第2話 神器『椿』

 一瞬、史桜の体を流れゆく時間が止まった。が、すぐに陽向の方へ視線を向け、努めて平坦な声で問うた。


「……被害、状況は?」

「鎮守衆の大半は負傷で、死んだ奴は今のところ報告なし。半機能不全状態らしいわ。まあ、束ねてた人間が年のいったモンばっかみたいやから、そこはまあしゃあなしっていうところやな。家屋については、前の時みたいな焼き討ち騒動はなかったみたいやわ。人だけを襲った、って感じ。そういうわけやから、賊の詳細については一切不明。……んで、氷室家の御当主様は無傷やったと」

「そう、すか……」


 史桜は詰めていた息を僅かに吐き出す。死人がいないという情報だけでも、胸の内の幾分かが軽くなる思いだった。しかし、決して気を緩めることは出来ない。

 晶臣を攫った賊が行動を起こした、とみるべきだろう。晶臣が連れ出されたと分かれば、まず賊側からすれば身柄を預かっていた氷室家を襲うのは道理。恐らく、晶臣がそこにいないということは、賊に知れたことだろう。

 相手はどういう一手を打つか。


「……蜂屋くんは、氷室が何か恨みを買っているといった話は聞いていないの? 些細なことでも、賊の手がかりになるかもしれませんわよ」

「いえ。別に、任務の関係上訪れただけで、氷室の人間とそこまでの付き合いがあるわけではないんで。ただ、恐らく氷室家を襲った賊と、氷見様を本殿に幽閉した者は同一犯であろうとは思います」

「……詳しく、話聞いてもええか?」


 史桜は小さく頷き、九重課長より下された晶臣の奪還任務について、かいつまんだ内容を二人へ説明した。御播という地にて渦巻いていた陰謀のすべても、だ。そうした古い慣例については、歴のある護衛官である二人はよく理解しているのだろう、大きな反応を見せることなく史桜の言葉に耳を傾けている。

 陽向の顔色が変わったのは、晶臣が教えてくれた「湊崎」という女性の名を出した時だった。それに明葉が目ざとく気付く。


「……立花くん、何かその御方をご存知なの?」

「……いや。そんなはずはあらへんとは思うんやけどな。……十年くらい前、ちょうど架夜が執行人選ばれた頃くらいか。そん時に執行人が一人、亡くなってんねん。……その人が、湊崎っちゅう苗字やったような気がする。当時、俺も架夜とのあれこれでバタついてたから詳細までははっきりしてへんけど。まあ、大祓中の死去……つまりは殉死やったっていう話で、聞き覚えがあるわ」

「十年前くらい……。随分と昔のお話ですけれど、それを蒸し返して騒ぎを起こしているということなのかしら?」

「……はぁ、お前な。他人からすれば昔のことかも知れへんけど、納得しきれてない人間側からすれば今日のことのように思うやろ。……誰も、望んで執行人になる奴なんてほとんどない。その可能性は考えられる」

「つまり、亡くなられた執行人様の親族の方が今回の事件を……、氷室家を襲うようなことをしたということかもしれないってことっすよね?」


 あるな、と陽向は大きく頷く。

 史桜もまた、晶臣から話を聞いていた時に感じていた違和感が腑に落ちた。価値のある神器を奪わず、晶臣に対して手放すようにと説法していたという湊崎という名の賊。彼女が十年前に死去した執行人「湊崎」と関わりのある人物だとすれば――無理やり晶臣の手から引き剥がさなかったのも理解できる。


「まぁ、おいおい対応は考えてこ。多分、九重課長からも何らか通達は来るやろうし。……とりあえず、まず先に史桜くんかな思って伝えてんけど、構わんかったか?」

「えぇ。すみません、立花さん。気遣っていただいてありがとうございます。執行人様には、俺の方から伝えておくんで大丈夫っす。それと、お二方も。賊の件については、気を付けておいてください」

「まあ、夕璃に手を出そうとする輩は、そもあの人の視界へ入れないようにしているので問題ないですわ」

「ええんか、それ……。史桜くんも、気遣いありがとうな。架夜も仕事以外には外に出たがらへんから、俺らのとこも問題はないとは思うけどな。ここへ直接襲撃に来てもおかしゅうはないし、常に厳戒態勢を敷いておくことは頭ン中に入れといてくれ」

「承知」「うっす」


 明葉と史桜両者の首肯を聞き、陽向は腰に手を当てて大きく頷いた。そして、空気を変えるようにパンと宙で手を打つ。


「うし。それじゃあ、九時を目安に居間へ集合してもろて。朝飯がてら執行人の顔合わせでもするか」

「ですわね。……行きましょうか」

「うす」


 訓練場を後にした三人は、各々が忠誠を誓う執行人が眠る私室へと別れていく。

 史桜は出来る限り廊下を歩く音が鳴らないよう気を付けながら、部屋へと戻る。それからそっと扉を開け、未だ眠ったままの晶臣の傍へと寄った。

 すやすやと静かな寝息を立てて眠る晶臣。穏やかな表情に、これから起こさねばならぬことへの罪悪感が胸を占めていく。とはいえ、もう日は昇っている。朝だ。


「執行人様」


 細く薄い肩を優しく揺らしてやれば、晶臣の細眉がくっと眉間に寄る。か細い呻き声。更にもう一度肩を揺らせば、ゆったりとした動きで瞼が開かれ、薄氷色の眼が露わとなった。

 ウロウロとさまよっていた夢眼は、ゆっくりと史桜の方へ向けられる。


「おはようございます、執行人様。もう朝っすよ。皆集まって食うみたいなんで、さっさと準備して朝飯食いに行きましょう」

「あしゃごはん……。たべ、ます……」


 んん、と鼻にかかった声。まだ半分夢見心地に浸っている様子。それを覚ますべくか、晶臣はぐしぐしと目の下を数度擦り、しばし史桜を見つめてからふにゃんと微笑んだ。


「おはよう、ございます、史桜さん」

「はい、おはようございます」


 大分覚めたのだろう。晶臣の声は、先程より幾分かはっきりとしていた。史桜は晶臣を布団の中から出し、使っていた布団を片付けながら、彼へ顔を洗ってくるよう伝える。晶臣は素直に頷いて、洗面所の方へと歩いて行った。水の流れていく音が聞こえ、ほどなくしてさっぱりとした様子の晶臣が顔を覗かせる。


「準備出来ました! 行きましょうか、史桜さん!」


 濡れた髪を手櫛で整えながら、目が冴えた様子の晶臣が戻ってきた。にこにこの笑顔。史桜は伝え聞いた情報を今言うべきか悩んだが、すぐに視線を逸らさず晶臣を見つめる。

 その瞳を見て何か察したのか、晶臣は「史桜さん……?」と小首を傾げた。


「楽しみにしている食事の前に、御身へお伝えするのは気が引けるんすけど……」

「……構いませんよ? 私、いつだって史桜さんのお話聞きますよ。大切なお話なんでしょう?」


 史桜の不安を取り払うかのように、晶臣はにぱりと笑う。その表情を曇らせてしまうと思うと――、しかし史桜はしっかりと晶臣を見つめる。


「……先程、立花さんから氷室家が強襲に遭ったという話を聞きました。死人は出てはいないそうっすけど、恐らく御身があの地から発っていることは賊側には明るみになったと思います」

「……そう、ですか」


 晶臣の笑顔が、僅かに曇った。唇は引き結び目を伏せて、衣服をきゅうっと握り締める。かなり手に力が籠っているのか、白い手がいっそう白さを帯びていた。


「……私が、あそこから逃げたから、きっと本家の方にご迷惑を」

「俺はそう思いませんけど」


 史桜は即座に否定する。晶臣はぱっと顔を上げた。


「御身は何も悪くないっすよ。執行人である貴方の身を不当に押さえ、逃げたら逃げたで原因を潰そうとする向こう側の方が悪い。……それにお言葉ですけど、今までの御身の扱いに対する罰が、あの人らへ下ったんだと思いますけど」

「……史桜さん」


 晶臣が静かに史桜の名を呼ぶ。微かに目に滲んでいる驚きと懇願。史桜はその視線から逃げることなく、しっかりと晶臣を見据える。


「……どちらにせよ今後は、いっそう気を引き締めて御身を守るんで。窮屈な思いをさせるかもしれませんけど、ご安心を」

「……分かりました。ありがとうございます、史桜さん」

「っ頭、下げないでください。その、御身を守るのが俺の仕事なんで。当然のことっすから」

「そう、ですね。うん。……でも、史桜さん。あんまり氷室の皆さんのことを悪く言わないで欲しい……です。私が執行人に選ばれていなければきっと、こういう事態になることもなかったはずですから」


 その言葉に、史桜は胸が締め付けられる思いだった。

――この人は、どこまで他者を優先するのか。

 凛とした姿勢のままの晶臣に、史桜は頭を垂れる。


「……かしこまりました。貴方がそう望まれるのなら」

「……はい。……いずれにせよ、氷室の皆さんが死ななくてよかったです、本当に。ね、史桜さん」

「っすね」


 口角を上げて微笑む晶臣に、史桜は静かに頷く。


「じゃあ、行きましょうか。もしかしたらもう皆さん席に着いてらっしゃるかも!」

「そうっすね」


 晶臣はぱっと史桜の手を取り、手引きしながら廊下へと出た。

 柔らかな朝の日差しが、冷えた廊下をじんわりと温めている。二人は並んで、リビングルームへと足を進めた。

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