第5話 神器『椿』の執行人 氷見晶臣
明葉と夕璃の入った襖の前を通り、史桜はようやく晶臣と共に居室へ辿り着いた。
「わ……!」
襖を開けると、畳の香りがふわりと香る。障子の和紙が透かす陽射しは柔らかく、置かれている家具や調度品を照らし出していた。部屋の隅には、トランク一つと本が数冊積まれている。別の管理官らが運び入れた史桜の私物だろう。どの本も見覚えのあるタイトルばかりだ。
史桜は抱いていた晶臣を畳の上へ下ろす。彼は部屋の広さや明るさ、調度品を興味深そうに眺め始めた。その瞳はキラキラとしており、史桜は帝都駅での彼の様子を思い出す。元々好奇心の強い子どもなのだろう。史桜は詰めていた衣服を着崩しつつ、ててて……と動き回る晶臣の背へ声を掛けた。
「周りが気になるのも分かりますが、まずは体を休めましょう。確か、この奥が寝室になっていたはずです。今から布団の準備をするんで、……とりあえず俺のシャツにでも着替えてください」
「分かりました」
史桜はトランクを開き、中から適当な長袖シャツを晶臣へ手渡す。「ありがとうございます」と彼は受け取り、すぐに帯を解いて着物を脱いでいく。露わとなった白い肌のあちこちには、擦り傷や切り傷、痣の数々が刻み込まれている。それは、彼の扱われていた環境の壮絶さを物語っていた。しかし、それらはシャツの白に覆い隠される。
小柄かつ細身の晶臣では、史桜に合うサイズでもブカブカだ。ワンピースのようになっている。
「……また近々、きちんとした衣服を買いましょうね」
「私、これでも全然問題ないですよ? 着心地いいです」
「御身の立場を考えれば、色々と問題っすそれ」
「うーん……?」
史桜の言葉の意味が汲み取れず、晶臣は首を捻るばかりだ。まあそこは後々で、と史桜は、思案顔の晶臣の背を押しながら寝室へ向かった。
既に部屋の中には布団が二組敷かれており、その一方に晶臣を寝かせた。晶臣は手に握り締めていた神器を枕元へ置き、布団をぽふぽふと叩きだす。ふかふかです、と嬉し気な彼の様子に、史桜の胸中は複雑だ。言及する気にもなれず、ぽんぽんと布団の上から晶臣の腹を軽く叩いた。
「ありがとうございます。……蜂屋さん、お優しいですね」
「……別に、そんな。……当然のことをしてるだけで、優しいタイプじゃないっすよ。御身を守るのが俺の職務ですから」
「ん……。そうです、よね」
晶臣はごそごそと布団の中で身動ぎしながら、小さく口を開いた。
「あの、蜂屋さん、じゃなくて……史桜さんって呼んでも、いいですか?」
「……それは、別に。執行人様の呼びやすい呼び方で、いいっすよ。何と呼ばれようと、特別気にしません」
「そうですかっ! じゃあ、し、史桜さんっ」
「……っす」
ぱっと喜色満面の笑みを見せる晶臣に、史桜は思わずたじろぐ。
下の名前で呼ばれる、という経験が史桜自身に少ないからかもしれない。あるいは、たかが呼び名一つの変化だろうと高を括っていたからか。いずれにせよ思いの外嬉し気な晶臣の様子に、史桜は面食らった。一方、そんな史桜の心境など、晶臣は微塵も考えていないのだろう。んふふ、と彼は笑い声を零した。
「先程の、小鳥遊さんと佐倉さんのやり取りがその、素敵だなと思って……」
「……あぁ、成程。まぁ、あの二人は元同期っすからね」
「同期?」
「元々、二人共管理官だったんですよ。つまり、俺の先輩だった人達っす」
晶臣は目を丸くする。
「そんなことがあるんですか? 儀式もなく、執行人が選ばれるなんて」
「まあ、そっすね。長い歴史で見るとそこまで珍しい話じゃないですね。偶然触ってしまったとか、譲り受けた骨董品が神器だったとか。そういう偶然を、あの人達は引き当てたんすよ」
神話で語られる神器は、全部で二十四。その内、守護の一族や神器管理課の手によって保護されている神器は十八。それらは、長い歴史の中で選定のシステムが構築されており、その内容についてはそれぞれで異なっている。一方で、守護の一族同士の争いや天下統一の戦乱期を経て喪失した、管理下に置かれていない神器も存在している。その数六つ。数年前までその内の一つであったのが、神器『向日葵』だった。
「三年前の夏。調査対象となっていた廃墟内で、当時管理官だった佐倉さんと小鳥遊さん、二人の手によって神器『向日葵』は発見されました。調査の最中に、小鳥遊さんが床で転がっていた神器に触れたんだそうです。どうせ、使い手に選ばれるわけないだろう、と」
「けれど、神器は小鳥遊さんを選ばれた……」
三年前の史桜は、入職して間もない新米職員だった。夕璃が神器『向日葵』の執行人となったこと、その護衛官として明葉が名乗りを上げたという報せは、すぐに課内に知れ渡った。史桜も、その報せを聞いて驚いた内の一人だ。
誰だってそうだろう。入職時にそうした可能性があるとの説明を受けるとはいえ、そんな天文学的な確立を引き当てるなんて誰も思わない。そして、つい数日前まで肩を並べていた人間を敬うようになるだなんて、考えもしていなかったのだ。
「…………まぁ経緯はどうあれ、今では三年も続く名コンビっすよ」
「……そうなんですね。……私達も、そのような関係になれるでしょうか」
ちらりと、史桜は晶臣を見る。不安げな表情の彼。史桜は僅かに逡巡し、そっと晶臣の前髪を梳くように撫でた。
「執行人様は、まだなりたてなんすから。そう気負う必要はないっすよ」
「……ありがとうございます、史桜さん」
「ん。それじゃあ、ゆっくり休んでください。俺は、隣の部屋で荷解きしてますんで。何かあれば、いつでも呼んでください」
「……分かりました」
最後にぽふんと晶臣の額を優しく叩いて、史桜は腰を上げて寝室から出た。
ようやく訪れた一人だけの時間に、史桜は胸の内に溜まっていた息を吐き出す。あまりに色々と集中していたせいか、それまで頭の片隅にもいなかった煙草が無性に恋しくなった。
史桜は、適当に押し込まれたトランクの中から箱を取り出し一本口に咥えたところで、視線が寝室の方へと向く。そして、煙草を紙箱の中へ戻した。
同室者は神器の執行人。煙草の副流煙で体調が悪くなるなど、あってはならないことだろう。
「……まあ、しょうがないか」
肩を竦めた後、史桜は荷解きに専念する。が、元々おいている荷物が少ないこともあり、片付けはものの十五分ほどで片付いてしまった。
そっと寝室の襖に耳を当てれば、中からは穏やかな寝息が聞こえてくる。
執行人に選ばれた人物とはいえ、まだ十代半ばの少年。やはり体は休息を欲していたのだろう。
「とりあえず、これからか……」
史桜はそっと襖から離れ、口寂しさを忘れられるものがないかと、部屋に備え付けられている給湯室へと歩いた。
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