6-7 全ての障害を度外視して、眼前の敵を討ち滅ぼせ
逃げるフリッサと、護衛の奇妙な<ナイト>を全力で追いかけながら――
(――詰んだな)
頭に上っていた血も引いて、ムジカは冷静に状況を俯瞰した。これは諦観とは違う――胸の内にあるのは打ちのめされたのような無力感、それだった。
追いつけない。全力の突撃機動でも、開いた距離を詰め切れない。厄介なのは護衛の<ナイト>だ。こちらが敵の有効射程圏に入ったその瞬間に、進路を阻む牽制射を振り向きもせずに撃ってくる。
脅威なのはその正確さだ。減速するか、軌道を変えるか。背中に目がついているわけでもないだろうに、避けなければ直撃する位置に魔弾を置いてくる。一瞬でも時間を無駄にできないのに、的確に接近を阻害され続けた。
(あいつ……管理者の血統か?)
相手の正体に疑念を抱く。この敵の感覚をムジカは知っていた。
ラウルと同質の、異様なレベルの先読みの強さ。見もせずに的確にこちらの動きを咎めるなど普通ならあり得ない……が、一方で疑問も沸く。
(本当に敵が管理者の血統なら――この空の支配者の系譜が、どうして傭兵なんかやってるんだ?)
そしてこの空の支配者が、どうしてこんな空賊じみた真似に加担するのか――
わからない。そんなことなどわかるはずもないが。
敵に誘導されるように、南へ飛び続けて。不意にムジカはフリッサを追いかけるのをやめた。
諦めたわけではない――そこが終点だったというだけだ。
前方に見覚えのあるフライトシップ。ドヴェルグ傭兵団のものだ。それにフリッサたちが着艦するのを尻目に、ムジカは周囲を探った。
彼らと入れ替わるように、前方から二機の<ナイト>が出てくるが……それだけではない。
背後を見やれば、セイリオスから離脱してきたフライトシップが二機。それぞれから、出撃した<ナイト>の数は合計で十。
全部で十二機の<ナイト>。ムジカを囲むように展開する敵を、彼は無感動に見ていた。
敵は一定の距離を取って、ガン・ロッドなりスパイカーなり各々の得物を身構える。まだ撃ってこないのは、何か理由があるのか、ないのか。命令がまだないだけだというのなら、随分と行儀のいいことだが。
ムジカを確実に殺す布陣を敷きながら、攻撃してこない敵を生温い目で見ていた。
(勝てねえよ)
ひどく冷めた気持ちで、ムジカはそれを認めた。
と。
『――よお、少年。元気にしてるかな?』
上位者による強制通信。レティシアからだが、聞こえてきた声はフリッサのものだ。
次いで眼前のモニターに灯る光。開いたウインドウに見えたのは、おそらくは格納庫だろう背景と、敵だった。
『素直に追いかけてきてくれて助かったよ。普通に考えりゃ、バカでもこの後の展開は読めそうなもんだがね……そこまで必死になってくれるとは、準備した甲斐があったってもんだ。大事だったのはどっちかな?』
「御託はいい。二人をどうするつもりだ」
フリッサ。にやにやと嬲るように笑う敵を前に、平坦な声音で訊く。
それを強がりと見たかどうか。おどけるようにフリッサは笑った。
『別に、どうも? スバルトアルヴで歓待するだけさ。名目は……まあ、留学ってところか? 流石に浮島の管理者を“誘拐”なんて、大っぴらには言えねえからな』
「…………」
『ま、そこで何が起こるかは、俺も知ったこっちゃないがね?』
暗に
この空で、最も貴きノーブルの血筋だ。それはこの空で最も強大な魔力の持ち主ということでもある。そして魔力の才能は子供に受け継がれることが多い。だからこそ、ノーブルは血縁に家督を相続してきた。
そして今、自由にできる管理者の血統が手に入る。ならば何をするかは考えるまでもない。単純な理屈だった。
そしてそれを、ムジカが許せないと考えるだろうことも。フリッサはわかっていて、嘲るように先を続ける。
『まあ? それも今ここで死ぬお前にゃ関係ねえ話さ――だからこそ、解せねえんだがね?』
「…………」
『どうして追ってきた? そんなに大事だってんなら、俺たちは最大限盾として使うぜ。追ってきたってどうにもならねえってわかるだろ? 手出しのできないお前が追ってきたって何の意味もねえ――お前は今日、追ってきちまったからここで死ぬ。それがわからねえほどアホだとも思えないんだが……どうして追ってきた?』
理屈ではフリッサの言う通りだ。追ってもムジカには何もできない。追いかける前からわかり切っていたことだ。この勝負はハナから詰んでいたと。
仮に途中でフリッサに追いつけていたとして、何が変わった? リムが人質に取られている。抵抗はできない。彼女を盾にされたらすべて終わりだ。
そんなことはわかっていた。
だからこそ、追いかけたのは理屈ではなかった。
それがわからないのか、あるいはわかって嬲りたいだけか。にやけ面のフリッサを睨みながら、だがそれがどちらでもどうでもいい。ムジカは無言を返答とした。
『答えねえか。表情一つ変えりゃしねえのな……最期までいけすかねえ奴だよ、お前は』
そして、ならもう用はないとでも言うように。総勢十二機の<ナイト>が改めて身構える。上下左右前後全方位。隙なくムジカを狙う。後は号令でも待っているのか。
だが死を目前にして、ムジカはどこまでも冷静だった。それを恐れようという想いすら湧かない。
静かに敵を見据えて待つ間、胸の内にあったのは後悔だけだ。
自嘲して、目を閉じた。
(何もしてやれないまま……助けてもやれないまま、ここで終わりか。最悪の役立たずだな、俺は)
救うべき少女を目の前にして、何もできずにここで死ぬ。最低の末路だ。
少女は敵にさらわれて、もう二度と日の目を見ることもないのかもしれない。フリッサの言う通りの結末なら、彼女に待つのは悪夢だろう――それも、故郷グレンデルに続いて、か。
あるいはこちらのほうがより悪いかもしれない。あの故郷なら、彼女はまだ管理者の娘だった。今回はもはやその肩書もない。ただの傭兵の娘として使われるのならば、見るのは悪夢ではなく地獄だ。
それがわかっていても、ムジカにはもう何もできない……
と。
『――あーあー、テステス。少し、待ってもらっていいです?』
目を閉じた暗闇に、ノイズが混じった。
女の声。目を見開けば、まだ切断されていなかった通信映像が揺れていた。
新たに映り込んだのは……レティシアだ。
ただし、彼女はこちらを見ていない。視線を映像の外に向けて、いつもの――状況を思えば異常に見える――微笑みと共に言う。
『これで最後だと言うのなら、せめてお別れの言葉を言わせていただいても?』
それがあまりにもいつも通りの声音だったから、空気が壊れた。
流石のフリッサも呆れたらしい。映像には映らなかったが、声だけは聞こえてくる。
『……あんた、本気でそれ言ってんのか? というか、状況わかってるか? 空気読めてるかあんた?』
『ええ、もちろん。大切でしょう? お別れの言葉。これが最後ならなおさらに。ほら、彼は私の部下ですし?』
『……もし断ったら?』
『さあ。後でひどいことになるんじゃないですか?』
『…………』
言葉はない。代わりに聞こえたのはため息と、衣擦れの音だ。肩をすくめたか、何かしたのか。
胸の内に生じたのは、奇妙な同情と困惑だ。いきなり別れの言葉を言わせろなどと言われて、フリッサも困ったことだろう。このお姫様は何を言いだすんだと、その怪訝はムジカも感じた。
あまりにも急すぎるし……別れの言葉? このお姫様はまさか、それをその笑顔で言うつもりなのか?
真実、彼女が本当にそれを言うつもりなのかどうかもわからなかったが。
なんにしても、フリッサは、それを許したらしい。
画面外へにこやかに笑みを向けて、レティシアが口にしたのはこれだった。
『あらあら。ありがとうございます、フリッサさん。では……
そして映像が切り替わった。
人質としての姿を明確にするためか。ジョドスンを背後に立たせて、リムが映る。
小さいな、と改めてムジカはそんなことを思った。まだ十二歳。それを思えば、小さいのも当たり前か。
だがいつも以上に彼女を小さく感じさせたのは、彼女が辞儀するようにうつむいていたからだ。
随分と残酷なことをする、と今更になって思った。レティシアに対してだ――これから死に別れる相手と、顔を合わせろと言うのだから。
ムジカから彼女に、かけられる言葉は何もなかった。守ってやるべき少女に、何もしてやれなかったのだから。感じていたのは後悔と、そして羞恥心だった。とんだ恥さらしめと、自嘲してやりたかった。
それをしなかったのは、そんな無駄なことをして、彼女の言葉を聞き逃したくなかったからだ。
やがて……震える唇から零れ落ちるように。彼女の言葉が、囁かれた。
そしてムジカは目を見開いた。
『――……
「――――――」
あの、色褪せた館の中で。誰からも見捨てられた幼い少女の前に跪き、命令を求めたある日の記憶が甦る。
祈るように願った彼女の、痛々しさが現在に重なる。
全てを失った少女が、唯一残された彼にすがる。涙を流し、声は枯れ、跪く彼に願いを――
いや、違う。
『願うことが、まだ叶うのならば……
言葉と共に顔を上げた、彼女の瞳に魅入られた。
そこに、あの日の少女の弱さはない。黒く澄んだ瞳が、ただ真っすぐにムジカを捉えた。その――強さに。心臓を鷲掴みにされたような痛みに震える。
そうして告げられた彼女の
『――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます