第3話 神器『椿』の執行人 氷見晶臣
史桜と晶臣は、共に職員食堂の前までやって来た。
食堂の扉を開けた瞬間、香ばしい味噌の香りが二人を出迎える。大きな窓から差し込む朝日を取り込んで、室内は照明器具が点いていないにもかかわらず明るい。広々とした空間にはいくつもの丸テーブルが置かれており、それぞれ四つの椅子が備えられている。まだ朝早いため、席はがらがらだ。
史桜は晶臣の手を引いて、食堂のカウンターに声を掛ける。と、奥から割烹着を着た中年女性が顔を覗かせた。
「おはようございます、朝食セットを二つお願いできますか」
「あい、二つねー。お魚は鯖の味噌煮と焼き鮭、どちらにします?」
「あー……、執行人様はどちらがいいっすか?」
「えと、じゃあ、味噌煮がいいですっ」
「味噌煮の方を二つで」
「あいよ」
女性職員は、手際よくトレイの上におにぎりの乗った皿や小鉢などを置いていく。出来上がった魚の皿を置けば、あっという間に朝食セットの完成だ。史桜は礼を言ってから、手持ちの財布から金を取り出して手渡す。そして、トレイを持って晶臣と共に窓際の席へ座った。
窓の外には、柔らかな朝日に照らされた竹林が広がっている。その合間に、背の低い平屋造りの建物がいくつか建てられているようだった。
「いただきます」
向かい合わせに座った二人は手を合わせて、それぞれ箸を手に取った。
朝食セットは、手軽かつ安価で食べられる人気メニューだ。味噌の甘い香りが漂う鯖の味噌煮は、箸を入れるとほろりとすぐに崩れる。付け合わせの小鉢はひじきの煮物と切り干し大根。素朴ながらも栄養を考えられた取り合わせだ。
史桜は味噌汁を啜りながら、ちらりと眼前の晶臣を見た。晶臣は目をキラキラと輝かせながら、もぐもぐとおにぎりを頬張っている。見るからに美味しそうに食べていた。
「そんな、美味しいですか」
問うと、晶臣は照れ臭そうにはにかみながらも頷く。
「はい。こういう温かいご飯、久しぶりで」
「…………そうすか」
「はいっ」
晶臣はそう言って、またおにぎりにかぶりつく。頬を大きく膨らませた様子は、年相応の子どものよう。史桜はそんな彼を見ながら、箸を動かしていく。
トレイの半分辺りにまで進んだ時だった。
「よっす。珍しいな、自分が食堂で飯食うてんの」
トレイを持って近付いてきた男が、史桜と晶臣へ声を掛けた。
年は二十代半ばほどか。きっちりと七三分けされた髪は、烏の濡れ羽根のように真っ黒だ。掛けたサングラスの合間から覗く瞳は、燃え盛る炎を思わせる。きりりとした眉、太い首、低い声、がっしりとした肩幅。黒いスーツを着用した長身も相まってか、どこを切り取っても威圧感がある。しかし、喋り方は見た目に反して格式ばっておらず柔らかい。
「まぁ、そっすね。お疲れ様です、立花さん」
「そっちもな。他の管理官から聞いたで、弾丸出張やったって。ご苦労さん。んで、そっちのちみっこはどうしたんや?」
立花と呼ばれた男は、史桜の横の席へトレイを置きながらじっと晶臣を見た。その威圧感にぴくっと晶臣は肩を震わせたが、すぐに口の中の物を飲み込み姿勢を正す。
「えと、神器『椿』の執行人、氷見晶臣と申しますっ。蜂屋さんに助けていただいて、こちらの方へ来ました。よろしくお願いいたします」
「お前、執行人なんか」
サングラスの向こうの赤眼が大きく見開かれた。次いで、彼もまた背筋を伸ばして頭を下げる。
「どうも、お初にお目にかかります。俺は、神器『桜』の執行人護衛官、立花陽向と申します。互いに神器に関わるもん同士、どうぞよろしゅう」
「こ、こちらこそですっ。色々とご迷惑をおかけすると思いますけれど、よろしくお願いいたします!」
「わ、素直。可愛え」
ふっと陽向は口元を緩める。そして手を伸ばし、晶臣の頭を大きな手の平で数度撫でた。
「執行人ってのは、色々大変やろうけど。何かあったら、すぐに護衛官を頼りや。執行人てのは、心が大事やからな」
「はい。でも、頑張ります」
「ふは、そりゃ心強い。んで、こんなええ子を管理官に任せて、護衛官はどこほっつき歩いてんの?」
「俺っす」
「ん?」
「俺です」
陽向はきょとんとした顔をして、瞬きを繰り返す。
「え、史桜くんが護衛官になったんか」
「はい。色々ありまして」
「ほォん……」
陽向はじとりと史桜を見やる。
「上から文句は言われへんかったん?」
「特には。俺がこの件に首を突っ込んだんで、最後までやれ的な尻の叩かれ方はしましたけどね。……氷見様から直々のご指名もいただいたんで、あまり強くは言えなかったんだと思いますよ」
「へぇ、成程」
「俺のことはもういいでしょ。立花さんこそ、綾織様はどうされたんです?」
「昨日、
「あぁ、それはご苦労様です。じゃあ、顔合わせはまた今度の方がいいっすね」
「せやな。まあ、それなりに気張れな」
陽向は軽く肩を竦め、焼き鮭をぱくりと口の中へ放り込んだ。史桜もまたずずと味噌汁を啜って、ちらりと晶臣を見やる。と、晶臣の頭が僅かに揺れているのに気づいた。
何度か目をぱちぱちと瞬かせて、重たい瞼を持ち上げるようと懸命に抗っている。が、そこまで強い抵抗は出来ていない様子だった。手に箸を持ったまま、うつらうつらと夢の世界へと舟を漕ぎ出しつつある。史桜はすぐに席を立ち、晶臣の手から箸を取った。そして、傍らにそっと侍る。
「氷見様」
「んん……、蜂屋しゃん」
「眠たいんでしょう。疲れも溜まっているでしょうし、腹も膨れたから当然です。ほら。このまま、俺に寄っかかって寝ていいですよ」
「でも……」
「気になさらず。どんな時でも御身を支えるのが、護衛官の務めですから」
史桜は、そっと晶臣の頭を自身の肩へ寄りかからせる。そのことによって、いっそう眠気に拍車がかかったのか、晶臣は完全に瞼を閉じてしまった。むずがるような小さな声。史桜は、椅子から晶臣を抱き上げて、彼のトレイの中を見る。味噌汁が少し残っている程度で、後はほとんどお腹の中へ収め切ったようだった。
史桜は片手だけで、てきぱきと片付けの準備に取り掛かる。
「あの、立花さん。食べるの好きでしたよね」
「……好きやけど」
「俺の、まだ白飯とか小鉢とか口付けてないんで、立花さんが嫌でなければ差し上げますよ」
「…………いやまぁ、食うけど。お前、もう少し食えや。小食過ぎんねん、栄養失調でぶっ倒れんぞ」
陽向の鋭い視線に、史桜は改めて自分のトレイを見つめる。
史桜のトレイの中で、空になっているのは味噌汁茶碗だけ。鯖の味噌煮は半分ほどのみで、小鉢と白飯にいたっては一切減っていない。
「別に。サプリメントとか栄養補助飲料とかで事足りますよ」
「相変わらず偏食やな……」
呆れた様子の陽向だったが、それ以上追求する様子はなく、史桜のトレイの中から箸を付けていない白飯と小鉢を取ると、自身のトレイの中のそれぞれの皿へ移し変えていく。
「分かっとると思うけど、護衛官は体が資本やで」
「うす。……あの、また今度でいいんで、綾織様と氷見様との顔合わせが出来れば」
「おう。あいつにも言うとくわ」
「お願いします」
史桜は陽向へ軽く会釈をし、晶臣を抱え直してもう片方の手に二人分のトレイを持つ。
「ではまた」
「おう」
陽向はひらと手を振って、朝食の続きを食べ始める。史桜は再度会釈をしてから、食堂を後にした。
食堂を出ると、外は大分賑やかになって来ていた。そっと史桜は晶臣を見る。肩に寄りかかって眠る彼の表情は安らかだ。史桜はそっと晶臣の髪の毛を梳く。
疲れがたまっているのも一因だろうが、今までいた環境と違う場所に来たことも原因となっているだろう。
天日照国は縦に長い国の形をしているため、大地に流れている霊脈は地方ごとによって異なっている。人々は知らず知らずのうちにそこから溢れる神気を取り込み、それを活力として生活を営んでいる。神器を持っているから神気の順応が早い、ということはない。
恐らく、晶臣の体も今、帝都の霊脈から放出される神気に馴染もうとしている最中なのだろう。それが彼の小さな体には負荷となっており、寝ることによって体力回復を図ろうとしているのかもしれない。
史桜はふっと息を吐く。何にせよ、今の晶臣に必要なのは休息に他ならない。
史桜は彼の体を抱え直し、歩く足の速度を速めた。
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