 

 個人的には、お嬢様には、お嬢様に負担が行き過ぎるという意味で釣り合わない相手だと思うけど、お嬢様の考えや思いを尊重し共に在る事を良しとした人という点では、お嬢様の隣にいる資格がある。

 そんなふうに思っていた。



 私は一介のメイドで、お嬢様のメイドである。

 思い入れも勿論お嬢様の方にある。

 もしかしたら贔屓目もあるかもしれない。


 傍から見れば殿下にも、お嬢様以上に優れた点があるのかもしれない。

 でも、もしそうだったとしても、お嬢様に婚約破棄を言い渡すだなんて。

 信じられない思いと怒りが、私の心を黒く染める。


「殿下は婚約破棄の意味を、ちゃんと知っておいでなのでしょうか」


 固く低くなった声は、まだある理性で怒りを押し止めた結果だった。



 婚約破棄をされるなど、滅多にある事ではない。


 令嬢からすれば、名に傷をつけられたも同然。

 婚約破棄という結果は、破棄されるほどの事由がお嬢様側にあった事を遠回しに証明するようなものだ。


 実際にどうかは関係がない。

 そういう印象を持たれてしまうという時点で、印象と人間関係が物を言う社交界では致命的になる。



 女性貴族として一般的な『妻になる』という幸せも、今後の社交も、すべてがやりにくくなる。

 貴族にとってそれは、未来を閉ざされるという事にもなりかねない。


 こんな事、ただのメイドである私でさえ理解できる道理だ。


 それをもし殿下が意図的にしたのだとしたら、お嬢様を蔑ろにしているも同じ。

 そうでないのだとしたら、そんなバカな王太子は将来国王になる資格などない。


 少なくとも私は、そう思う。

 そしてどちらだとしても、結局のところお嬢様の事を大切にしていなかったからこそ起こせた事だと感じた。


「陛下とはまだお話していないけど、今日の夜会で、公衆の面前で、殿下がおっしゃった事だもの。もう貴族たちの間では、破棄は周知の事実も同然よ」

「なるぼど、アレはバカでしたか」


 反射的にそんな言葉が出た。



 お嬢様は、小さく苦笑する。


「そのような言い方もその顔も、殿下に対して少し不敬ね」

「私はお嬢様のメイドですから。他の方への不敬など知りません」


 本気で私の事を窘める気などないお嬢様に、私は表情を変えない。



 その顔とはどんな顔なのか。

 おそらく能面のような顔でもしているのだろう。


 元々表情に乏しい自覚はある。

 その上、ここまで怒り、それを押さえている状況だ。

 そんな顔になっていても仕方がないと我ながら思う。


「私は、お嬢様が軽んじられているこの状況が気にくわないのです」

「分かっているわ、フーが私を思ってくれている事は」


 不満をぶつける私にも、お嬢様は相変わらずの穏やかな顔だ。


 怒る様子はまったくない。

 お嬢様が怒ったところなんて一度も見たことはないけど、今回も例外ではないようだ。


 ――少々人として出来すぎなのではないだろうか。

 そんな本来抱く必要のない不満を、思わず心の端に抱く。


 そんな私の気持ちを察したのだろう。

 お嬢様は「大丈夫よ」と朗らかな笑顔を向けてくる。


「婚約破棄には私も納得しているの。せっかくだから、殿下の婚約者ではできなかった事をやってみようと思って」

「……できなかった事?」


 お嬢様の顔をジッと見るけど、たしかに納得はしていそうだった。

 むしろどこか清々しい気持ちになっているようにさえ見えたから、私は食い下がるのはやめる。

 

 代わりにやりたい事が何かを聞けば、彼女はサラッとこう言った。


「平民街で、市井の皆さんに紛れて暮らしてみようかと思って」

「は?」


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