第38話 旅路にアクシデントはつきものだ

 

仙娥せんがの霊峰』……霧と雲海に覆われた仙境せんきょうを差す天空審判の地だ。

 尖閣のような岩窟に側面を覆われた山岳地。頭上、足元ともに霧雲に包まれ視界が判然としない物寂しい場所である。常に吹きつける強風が凍てつかせ、遥か頭上、奥に進む天仙境には雷雲が立ち込める。

 遥か昔、すべての者の心を詠むべく悟りを開かんと修行が行われた場所らしい。定かではないが、天に一番近い場所と恐れられている。

 そのような未開拓の仙境に彼らは挑むべく、『仙娥の霊峰』への道のりの原野を歩く。


「で、今日調達したいのはセフィラ製造に必要な鉱石類と仙境でしか手に入らない雷属性の素材だから」


 そうほしいものを告げるリヴ。出発時の気だるげはさっぱりと晴れ、ウキウキワクワクなのがわかる。スキップをしているくらいだ。


「雷属性?」


 そう訊き返したのは同行者のアイレ。アディルの条件を呑んだアイレはこうして素材集めに同行している。随時、アディルが意識を集中させ怪しんでいるのに対して、リヴはアディルたちにするように軽く「そうそう」と振り返る。


「『クルル海湖』って水辺でしょ。もしも、すごく強いパンテオンがいた時に対応できた方がいいじゃん。水に効果的なのは雷だしってこと」

「なるほど。リヴさんは錬金術師なんだよね。セフィラの材料ってことはリヴさんが作るの?」

「えっへん! あんたが想像以上にあたし天才ですから!」

「想像以上のバカの間違いだろ」

「うるさい。そういうアディルだってめんたいこにしか見えないから」

「黙れ。めんたいこ言うな、貧乳が」

「ギルティ! 貧乳言うなし! 貧乳じゃないし! 貧乳寄りの美乳だし!」

「貧乳じゃねーかよ」

「アディルのバカアホめんたいこ!」


 ふんとそっぽむくリヴに意地になったとアディルは自分にため息を吐いた。


「二人は兄妹なんだよね? 仲悪いの?」

「えっと……仲は悪くないかな。いつもこんな感じなんです」


 苦笑して伝えるルナは最早慣れたものだ。どっちからとかはないが、基本どっちもがちょっかいをかける。そこからバカアホめんたい、こと貧乳だのと応手だ。むしろ、言い合う二人を見てルナは「今日も二人は元気だね」と確認するのが日課になってきているまである。


「それよりも、その仙境だっけ? そこにはどんなパンテオンがいるの?」


 喧嘩を止めるのは簡単である。睨み合いをめた二人はルナに視線を向けて空気がしぼむように互いの距離をとって落ち着いていくのだ。ルナは母親か。


「『仙娥せんがの霊峰』は霧雲に覆われた場所で、雲と雲の摩擦で雷が起こりやすいの。あと風が強い。だから、パンテオンは雷属性のとか風を操るのとか、後はりゅうがいるんだ」

「竜?」


 それはなんだか聞き覚えのある言葉だった。とても大きな存在を表す言葉に感じるルナにアディルが答える。


雷霆の覇竜ドゥグロームっつー雷雲を操る竜がいやがる。そもそも、『仙娥の霊峰』を占める上空の雲っつーのはすべて雷雲だ。それを作ってやがんのがドゥグロームっつー竜なわけだ」

「聞いたことがあるよ。竜が風を起こし、その風の摩擦で雷雲をつくりだす。その雷雲は山一つを吹き飛ばす威力があるって」

「山一つ⁉」


 あまりの規模の大きさに驚愕するリヴ。「ふふ、すごいでしょ」となぜか自慢気なリヴは置いておいて、『クルル海湖』に向けた素材採取のはずだが、最速雲行きが怪しくなってきた。不安気なルナにリヴが「大丈夫大丈夫」といつも通り信用できない言葉で励ます。


「さすがに戦ったりしないから。うん、さすがに死ぬからね」

「それって、最初の冒険の時に戦った黒いパンテオンよりも強いってこと?」

「それはねーよ。っつっても、ギルタブリルはあんとき本気じゃなかったがな」

「うそ……本気じゃなかったの?」

「ああ。そもそも俺が一人で太刀打ちできてる時点で不可解だったんだ。『十一の獣』っつのーは天場を地獄に突き落とした、言わばパンテオンの最強種どもでまさしく災害だ。オマエという歌姫ディーヴァがいなかったら、俺とリヴは今ここにいねーよ」


 アディルの見解は正しい。『十一の獣』とは本来そういうものだ。

 約三百年前に天場エリドゥ・アプスに侵攻してきた、【殺戮の化身クリファ】たち。いくら当時に戦う術がなく、戦士の力量が劣っていたとして、災害を食い止めた三英雄ですら『十一の獣』は二体、【過去の獣】ラウムと【月狂の獣】ウリディンムしか討伐を成せていない。残りの一匹、【翠星の獣】クルールも討伐されたと英雄譚に残っている。それから現在まで残りの『八獣』が討伐された報告はゼロ。名だたる英雄や戦士が土に還るだけだ。


 アディルの力量は眼を見張るものがある。間違いなく軍でもトップの実力であろう。しかし、それでも四属性すべての魔術を使える歌姫セルリアには敵わない。そのセルリアですら心歌術エルリートを持ってして『十一の獣』には勝てなかった。

 この意味、わかるだろう。


「俺らが勝てたのは、ギルタブリルが本気じゃなかったのと、ルナ……オマエの心歌術エルリートのお陰だ」

「私の……お陰?」


 信じ難い、ぴんときていないルナ。今はそれでもいい。けれどいずれ己の価値を自覚しなければいけない時が来る。アディルはそっとそれを伝えた。


「オマエには才能がありやがる。誇るくらいしとけ」

「…………うん」


 納得いかない様子。それでもアディルの助言のようなものを呑み込んでおく。


「あれ? なんか走ってくるよ」


 そう、リヴが原野の先を指差した。ここ、仙境までの道のりである原野はエレメントが結晶状になり岩石のように地面から生えている。潤沢なエレメントの原野にて、エレメントを好むパンテオンが多く生息。しかし、前方からやって来たパンテオンはまるで違う。

 まるで人の子供が走ってくるよう。長く横に垂れた白い耳。三歳児ほどの背丈にぬいぐるみいのように丸まった手足。その眼と口は×印だ。


「か、かわいい~~!」


 走る姿もキュートな兎のパンテオンが『きゅきゅ』と鳴いて、リヴの背後に回り込んだ。


「わぁっ! ミミルクだ」

「きゃぁー! かわいい!」


 リヴの脚にしがみつき、『きゅきゅ』と訴えるように鳴くミミルク。その背には背丈と同じ瓶を背負い、半分を下回るミルクが入っている。


「どうしたんだろ? なにか話してるみたいだけど」

「うーん、あたしパンテオンじゃないからわかんないや」

「パンテオン同士でもわかんねーだろ」

「撫でても良いかな?」

「それは後にした方がいいかもだよ」


 ミミルクにハートがキュンとしているルナに警告を出したアイレが見据えるのはミミルクが逃げて来た方向。

 やって来たのは四匹の四脚の爬虫類はちゅうるい。全長は一七八辺りのアディルと同じくらいであり、その身体は遠目からでもよくわかるほどに光濡れている。四つに割れた舌でなめずりながらその単眼がニヤリとミミルクとアディルたちを定めた。


「うっ。気持ちわるい。なにあれ?」

「キュクロプスだね。狙った獲物を逃がさない、どんな得物でも丸呑みするはずだよ」

「そうそう。加えてあの単眼がすごいんだ。雷を放てるし、熱の温度を測れるし、数十キロル先まで見えるんだ。ここで出会えるって運命かも!」

「嫌だよそんな運命!」

「ふふふ。ここで出逢ったも百年目。観念してあたしの素材になりなさい!」


 言うがはやし、土で形成したつぶて投擲とうてきした。大気中を駆ける土礫はキュクロプスの単眼から放たれた雷によって霧散される。背後、二匹のキュクロプスが続けて雷を穿つ。


「ルナは心歌術エルリートの準備をしろ。俺とアイレこいつで前にでる」

「こいつ呼ばわり⁉ ま、いいよ。僕の実力を見せるチャンスだね」

「わかった!」


 精神を統一するルナの脇を二人の戦士が駆け抜けリヴの前に出る。


「【サラマンダーよ・焼き払え】」

「【シルフよ・吹き飛ばせ】」


 それぞれ火と風のエレメントにナギで干渉し魔術を発動させる。セフィラの剣と槍に炎と風が顕然し、振り払う動作に倣って放たれた魔術が雷を相殺した。

 膨れ上がる煙は互いの姿を視界から掻き消す。しかし、熱で対処を確認できるキュクロプスの単眼が煙の奥の獲物の位置を捉えた。


『ギョロロロロロロロロッ!』


 泥遊びするような奇声を鳴らし、四つの雷が駆け抜ける。煙を裂き人間を穿たんと迫り。


「~~~~~~っ!」


 歌が響いた。激戦には相応しくない、それでいてどこか奮い立たせるような歌声がパンテオンの理不尽を打ち払う。展開された障壁が雷撃を阻んだ。唐突なことにギョロリと眼を開くキュクロプスは瞬間、襲い掛かってきた虚無感の激しい苦痛に咆哮ならない悲鳴を上げる。

 心歌術エルリートの真価とは即ちパンテオンへの精神解離だ。生きとし生けるものには魂が存在する。その魂を持って個人と証明し、生命と称し、生きると定義する。何より魂がなければ生命力があれどそれは生き物にならない。つまり死を意味する。

 心歌術エルリートとは、パンテオンの肉体と魂の結合を解く秘術を差すのだ。肉体に宿る魂が不安定になることで自分という存在が曖昧になり、正しく存在することができなくなる。そこに押し寄せるのは虚無感と苦痛、圧倒的な恐怖だ。

 ギルタブリルはさすがの精神力で耐えきってみせていたが、通常のパンテオンとなると未熟なルナの心歌術エルリートであっても充分に弱体化に成功する。

 故に二人が動いたのをキュクロプスたちは認識できなかった。

 煙を裂いて左右からやっていた戦士二人は得物を解き放つ。


「死ね」

「ふっ!」


 アディルの一声とアイレの一息。

 炎の剣が一匹のキュクロプスを両断し燃え殺す。恐れるあまりに乱雑に放った二匹目の雷撃を背を向ける形で身体を回転させ回避し、アディルはそのまま右手から背後へ回り込む。


 アイレの風槍が下半部を吹き飛ばし、槍を持ちかえ真正面から迎え撃ち。


 炎が背後からキュクロプスを両断。

 風槍が最後のキュクロプスの雷撃を相殺しそのまま貫いた。


 見事な体捌きに熟練の技と経験豊富な戦場での立ち回り。アイレの動きはアディルのそれと大差なく感服を漏らす程度のものだった。


「お疲れ様。君が強いのは知ってたけど想像以上で驚いたよ」

「オマエも……どれくらい【エリアここ】にいやがる」

「んー……わかんないくらいかな」


 見た目は青年、歳は二十代前半に見えるが、十六のアディルが言えた身ではないがどれだけの研鑽けんさんを積んだことか。

 アディルは一種の恐怖を抱く。想像して目を細めた。


 はたして、この男と戦って勝てるのかと。


 無駄な思考とわかりながらも、正体がはっきりしないアイレを疑う気持ちがそうさせる。


「ちょっと! なんでボロボロに殺してるわけ! 素材にしたいって言ったじゃん!」

「「……あ」」


 なんとなくムキになってしまった二人は顔を見合わせて「忘れてた」と。


「もー! 罰としてキュクロプスを捕まえてきて」

「えー……別にこいつじゃなくても」

「いいから行ってきて。大天才美少女錬金術師のあたしが言ってるんだから従ぇえ!」

「肩書がうるせーな」


 リヴの錬金術には多く助けられている。それを否定できないアディルは、錬金術のためならばリヴの指示に従わざる負えない。だが、このリヴのドヤ顔がやけにイラ立つのだ。


「ほら、早く捕まえてきて。じゃないと作らないからね」

「生殺与奪かよ。仮にも兄にしていいことじゃねーだろ」

「兄なら兄らしく妹のお願いをきくべき! 追加で緑玉髄クリソプレーズ電熱結晶トルマリン瑪瑙メノウ玉髄結晶カルセドニー生命の球オパールもよろよろ」

「クソかよ」


 そう舌打ちをしてさっさと歩いていくアディル。その背を「この場所からあまり動かないでね」と言い残してアイレは追いかけていく。


「リヴ、さすがにあの注文は無茶ぶりすぎるんじゃない?」


 あれら鉱石は『ラータスの鉱洞』などの鉱山にある。見渡す限り原野のここ近くに鉱石が取れると思える場所は見当たらない。

 しかし、当人はきょとん。


「大丈夫大丈夫。これくらいできるって」

「リヴの大丈夫はちょっと信用できないかも」

「失礼な! んーまー大丈夫だって。だって、アディルってシスコンだもん」

「…………」


 出逢って初めて、リヴの大丈夫が信用できる根拠であった。




 リヴだけで対処できるパンテオンばかりとは言え、狙い続けられるのも戦闘音で引き寄せるのも面倒くさいので、一応大きな水のエレメントの結晶を背に身を潜ませる。


「いやー近くの草むらに薬草があってよかったよ」

「それはなんの薬草なの?」


 座りこむルナの脚の間に収まったミミルクが『きゅるる』と首を傾げる。あぁああ、本当にかわいいとルナは頭を撫でる。その頬が緩み切っている。リヴは暇だと採取した薬草を岩で磨り潰す。


「ディル。精神を安定させる効果があるよ。におい嗅いでみる?」


 リヴが一つまみしたディルに鼻を近づける。


「あ、スッキリとしたいい匂い」

「でしょ。回復薬の材料で、そのまま食べたらナギ中毒の予防にもなるんだ」

「ナギ中毒?」


 ミミルクがルナの袖を引っ張り、「ん?」と見下ろすルナ。ミミルクは背中に背負っていたミルク瓶をせっせと下ろし、備え付けのカップにミルクを注ぎ、はいどうぞ、と『きゅるるる』と鳴いてルナに手渡した。


「きゃーかわいい!」


 眼を覚まして一番幸せそうな笑顔であった。

 ルナは「ありがとうね」と有難く頂く。


「そうそう。ナギって使ってると知らない内に身体に溜まっていくみたい。それを分解できるっていう不思議な薬草なのです。だから、回復薬には磨り潰したのとそのままのを入れるんだ」

「うん~! すごくおいしい!」

『きゅるるん!』

「って聞いてないしー! リヴちゃんの授業は難しくないよー!」

『きゅるるる』

「え? あたしも? あ、ありがとう……うん。あたしがおいしくなくて可愛くなくてごめんね!」

「どうしたのリヴ?」

「なんでもない!」


 朝出発して現在まで約六時間ほどは経っていた。ミミルクはミルクを届けるために旅立ち、残された二人のお腹が鳴りだす。ぽよぽよと漂う雲を眺めながら、ぼーとしているとふと何かを視線のようなものを感じて眼を眇めた。

 右手の方角、茂みに何かがいる。


「リヴ、あそこに何かいない?」


 確証はないが、ちょんちょんと裾を引っ張ってリヴに声をかける。


「どこ?」

「あそこ。あの茂みの」


 ルナが指さす方向をリヴが眼を細めた瞬間、かさかさと茂みが動き何かが奥へと逃げていった。


「なんだったんだろう?」

「……きっとあたしのファンね。あたしが可愛すぎてついてきたんでしょ。ふふ、罪づくりな女」

「それ、自分で言うんだ」


 それはどこか、ルナを気遣っているようで、ルナは安堵として少し笑った。


「ルナ、あたしのファンをそのおっぱいで奪おうとかしないでね。まー、おっぱい以外でルナに負ける要素はあたしには無いんだけどねー。ふふ、やっぱりあたしは天才美少女錬金術師として後世に抄本しょうほんを残すべきだと思う。ルナもそう思うよね?」

「…………」


 ルナは思ったのだ。


「リヴはずっと胸が小さいままでいいと思うよ」

「なんで怒ってるの⁉ あと嫌だから! 身長も負けてるのにおっぱいまで負けたくないから!」


 という小さな出来後を挟んで十分後にアディルとアイレが戻って来た。


「なにしてやがんだ?」


 呆れた顔をするアディルの視線の先、顔を赤らめるルナ。そのルナに覆いかぶさったリヴの手は、羨ましい限りの均整の取れた美しい二つの果実を鷲掴みに。


「あ……」


 まるでしまったと言わんばかりに見上げるリヴ。

 胸を揉まれて「あぁっ」と声を漏らしほんのり瞳が潤んで羞恥で今にも死にそうなルナ。

 唖然とするアディル。

 意味のわからない沈黙が流れ。


「あ、あのこれには【エリア】くらい深い事情が」


 と、言い訳の時間も与えられず、アディルは無言でリヴを蹴り飛ばした。


「うぎゃぁあああああああああ!」


 吹き飛んでいったリヴは置いておいて、アディルは溜め息を吐きながらルナに手を差し伸べる。


「あいつに魔術ぶっ放していいからな。全力で。むしろ殺してもいいからな」

「さすがにしません!」

「あいつは殺しても死なねーような奴だ」


 一理あると思ってしまったルナだった。

 差し伸ばされた手をルナはおずおず取り起き上がる。


「えっと……あの……ありがとうございます」

「…………悪い」

「いえ……」


 痴態ちたいを見られた恥ずかしさで耳まで真っ赤なルナと、そんなルナから顔を逸らすアディル。少し遠くで寝っ転がっているリヴ。

 この光景を見てアイレは思った。


「三角関係? なんか気まずいんだけど」

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