7-3 もうこれ以上、後悔したくない

「――リム、そいつはもうダメだ。バイタルガードが機能してねえ。そこの亀裂に指突っ込んで、無理やり開こう」

「はいっす、アニキ」


 メタルに噛み砕かれたのか。胴体部がひしゃげた<ナイト>級ノブリスのバイタルガードを、リムが<サーヴァント>で無理やりこじ開ける。

 中には閉じ込められていたノーブルの姿。ただしフレームがひしゃげたせいで内部にダメージが入ったのだろう、ノーブルは気絶していた。幸いにも死んではいないようだが、内臓にまでダメージが入っていると生死も危うい。

 そっとノーブルを解放すると、救護班を呼びつけて明け渡した。担架で運ばれたノーブルを少しの間だけ見送るが、仕事はそれで終わりではない。


 戦闘開始から、もうどれだけ経ったのか。ある時を境に、こうして後送されてくるノブリスが増えてきた。戦闘能力を失ったものや、搭乗者が気を失ったままのノブリスの対応は、もはや珍しいものではない。今のノーブルもその例だ。

 負傷しているムジカに代わり、<サーヴァント>で作業するリムに声をかける。


「バイタルガード……つーか、胴体部が壊れてるんじゃあダメだな。フライトグリーヴと左腕ガントレットはまだ使えそうだから外して、他はトラッシュ置き場に持ってってくれ。魔道機関に損傷はないから直せはしそうだが、いじってる時間が足りねえ」

「了解っす」


 ムジカの指示に従って、リムが壊れた<ナイト>を分解し始める。ノブリス――特に量産型である<ナイト>級は構造が単純だ。だから各モジュールの切り離しも容易で、使いまわすこともできる。

 ひとまず現状、ムジカたちの仕事は後送されてくるノブリスの解体だった。

 壊れたノブリス数機を組み合わせて、一応は使えるノブリス一体をでっち上げて前線に送り返す。それが今後方、学園側の錬金科の仕事だ。

 

 ノブリスの実戦配備、並びに即座の応急処置を目的とした前線支援部隊もいる。そちらはノーブルと強く連携している班が主体だ。サジもそちらにいるようで、こちらでは一度も見かけていない。

 逆にアルマ班のようにあまりノーブルと連携していない班は、学園側で非戦闘員の避難誘導の補助をさせられた後、後方支援を担っている。こちらは前線と遠いこともあるせいか、開戦直後はまだ余裕があった。襲われているという実感が薄かったからだろう、楽観的な空気さえあった。

 だが、今はそんなものはどこにもなくなっている。感じるのは張り詰めた悲壮感だ。本当に、勝てるのかどうか。ようやくその現実に気づき始めた彼らの顔には不安が見えた。

 それですら、悠長であるとムジカは知っているが。


「……にしてもアルマ先輩、いつになったら出てくるんだ?」


 猫の手も借りたいほどの惨状だというのに、ここにアルマの姿はない。彼女は現在も“面会謝絶”のままだった。

 今何をしているのか、何を考えているのか、そんなことさえわからない。リムには伝言で“もう少し待て”と連絡があったそうだが。そんなことを言っていられる状態でもないのに“待て”と言える、彼女の胆力には感心してしまう。


 リムが壊れた<ナイト>をトラッシュ置き場に運び、また次の<ナイト>を持ってくる。分解して、直せそうなものはモジュールを取り付け、運搬要員に引き渡す。

 壊れたノブリスの残骸に囲まれて、不意にもたげたのはもどかしさだった。


(戦場が目の前にあって、ノブリスだってその辺にいくらでもある。行こうと思えば、いつだって戦場に出れるのに……)


 自分は今、ここにいる。それは全身をかきむしりたくなるほどの不快感だった。

 戦いの場に臨んでおきながら、自らが戦わないことなどこれまでほとんどなかった。ここは自分の居場所ではないと、そう体が叫んでいる。

 今すぐにでもその辺りの<ナイト>を奪って飛び出しても、きっと誰も文句は言うまい。それはもはや衝動と呼べるほどの渇望だった――


「――ダメっすよ、アニキ」


 だが、リムには見抜かれた。

 釘を刺す――など生ぬるい言い方ではなく、楔でも打ち込むように重々しく言ってくる。


「これは、アニキの戦場じゃないんす。アニキの出る幕はないっすよ。あーしたちは錬金科なんだから、言われた仕事をしなきゃならないんす……第一、アニキは怪我人でしょ。戦うべき人じゃないって、わかってるでしょ?」

「だけど、俺ならもっとうまくやれる――」

「……戦う理由もないのに?」


 ぽつりと差し込まれた言葉に、思わず息が詰まった。

 大昔、あの空で父に問われたことは、リムにもラウルにも話していない。だから、リムが語ったのはそれとは別のことだ。傭兵として戦っていたころと、今は違う。そう言いたいのだろう。

 事実、リムはすぐに別の言葉を重ねてきた。


「アニキはノーブルじゃない。アニキがセイリオスの犠牲になる必要もない。第一、アニキはもう十分働いたじゃないっすか。怪我だって、元はそのせいでしょ? アニキはもっと、自分のことを大切にするべきっす」

「……この状況で説教は勘弁してくれ。予想以上に気が滅入る」

「アニキが下手な気起こさなくなるなら、いくらだって説教するっす。今日のこと、まだ根に持ってるんすからね?」


 ぷりぷりと怒ってさえみせる。降参のあかしに両手を上げてみせたが。

 実際のところ、それがリムの空元気であることはわかっていた。彼女の顔には隠し切れない不安が見える。それはこの状況そのものに対してもだが、それ以上にムジカに対してだ。

 リムはムジカが戦うことを歓迎していない。戦わなくて済むことを祈っている――こちらの安息を。それをムジカは知っている。


(これは俺の戦場じゃない……か)


 確かにその通りなのだろう。セイリオスを襲ったメタルとの戦いは、セイリオスのノーブルのものだ。ムジカは錬金科の一生徒に過ぎず、戦う理由は確かにない。

 だが、とも思う――思い出すのは七年前のことだ。父がいなくなった日のこと。

 あの日も、今日と同じような日だった。メタルの“巣”に襲撃され、グレンデル中のノーブルたちが出撃した。父もその一人だ。

 処理しきれない量のメタルに襲われ、父が一人で一画を引き受けた。仲間の救援を信じて独り戦い続け、そして最期はその仲間に撃ち落とされた。

 今もまだ、あの日のことを覚えている。別れ際、大きな手のひらに撫でられたことを。

 帰ってきたら、稽古をつけてやると。約束を遺して、だが父は返ってこなかった……


(どうして今、そんなことを思い出す……?)


 わからない。わからないが――

 それが予感だとするのなら、運命というのは最低なまでに残酷だった。


「……うん? あれは――」


 不意に呟かれたリムの声に、ハッとムジカは顔を上げた。

 東のほう。途切れ途切れの、悲鳴のようなブースト音が聞こえていた。見つけたのは、ズタボロの<ナイト>を抱えて飛ぶもう一機の<ナイト>級だ。

 どんな戦闘をしたのか全身の装甲に亀裂が入り、左のガントレットも欠けている。フライトグリーヴも左側が半ばからひしゃげ、ふらふらと飛ぶその姿は明らかに限界だった。

 それでもどうにか飛ぼうとはしていたのだろう。だが学舎前、支援部隊にまでたどり着く前にその<ナイト>は墜落した。自らの体で道路を数メートルほど削って、ようやく止まる。

 墜落した<ナイト>はそれでももがくように、体を起こそうとしているが――


「東? なんで東から負傷者が……?」


 敵は北から来ているはずだ。

 怪訝に見つめる先、救護班が<ナイト>に近寄る。激戦の末に逃げ落ちたのか、バイザーを脱ぎ捨てた彼女は泣いていたが。

 救護班に縋りつくようにして叫んだ言葉は、まるで悲鳴のようだった


「誰か、助けて――!!」

(……は?)


 どうして、今、その名が出るのか。

 愕然と凍りついたムジカを置き去りにして、状況は進む。


「ノブリス――使えるノブリスは、ないの!? 早く、早く戻らないと――」

「落ち着け!! まずは君のほうが先だ、君だって怪我してるんだぞ!?」

「そんなの、後でいいからっ!!」


 そんなわけにはいかない。ノブリスの損傷もだが、その少女もまた負傷しているのだ。

 フレームが歪んだのか、開かないバイタルガードから抜け出そうともがく左手は、ガントレットを失って血塗れだ。裂けたような傷口から、溢れる血が止まらない。砕けたバイザーから覗く顔も。破片で切ったのか、血だらけだった。彼女が倒れたまま起き上がれないのは、おそらくは左足が折れているからだ。フライトグリーヴが妙な方向に歪んでいる。

 それでも、彼女は止まらない――必死に、乞うように叫び続けている。


「<ナイト>――壊れてるやつでもいいから!! もめてる時間なんてないの! だから早く!!」

「バカを言うな! そんな怪我で何ができる!? 第一、ここにまともに使える<ナイト>なんて――」

「なら<サーヴァント>でもいい!! お願いだから――私たちが戻らないと、アーシャが死んじゃう!!」

「落ち着けと言っている!!」


 少女の悲鳴に、救護班の怒号。だがどれだけ怒鳴られても、少女の様子は変わらない。彼女が半狂乱に陥っているのは間違いなかった。

 だからこそ、わからない。アーシャたちは――新入生は主力にはなっていなかったはずだ。戦場に出すには過酷すぎるからと、別包囲の警戒に回されたはずだ。

 なのに、その少女は負傷している。何かが一つでも間違っていれば、死んでいたかもしれないほどに。

 それに……アーシャが死ぬ?


「いったい、何が――」


 と。ちょうどその時だった。

 ムジカとリムの、通信端末に振動。ハッと見やれば、発信者はラウルからだ。

 音声通信要請――受諾して、即座に叫ぶ。


「ラウル、無事か!? 状況は――」

『――撤収の準備をしろ』

「……はっ?」


 有無を言わさぬ、巌のような声だった。


『伏兵だ。東の予備隊が出くわしたようだが、ダメだ。新兵では耐えきれん』

「おい待て、ラウル――」


 だが待たなかった。容赦もなかった。

 ただ傭兵団の団長として、感情を交えずに告げてくるだけだ。


『前線は膠着している。救援は出せん。こちらは切り抜けられるかもしれないが、間に合わん。その間に、メタルが学園にまでたどり着くだろう。東の部隊は無駄死にだ』

「待てよラウル! だって、東には――」

『――


 そして、有無も言わさなかった。

 こちらの言葉を完全に無視して、通信が途絶える。おそらくは、ラウルも戦闘中だ。<ナイト>のブースターの音が聞こえた。状況が変わったのは本当だろう。前線に出ないと言っていた彼も空戦に参加しているようだったが。


「……アニキ」


 心配そうにこちらを見る、リムの声がどこか遠い。

 呆然と……愕然と。ムジカはじわじわと迫り来る、絶望を認めた。

 負けた。

 セイリオスは負けたのだ。正面から押し寄せる超大型たちはしのげても、東から来た伏兵を防ぎきれない。奮戦する未熟なノーブルたちを薙ぎ払って、学園にまで侵略してくるだろう――

 まだ、シェルターへの非難は完了していない。


「……アニキ?」


 また、リムがこちらを呼んだ。だが、その声には訝しむような色があった。

 リムも、ラウルの通信を聞いていた。だから、その声はこの後どうするのかを聞いたのではない――周囲を見回すムジカに、彼女は慌てたように声を荒らげた。


「なに、探してるっすか――それはダメっすよ、アニキ!」


 <サーヴァント>から飛び出して、被っていたバイザーもかなぐり捨てて。リムはムジカを捕まえる。

 わかっていた。リムにそれを悟られることも、気づいた彼女が止めようとすることも。

 だが、それでもムジカは呟いた――あるいは、そう。懇願した。


「頼む。行かせてくれ。俺が全部墜とす。動ける奴がいないなら、俺が全部やる――」

「違う!! それはアニキの――兄さんのやることじゃない!!」


 必死に腕にしがみついて、せき止めるようにリムが叫ぶ。

 口調すら、かつて使っていたものに戻して。必死に、リムが言い募る。


「兄さんはもう、ノーブルじゃない!! 戦う必要なんてないんだよ! 命を懸ける価値だってない!! もう十分、戦ったでしょう……? 行ったら、兄さんが死んじゃう――」

「――あいつは、今死ぬんだぞ!!」


 反射的に、叫び返して。

 怯えたように息を止めたリムに、だが叩きつける言葉が続かない。

 だから口から漏れ出たのは、それまでとは比べ物にならないほどに、かすれた弱々しい声だった。


「……やめてくれよ」

「兄さん……?」

「“誰かのために”戦って死ぬなんて、そんなカッコよさはやめてくれよ」


 昔、それをやった人がいた。

 誰よりも強い英雄だった。誰よりも高潔な戦士だった。

 ムジカの知る、最初で最強の――憧れの、“ノーブル”だった。

 誰にも助けてもらえずに、仲間に裏切られて死んだ。


「援軍が来なきゃ、死んじまうのがわかってて。助けが来るか、わからないこともわかってて。なのに、最期まで戦うってなんでだ?」

「…………」

「やめろよ。やめてくれよ。俺にそんなもの見せないでくれ。ノーブルってそういうのじゃないだろ? いつもは義務だの誇りだのって叫んで、偉そうにふんぞり返って。でもいざとなったら逃げだす腰抜けとか、自分のことしか考えてない卑怯者とか。ノーブルって、そういうのだろ?」


 だから。

 今更、そんな高潔さを見せるのはやめてくれ。

 誰かを守るためなら死んでもいいなんて、残酷な覚悟を見せつけるのはやめてくれ。


 ――どうして父さんの時に、お前みたいな奴はいてくれなかったのかって。

 そんな、バカなことを考えさせるのはやめてくれ。


「……消えないんだ。後悔が」


 ぽつりと。懺悔のように、囁いた。


「“帰ってきたら”なんて約束を、信じるんじゃなかったって。あの日、俺も出てれば父さんは助かったかもしれないって……その力はあった。あったんだよ、リム」


 今もまだ、夢に見る――砕けた“父の残骸”を。

 父の死を。あの日、救いたかった幻影を――

 そこに“あいつ”まで加わってしまったら、もう自分には耐えられない。


「……頼む、リム。<サーヴァント>でもいい。行かせてくれ」

「兄さん……」


 だから。

 すがるように、ムジカは言った。


「……これ以上、後悔したくないんだ」


 ――そして、それに答える声があった。


『――お望みとあらば!!』

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