神器執行人

本田玲臨

神器執行人 -椿之篇-

序章 神殺しを目論む者

 遠くから聞こえる咆哮に、少年は闇の中で目覚めた。


「何……?」


 神秘的な見た目をした少年だ。

 白いシーツの上を泳ぐ亜麻糸色の髪。水面が波打つかのように揺れる眼。つ国の血との混血であることを感じさせる、目鼻立ちのはっきりとした相貌。寝巻から覗く体は細く頼りなげで、しかしかえってそれが少年の人外さをより助長している。

 少年は、布団の傍に置いている時計を手繰り寄せて文字盤を読む。

 指し示す時は深夜、人の寝静まるに相応しい頃。しかし、その静寂を打ち破るように、人の叫び声や激しい破壊の音が聞こえてくる。


「一体、何が……」


 少年は布団から這い出て、自室の部屋の扉へ近寄る。がらがらと押し開けた先、夜とは思えぬほどの明かりが入ってきた。それは、揺らめく橙の明かりであり、燃える火焔の灯火。少年は目を見開く。

 燃えているのは、少年が暮らす離れの傍に建てられている天日様式の大屋敷だ。もうもうと煙が上がっており、激しい音を立てながら柱や屋根が崩れてゆく。その炎は、必死に消火活動を行なう者や地に倒れ伏したままの者達などを照らし出している。距離があるここまで、煙の匂いが届くような。そんな大炎上である。

 つい数時間前までいた屋敷の燃え行く様に、少年は思わず息を飲んだ。踵を返し、部屋へ戻ろうとした時だった。


「こちらにいらっしゃったのですね、執行人様」


 澄んだ女の声と足音。少年は足を止め、声の先へ顔を向ける。


「初めまして、執行人様」


 揺らぐ炎の明かりが照らし出したのは、黒い長外套に上下黒のスーツを着込んだ女。二十代半ばから後半ほどだろうか。高い位置で結わえられた射干玉ぬばたま色の髪。長い睫毛に縁取られた紅色の眼差し。形の整った桜色の唇が、品を感じさせる笑みを湛えている。

 初対面の女に微笑まれる意味が理解できず、少年は当惑するばかり。その表情を見てか、女は更に笑みを深めた。そして、少年にすぐ触れるほどの距離まで詰め寄ると、片膝を付いて自身の胸に手を当てる。


「怯えないでください。私は……いえ、我々は御身を傷つけるようなことはございません。守るために馳せ参じたのでございます」

「……守る、とは。何から、守るのですか……。私は、何者にも脅かされてはいません」

「本当にそうでしょうか?」


 女はぱっと手を伸ばすと、少年の細腕を掴んだ。抵抗する暇など一切与えないまま、袖をぐいと押し上げられる。きめ細やかな柔肌には、大小様々な痣や傷痕の数々が刻み込まれていた。また抜けるような肌の白さが、より痛々しさを増幅させている。

 唇を引き結んだ少年に対し、女は手近い位置にある痣の上へ口付けた。突然の行動に、ぎょ、と少年は目を見開く。


「あぁ、おいたわしい……。神器などに選ばれたがゆえに、思想も全て捻じ曲げられ、このような痛みを一身に受けていらっしゃる……」

「……貴方は、先ほどから我々の国の神に対して、随分と敵対的ですね。どうしてそんなことを言うんです?」


 女の手を払い除けながら、少年は問うた。対する女は不敵な笑みを崩さぬまま、えぇと大仰に頷く。


「私は、この国の神が嫌いなのです。……それらと契約を結んだ、我々の祖先全ても。だからこそ、歯向かうことにしたのです」

「神相手に、ですか?」

「はい。神相手にです」


 きっぱりと言い切る口振り。曇りなき眼。

 この女は本気だ。本気で、そのような絵空事を成せる気でいるのだ、と少年は体を震わせる。

 その自信を身に纏い、背筋をしゃんと伸ばした女は、少年に向けて腰から頭を下げた。


「ただいま、神の手よりお救いに上がりました、――神器『椿』の執行人様」

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