第11話 私、一度でもウソ言った事ある?

 恐らくこれが最後の電話になる。

 

 30歳で刑事課に配属され、トントン拍子に破格の出世をしていった俺の刑事勘が脳内で呟いている。

 捜査本部内にいる人間達も全員同じ想い……いや、願いだろう。

 もう誰も、くるみに対して疑念を持つ者はいない。いや、それどころか電話をしている小さな背中に全てを託していた。

『もしもし猫田さん? ごめんね。ちょっと汚いのが肩に触れて、電話出るの遅れちゃった』

 俺への誹謗中傷とも言えるくるみの発言でさえも、意味がある様に思えた。

 『……そんな事はいい……なあ、くるみ……』

 『なあに?猫田さん』

 『…………』


 約二十秒、猫田が返事をしなかった。事件発生時の興奮状態の声はすっかり鳴りを潜めていた。


 立て篭もり事件の発生から30分は『怒りの段階』と呼ばれる時間だ。

 犯人はまず

 ①人質を支配しようとし、脅しなどを行う。

 ②そして警察官が大挙して現場を取り囲んでいるだろうと考える。

 つまり、極度の興奮状態にあるのだ。


 後から知った話だが、くるみは俺が交渉役として猫田と話していた最初の段階から到着していたとの事。

 そして、まず現場の銀行の周りを一周し確認。その後、俺の後ろでやりとりを聞いていたのだ。

 『猫田さん。言いたい事があるのなら、何にも気にしないで話そうよ。さっきも言ったけど、私達ここまでうまくやってきたじゃん』


 『銀行を…………出ようと思う』

 !?

 スピーカーで会話を聞いていた捜査本部内の人間達は顔を見合わせる。そして、ざわつく前にくるみは怒りの表情で人差し指を口に当てて、シーッと言わんばかりのジェスチャーをした。


 『そっか。わかった。お金の事なんだけど、実はそこの銀行には2億あるんだって。こっちも5億集まった……だから、併せて7億キッチリ用意出来たんだよ? 安心して』

 『……』

 再び無反応な猫田。

 「そんな事はいいんだ……」と言う猫田の想いが不思議と俺の脳裏を駆け巡る。

 気がつくと、捜査本部内全員がくるみを取り囲んでいた。


 犯人が投降する期待。

 事件解決の願望。

 まだ、決定事項じゃないと言う苛立ち。

 

 しかし、くるみは、はやる気持ちなんか矛盾もない様子で、表情と口調を全く変える事なく畳み掛ける。


 『じゃあクラウン銀行前に横付けするね。裏口? 正面? あ、夜間金庫の横にもドアあるよね? でもそこなら裏口のが近いかな~。どっちにしようか?』

 『いや……違うんだ』

 『クラウンじゃないの? 車種変更する?』

 『車で逃走しても、どうせ逃げ切れる訳なんかない……』

 確かにそうだ。

 人質を盾にして銀行から出て来て、用意した車に乗り込んだ所で、完璧な道路の包囲網から逃れられるわけがない。くるみが話していた、猫田自身が不利な状況にあると言う認識の開花は間違っていない。

 『じゃあ、周辺道路の警備を解除しようか? ――って、あれ?ニュース番組はどうする?』

 『……狙撃……』

 『え?』 

 ここまでくるみが見せなかった、予想外と言うさまを露呈した困惑。

 『俺は銀行から出てったら、狙撃されるんじゃないか?』

 なんと言う事だ。

 なぜくるみが、狙撃班を本部内に撤収させたのか? 

 まさか、ここまで想定していたとでも言うのか?

 時間経過がもどかしい……。

 『大丈夫だよ。実はスナイパー三人は撤収させて、私の前にいるんだよ。それに山梨県警は色々な事件を対応したけど、何十年も犯人の狙撃はしてないんだよ? あの上九一色村での、某宗教団体の強制捜査でも……だよ?』

 『確かにそうだが……信用仕切れない』

 『そうだよね。でも猫田さんの身の安全は私が保障するし、その後の事も考慮するよ』

 俺達は固唾を呑んでいた。

 拳を握りしめて、祈っていた。

 くるみ……どうする?

 いや――頑張って欲しい。

 

 『俺は……あの映画の様に出て行ったら撃たれるんじゃないか? どうしても不安なんだ……』

 『あの映画ってどの映画? 狼達の午後? ボニー&クライド? でも、これは映画なんかじゃないよ』

 『…………』

 『猫田さん。こうするのはどうかな?  あなたが人質に危害を加えないって証拠を示す為に、人質に銃と爆弾だっけ? みたいなのを渡して、なおかつ人質に囲まれて出てくる。前、後ろ、左右横に一名づつ配置して歩くの。これは、アメリカの要人警護でも採用されている、ダイヤモンドフォーメーションと言う陣形なの。これならスナイパーがいても狙撃出来ないよ。だから大丈夫だよ』


 『…………信じていいのか?くるみ』

 『私が猫田さんに対して、一度でもウソ言った事あった?』

 『……わかった……信用しよう……』


 くるみは、猫田に見えないのにも関わらずウインクをした。

 それから、何分が経過しただろうか?

 猫田はなぜか一人で両手を挙げながら、銀行正面のシャッターを開けて出て来た。

 さながら、死者が天国への扉を開け、光輝く空間へ歩みを進める光景の様に――――

 そして、十人以上の警察官が静かに歩み寄り、猫田の両脇を抱え逮捕した。


 もちろん一人の犠牲者も出す事もなかった。


 捜査本部内の人間も、外に飛び出す。

 俺とくるみは一番最後に出て行った。

 そして、猫田が乗せられたパトカーの後ろ姿を二人で見送った。

 「くるみ……お前のおかげだ。ありがとう」

 「春男。喉乾いた」

 気が付かなかったが、くるみのくちびるはカサカサに乾いていた。

 「乾いてるのはくちびるじゃないか?」

 「バレた? なんどもナメナメしてたんだけどね。一応緊張してたの」

 「そうだよな」

 その直後、情報班の刑事が俺の側に駆け寄り、耳打ちをする。

 「くるみ。今、連絡があった。猫田……いや、犯人はやはり秋田健一と言う人物だ。もしかして知り合いか?」

 「なんで?」

 「俺が秋田の名前を発表した時、くるみが驚いた表情になった気がしたんだ」

 「春男も一応警部なんだね。みんなに確認しながら、ちゃんと見てくれて……見てたんだね。多分、クラスメートで同じ苗字いるから親族だよ。なんか大変になるね」

 「ああ、そうだ。このご時世、特にネットでは誹謗中傷が溢れてるから荒れるな」

 「うん。あ、春男。早く県警に戻りなよ。取り調べがあるでしょ? 私はのんびりするから、猫田さんの事、頼むね」

 「そうだな」

 くるみは素早く振り返り、歩き出した。 

 「くるみ、どこへ行くんだ?」

 「北風に聞いて欲しいね」

 「……」

 くるみのウインクを見れるのもこれで最後だな。


 (見事だったぞ、くるみ……いや、ネゴシエーター青森くるみ)


 俺は女性警察官に耳打ちをして、くるみの後を追わせた。

 せめて、パトカーで家まで送らせてくれ。

 お疲れ様。

 


 


 


 


 


 


 


 

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