7-1 いざとなったら逃げろ

「――手術は無事終わりました。診察もこれで終了です……お加減はいかがですか?」


 医療科の生徒は医者と呼んでいいものかどうか。迷ったのはそんな、どうでもいいことだったが。

 セイリオスの学園内、医療科棟の、どこかもよく知らない病室にて。医者――ということにしておく――である彼女の話を聞きながら、ムジカは一度“開かれた”下腕を見つめた。今はギブスでがちがちに固められているのだが、圧迫感どころか何も感じない。

 眉根を寄せて怪しみながら、呻くようにして訊いた。


「……腕が痺れて動かねえな。これ、大丈夫な奴か?」

「まだ局所麻酔が効いてますからね。動かないのはそのせいでしょう――麻酔が切れたら痛みますよ。お覚悟を」

「そういうのは聞きたくなかったよ」


 覚悟が必要な痛みってなんだよ、と苦々しく顔をしかめる。手のひらまで巻き込んで巻かれたギブスを恨めしく睨んだ。

 ガントレット越しにメタルに噛み砕かれ、折れた右腕だが。牙が下腕を貫いたことも込みで、手術室送りの大事になった。命に別条はないし負傷部も腕だけということで、手術自体は一時間もすれば終わるようなものだったが。骨がずれないようボルトだかなんだかを埋め込むという話を聞いて、ムジカは『それホントに治療か?』と首を傾げていた。


(骨折って、大工工事みてえな治し方すんのな)


 と、どうでもいいことを考えながら腕の状態を確かめていると、医者が釘を刺すように言ってくる。


「ああ、当たり前ですが、しばらくの間は絶対安静です。ノブリスでの戦闘なんかもってのほかですからね? 変に動かして、骨がズレたらまた“開き”ますからね?」

「医者が患者を脅すんじゃねえよ……わかった、状況が許す限りな」

「……状況、ですか」


 苦さを噛みしめるように医者が呟く。そうして彼女は、椅子を回して背後の窓を見やった。運がいいのか悪いのか、そちらはちょうど北東だ。遠くの夕日に焼かれた空に、まがまがしく銀色の巨躯が揺れている。

 今はまだ、小さく見える。単純にまだ遠くにいるからだ。足もあまり早くはない――だが、近づいてきている。


「……我々は、勝てるんでしょうか」


 ぽつりと、震える声で医者が呟く。答えを求めての呟きではないだろう。

 当たり前の話だが、ムジカは答えを持っていない。そして気休めを言う気もない。となれば口から漏れるのは、どうとも取れるシニカルな答えだ。


「さあな。セイリオスのノーブルがどれだけやれるか次第だが……実戦経験のない奴らがどんだけ役立つかっつーとな」

「あなたは戦わな……いえ、けが人に戦場に出ないのかと聞くのは酷ですね」


 医者はそれ以上言わなかったが、ムジカは内心でぽつりと一つ、怪我以外に戦わない理由を付け足した――俺はノーブルじゃないからな。

 医者としての仕事は終わったからか。不思議とそこにいるのはただの子供にしか見えない。自分より年上には違いないのだが、不安を隠そうとしながら隠しきれていない彼女に訊いた。


「あんた、メタルの実物を見たことは?」

「まったく。今回が初めてです。ほとんどみんなそうでしょう。ノーブルが戦ってくれるから、浮島にいる限りメタルなんて関わることもない。今日、初めてメタルを見ました……なんて、ツイてない」

「ツイてない? 運の問題なのか?」

「運のせいにしておかないと、こういうのは飲み込めないでしょう?」


 わかるような、わからないような。そんなことを彼女は言う。

 まあ、確かにその通りかもしれない。メタルの巣に襲われるなど、人生最大の不運と呼んで差し支えない。

 だがその不運を、生きるためには噛みしめなければならないのがこの空だ。地上から逃げ出して、それでも生きることを諦めなかったのだから、戦うしかない。


「ま、あんたは医療科で、俺は錬金科だ。どうせ逃げられないんだ、お互いやれることはやるようにしよう……治療ありがとう、助かったよ」

「次は怪我しないよう、お気をつけて。お大事に」


 最後に医者らしいことを聞いて、ムジカは診察室を後にした。

 

「――アニキ!!」


 と、部屋を出るなり待合室からリムが駆け寄ってくる。今にも泣きそうなその顔に、ムジカは思わず苦笑してしまった。

 待ち構えると、間髪入れずと飛び込んでくる。その小さな体を受け止めると、リムはムジカにしがみつきながら、見上げるようにして睨んできた。


「なんつー顔してんだよ……悪いな、心配かけた」

「ホントっすよアニキ! 本当に……!!」


 潤む瞳には気づかなかったふりをして、その頭をなでる。

 そうして顔を上げれば、駆け寄ってこそ来なかったが、似たような顔で近づいてくるラウルが見えた。痛みを堪えるようにして、言ってくる。


「メタルに噛みつかれたのを見たときは、生きた心地がしなかった……よく、生きて帰った」

「腕をかじられたくらいで、大げさなんだよ。大した怪我じゃない」


 鼻で笑って言い返すが、ラウルの表情は晴れそうにない。

 どうにも、苦手な表情だ。二人が落ち込んでいると、罪悪感が刺激される。二人には負い目があるから、余計にだ。それを感じていること自体、二人が望んでいないと知っていても。

 ひとまず押しのけようとしても離れないリムのことは諦めてから、ムジカはラウルに訊いた。


「それで? この後はどうなるんだ?」

「……それより先に、お前のケガの状態を教えろ」


 今目の前に差し迫る問題は、“それより”なんて一言で片づけて言い訳がないのだが。

 ラウルの瞳から強情さを見抜いて、仕方なく答えた。


「さっきも言ったろ、大した怪我じゃない。単純な骨折だ。後遺症もねえし、ほっときゃ治るよ……麻酔が切れたら痛えぞって脅されてるけどな」

「…………」

「固い顔するなよ。それよりこの後だ。話があったんだろ?」


 戦闘科の講師として、またレティシアお抱えの傭兵として、ラウルに何らかの要請があったのは想像に難くない。<ナイト>で<カウント>を墜とせるその腕前を見逃すほど、レティシアもマヌケではないはずだ。

 

「……セイリオスは、徹底抗戦の構えだ」

「まあ、そりゃそうだろうな。開戦予想時期とラウルのポジションは?」

「開戦はあと数時間後。夕方には始まってる予想だ。放送は聞いてただろうが、今は非戦闘員の避難が始まっている。俺は経験不足の連中をまとめて、後方から支援攻撃の指揮担当だ」

「あのデカ物は?」

「ナンバーズが担当する。他の小粒は上級生が拘束する手はずだ。新人は戦闘に参加せず、他方の外縁部警戒。新兵の損耗を減らすための構成だ」

「なるほど……にしても、後方支援部隊ねえ? 前線送りにされなくてよかったな?」


 からかうつもりで皮肉げに言うと、ようやく調子を取り戻してきたらしい。ラウルも苦笑気味に言い返してくる。


「バカ言え、ろくに戦えないガキどものケツ蹴っ飛ばす仕事だぞ? 面倒なだけだ。前線で暴れ倒したほうが、気苦労ないぶんだけ楽だよ」

「ま、俺もその意見に賛成かな……待った、ノブリスは? 俺たちの<ナイト>、ガントレットぶっ壊れたろ?」

「お前の負傷の詫び込みで、新品の<ナイト>を譲ってもらえたよ。ガン・ロッド込みで、貸与じゃなくて譲渡だと」


 これであのオンボロもようやくお払い箱だ、などとラウルはおどけてみせる。

 それが空元気の類だとわかってはいたが、ムジカはそれに軽口で答えた。


「マジか。腕一本で<ナイト>がもらえんなら、随分と安上がりだな。どうせならもう一本やっときゃよかったか。そうすりゃ――」


「――!!」


 唐突な――悲鳴にも似た叫びに、思わずムジカは身をすくませた。

 恐る恐る、見下ろせば……リムは顔を隠すというよりは、頭突きするように顔を伏せて、一際強くしがみついてくる。

 胸にうずもれるようにして続きを叫んだから、その声はくぐもって聞こえた。

 

「人の気も、知らないで……っ!!」

「……悪かったよ」


 冗談にしても下手なことを言った。

 ぽん、とリムの頭に手を置く。その手から伝わってくる彼女の震えには、気づかなかったふりをした。この少女も、そんな弱さを気取られるのは望まないだろう……

 そうして顔を上げれば、苦笑するラウルが目に入った。


「先を越された。リムが言わなきゃ、俺が殴ってた」

「勘弁しろ。あんたに殴られたら首がもげる」

「お前のジョークは面白くないんだよ。その最低なセンスをどうにかしてから生意気を言え」

「軽口だってわかってんなら、大目に見てくれよ……ったく」


 嘆息する。口は禍の元とはよく言ったものだ。おかげで散々だ。泣かせなくていいのにリムを泣かせた。この罪悪感はただひたすらに重い。

 ラウルも似たような様子でため息をつくと、話を元に戻した。


「状況的に、勝てるかどうかは五分五分だな。ノーブルの数自体は十分だが、大半が実戦不足のガキどもじゃあな。メタルも何をどう学習してるかわからん。相手次第では相当に苦しい形になるかもしれん」

「ナンバーズはそこそこ信用できるんじゃないか? この前のランク戦の……ヤクト、だったか? ランク9であの動きなら、信用できるレベルだと思うけど」

「それは否定せんが、他がダメだったら危うい。せめてひと月あれば、各学年の実力も知れたんだがな……」


 顔をしかめながらラウルが言う。口調こそまだ軽いが、表情からラウルがこの状況を相当に重く見ていることを悟った。

 だからだろう。ラウルはそれだけは、誰にも聞かれないよう静かに囁いた。


「俺たちのフライトシップ、今回のダメージを理由にアルマ嬢のガレージに入れてある……

「……いいのかよ」


 それは、この島に生きる人々を見捨てる選択だ。セイリオスのノーブルなら決して許されない選択肢。

 だが自分たちは違う。傭兵だから――そう生きると割り切ったからこそ、ラウルは仕方なさそうに笑って、言った。


「お前とリム以上に、大切なものなどこの世にはないよ」


 また無言でしがみつく手に力を込めたリムも、それに同意しているかのようだった。

 と、不意にラウルの腕から音が鳴った。情報端末からのアラームだ。


「……時間切れか。ノーブルの集合時間だ。すまんな、俺はもう行く」

「ああ、わかった」

「リムを任せる。もしもの時は――」

「縁起でもないことを言うな。現実になるぞ」


 聞きたくないものは言わせない。遮ると、ラウルは苦笑してみせた。

 そうして去る背中を、リムと二人で見送って……呟く。


「俺たちも、仕事しに行くぞ」

「……うん」

「……合流する前に、顔洗ってこい。待っててやるから」

「……バカアニキ。誰のせいだと思ってるっすか」


 ようやくいつもの口調が戻ってきたリムに、ムジカは苦笑した。

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