6-2 お姫様抱っこの次は、お姫様ごっこです

「あの……生徒会長? いったい、何の御用で――」

「話は後です、あとあと。まずはついてきてくださいな♪」

「…………」


 上機嫌に話をぶった切って、どこか楽しそうに先を行くレティシアの背中を――

 胡乱な瞳で見つめてから、リムは小さくため息をついた。内心にあるのは困惑だ。

 第一演習場スタジアムの内部、とでも言えばいいのか。喧騒とは遠ざかるほうへ薄暗い通路を歩きながら、先を歩くレティシアの背中を見つめる。


(この人、いったい何を考えてるんだろ……)


 どこか得体の知れない(そしてどことなく好きになれない)年上の女性の後を追いかけながら、リムが考えていたのはいきなり割り振られたこの用事だか仕事だかについてだ。

 父が何やら画策し、レティシアがそれに乗ったせいで、今自分は連れ出されているらしい。何をやらせるつもりなのかは一向に語ってくれないが、このタイミングでの仕事というのは正直なところ迷惑でしかなかった。

 背後をちらと振り返る――といって、ここから通路以外の何かが見えるはずもないが。見たかったのはムジカのいる控室……というより、彼の顔だった。

 昨日の今日というこのタイミングで、彼から目を離したくなかった。


(兄さん……また、悪夢を見たのかな……)


 ケンカしてしまったし、ひどいことも言ってしまった。かけることのできる言葉なんてなかったし、話しかけることもできなかった。それが心を重くさせる。

 だがそれでも、彼の調子が悪そうなことには一目見た時から気づいていた。悪夢を――それも、重度の――見た時の彼の様子ならすぐにわかる。これまでずっと一緒に暮らしてきたのだから。

 だからこそ、そんなときに感じるのはいつだって不安だった。

 ふと目を離したその一瞬に、どこかへ消えてしまいそうな。悪夢を見て調子を崩している時の彼は、そんな危うさを纏う。ふらりと体が揺れた瞬間、塵となって風の中へ溶けてしまいそうな。そんな弱さと脆さをだ。

 だから、今は――今だけは、彼から離れたくなかったのに。


(……私に仕事って、何させるつもりなんだろ)


 今にもスキップしそうな程度には楽しそうな彼女の背中を恨めしげに見つめて、リムは訝しんだ。

 傭兵として、ノブリス使いとして力を持つラウルやムジカと違って、リムには何の力もない。せいぜいがノブリス整備の知識くらいのもので、それにしたってアルマにはちっとも及ばない。彼らほどには自分は役には立たない……のに、その自分に仕事?

 単純にわけがわからない。


(わからないと言えば……)


 この人のムジカへの態度も謎ではある。暗く沈んだ心の内に、赤色をした何かが混じった。

 彼女はムジカに何故かやたらとちょっかいをかけたがるし、彼をセイリオスのノーブルに誘おうとしたし。先日のお姫様抱っこも正直意味がわからなかった。

 ムジカが言うには、昔どこかで知り合ったことがあるそうだが。彼自身に覚えはないようだし、リムからしてもどこで知り合ったのかは疑問ではある。

 レティシアはリムと同じように、管理者の血族の生まれだ。簡単に自分の住む島から出てくるような存在ではない。唯一の例外は年に一度の全島連盟会議くらいのものだが。

 第一、昔のムジカはかつて住んでいた館の外に出ることはほとんどなかったし、出るときには存在がバレないよう、髪を染め、重度呼吸障害ということで顔全部を覆うような呼吸器をつけていた。

 外部の人間との接点などあるはずがないし、もし仮にあったとしたならリムが知っていてもおかしくは――


「――リームさーん?」

「わっ!?」


 にゅっと。

 いきなり傍から顔を覘かれて、リムは思わずのけぞった。

 レティシアがいつの間にこちらに寄ってきていたのか、全く気付いていなかった。驚いて見つめた視線の先、彼女はリムの身長に合わせて前かがみにこちらを見ていたが。

 すっと姿勢を正して顔を遠ざけると、くすりと笑って言ってきた。


「考え事されてました? お名前を何度か呼んだんですが、反応がなかったものですから」

「え? あ、その……すみません。気づいてませんでした」

「いえいえ、お気になさらず。だって、呼んだっていうのは嘘ですし」

「ぅえ?」


 思わず変な声が出た。そのくらい突拍子もないし、どうしようもない嘘だった。なんでそんな嘘をいきなり? としか思えないくらいのどうしようもなさだ。

 が、そんなどうしようもなさがかえってツボだったらしい。レティシアははしゃぐ子供のように楽しそうに言ってくる。


「いけませんねー。いけませんよーリムさん、そんなに隙をさらしては。隙はしっかり隠さなくては。でないとからかわれてしまいますよ?」

「……えーと。あなたにですか?」

「ええ、もちろん。変にスレてないからか、からかいがいがあっていいですねー。可愛いリアクションがマルです。マル」

「褒められてるんですか、それ……もしかして、兄もそんな感じでからかってたりします?」


 ぼやいてから、ふと気になってそんなことを訊いた。

 思えばこの人がムジカとどんなことを話しているのかも想像できないが。あの兄がからかわれっぱなしというのもなんだか面白くない。

 だがそういうわけでもなさそうだと気づいたのは、レティシアの微笑みが微妙に困ったような気配が混じったからだ。


「あの方、手ごわいですよねー……」

「……って言いますと?」

「からかってみたり、ちょっかいかけたり、ぶーたれてみたり。いろいろやってもぜーんぶなしのつぶてです。ぜーんぶ呆れたようにバッサリ。ノーブルに誘っても断られましたし、お姫様抱っこも大不評でしたし。今度は何を仕掛けてみようかって、考えるのは楽しいですけれども……むーですねえ。むー」

「…………」


 視線をリムから外して、空のどこかを見てレティシアは唇を尖らせる。

 それにどう反応を返せばいいのかもわからなかったので、リムはひとまず無言を投げた。

 と、彼女はすぐリムに視線を戻してくると、にんまりと笑って、


「眉間にしわが寄ってますねー。唇も見事なへの字です。不機嫌の理由はやっぱりあの方のことだからですか?」

「……からかってますか?」

「うふふふふ。さーて、どちらだと思います?」


 明らかにからかっているのだろう。楽しそうな彼女にリムは半眼を向けた。それで何らかのダメージが与えられるわけでもないのだが、それ以外にできることもない。

 改めて、この人なんだか苦手だ、と思いを噛みしめていると。

 唐突と言えば唐突に、レティシアはこんなことを言ってきた。


「そういえば、リムさんとこうしてしっかり話すのは、今回が初めてですかねえ?」


 遠いとはいえ親戚ですのに、などと付け足された言葉に、リムは思わずきょとんとするが。

 すぐに思い至った。そういえば、レティシアは昔のラウルを知っているのだ。なら、リムの素性も知っているのだろう――リムもまた、彼女と同じ浮島の管理者の血族であると。


 人類が空に上がる直前の話だ。古代魔術師たちが生み出した人工の揺り籠、魔道具“浮島”――その管理者として選ばれたのは、当時“未来視”と呼ばれた力を持っていたとされる魔術師の一族だ。

 そのため浮島の管理者の血族は皆、遠く分かたれたとはいえ血の繋がった親類と言える。

 レティシアが言ったのもそのことを指してだろう。だがリムは否定のための言葉を呟いた。


「立場が違いすぎますから。。管理者と、ただの傭兵では遠いのも仕方がないと思います」

「まあ、そこは確かに……でも、同じ研究班のメンバーで、ついでに言えば私はあなたたちの雇用主です。私が忙しかったのが主要因ではあるんですが、もう少し仲良くする機会があってもよかったって思いません?」

「それは、まあ……」


 口では同意を示しつつ、内心でリムは懐疑的だった。

 首を傾げたのは、この人と自分とで、話すことがあるかというところだ。共通の話題があるわけでなし、彼女からリムに割り振りたい仕事があるわけでもなし。避けていたわけでもないが、積極的に関わる理由がなかったのは確かだった。

 それに、この人と仲良く?

 できただろうか。自分に。できるとは思えない。


(だって、この人は――)


 自分から、ムジカを奪っていく人だ。

 彼がレティシアから“ノーブルにならないか”と誘われた日、それを突き付けられた。

 あの故郷から飛び出して、いつまでも彼と一緒にいるのだと信じていた。それが夢想だと思い知らされた気がしたのだ。いつか彼がいなくなるかもという未来を、まざまざと見せつけられた――それをあの時彼は選ばなかったけれど。

 だからたぶん、自分はこの人を好きにはなれない――

 と。


「――

「……?」


 不意に変質した何かに気づいて。

 リムは訝しむようにレティシアを見た。彼女もまたリムを見ていたが――

 くるりと回って表情を隠すと、また通路を歩きだす。暗い通路から、日差しに照らされた外へ向かって。


「今回お願いする仕事の話なんですけれども……まあ結果だけ先に言うと、今日、私はリムさんからこれまで以上に嫌われることをしますし、させます……が、言い訳を一つさせてもらうとですね? やりたくてやるわけじゃない、ということだけは知っておいてもらいたいのです」

「……? どういうことですか?」

「そのままの意味です。これが一番、都合のいい展開でした。被害は少なく損もなく。邪魔者はお帰りいただけて、何よりあの方も死なない……私一人で済ませられたならよかったのですけれど。その場合はあの方、簡単に死んでしまうようなので」

「だから、何を――」


 つい声を荒らげて、勝手に先を行くレティシアを追いかけた。

 不吉な予言のようなものを勝手にまくしたてて。彼女はこちらの問いかけを無視している――ようで、答えようとしている。

 それを悟ったのは、肩越しにこちらを見た彼女がもう笑っていなかったからだ。

 真顔で、まっすぐに。挑むように、あるいは何も力を持たないリムをこそ非難するように。


「恨んでくれて構いませんよ。私は私が欲しいもののためならなんだってします。そのためなら、たとえあの方に恨まれようと、あなただって利用します。あなたが恨んでくれたほうが都合がよくなるなら、まあ安い経費ですし」


 レティシアを追いかけて、ようやくリムもスタジアムの外へと飛び出す。

 そうして、ようやく彼女が答えたのは――

 なんと言うべきか。リムが最初に思ったのは、たぶんきっと、これだった。


 ――この人は、いったい何を考えているの?



 そして。


「おいおい。何話してたのかは知らないが、人を悪者に仕立て上げるのはよしてほしいな――


 応えるようにそこにいたのは、リムの知らない暗青色の<子爵ヴァイカウント>級ノブリスだった。

 右ガントレットに括り付けられるように装備されていたスパイカーを見て、それが空賊だと悟った。

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