6-4 憎み続けるのは、辛くはないのですか
気づけば、ムジカはその場に立ち上がっていた。
吹き荒ぶ寒風に身をさらして、こぶしを握り締めてレティシアを見下ろす。彼女の瞳は静かに凪いで、何の感情も浮かべていないが。
まっすぐに見つめてくる藍色の瞳に、噛みつくようにムジカは問う。
「……それ、どういう意味で言ってんだ?」
「そのままの意味です、ムジカさん。あなたはノーブルに、夢を見ておられる……いえ、違いますか――理想を汚されるのが許せないのでしょう?」
だがレティシアの瞳は揺れない。
挑み返すようにムジカを見据え、静かに突き付けてくる。現実を。
「ノーブルとてただの人間です。いい人もいれば、悪い人もいる。当たり前の話ではないですか。真っ当には生きていない者もいるでしょう。欲に負ける者もいるでしょう。悪を罪だと知りながら、加担する弱き者も……でも、それが人間じゃあないですか」
「それが許される存在じゃあないだろう。ノブリスオブリージュだの、使命だの義務だの。常日頃から威張り散らしてるのはなんでだ? 平民より高い飯食ってるのはどうしてだ。わざわざ“ノーブル”を自称してるのは、自分たちを“そういうもの”だと律するためだろう」
「……そうであってほしいと、願っています」
「なら!」
「――でもそれは、ただの理想論でしかないのですよ」
こんな口論に意味はない。レティシアは真実、ただの一般論を言っている――
それを理解したうえで、だがムジカは胸の内に沸騰するものを確かに感じた。それが八つ当たりに過ぎないとわかっているから、自制はする。だが視線は自然と険しくなった。
そうして次に目が合ったとき、レティシアの言葉は別の切り口を見せた。
「……憎み続けるのは、辛くはないのですか」
「――――――」
「私は管理者の血族です。浮島グレンデルで起きた事件も、あなたの境遇も……すべて、共有されています。“ジークフリートの悲劇”の真実も……三年前の、クリムヒルト様を巡る一連の騒動も」
それ以上は語らせなかった。
相手がこの世界で誰よりも偉い、浮島の管理者であることも忘れた。激情が体を突き動かす。咄嗟に伸ばした手が胸倉に迫った。
掴み上げ、床でも壁でもなんでもいいから近場に叩きつけ、黙らせる。そのつもりで――だが、すぐに手を止めた。
ギリギリで理性を取り戻させたのは、彼女の瞳に侮蔑の感情がなかったからだ。
あともう少し。伸ばせば触れるほどの距離で彷徨う手を引き戻して、軋るように言う。
「……何が目的だ?」
「……というと?」
「談笑しに来たってわりには、人の気を逆撫ですることばかり言うな。知ってるのなら、それがこっちの逆鱗だってのも察せるだろ。この会話の目的はなんだ?」
くだらない事件だった、としか言いようがない。レティシアが口にした三年前の事件というのは。
だが関わった者たちにとっては、誰もが傷を負うだけに終わった唾棄すべき事件だった。
あらましは簡単だ。首謀者ドリス・ジークフリートが、非戦闘員クリムヒルト・グレンデルに決闘を挑んだという、ただそれだけの。
敗者は勝者の命令を聞くことが定められ、ドリスはクリムヒルトとの婚約を掲げた。貴族同士の“神聖な決闘”を盾にした、管理者の血統の乗っ取りが目的だった。
本来なら、こんな決闘が成立するはずはなかった。だが当時のグレンデルの管理者、ラウル・グレンデルはこの時全島連盟会議のため不在。そんな状況で、グレンデルにおいて序列二位だったジークフリート家の威光が全てを悪意に導いた。
ドリスに抱きこまれた決闘審議機関が、当時九歳だった少女との決闘を成立させたこと。
ジークフリート家の根回しによって傍観を強制され、彼女の代理人になり得る
味方のいない、幼い少女の代わりにグレンデル家の小姓が決闘を引き受けた――であるにも関わらず、平民に公示された決闘の内容は『ドリスと、二人の婚約を邪魔する“
他にも多々ある。だがその結果として、ドリスの悪意はクリムヒルトを絶望の淵に追いやった。唯一の肉親である父すら頼れず、九歳の少女が自死を望むほどに追い込まれたのだ。
決闘の結果は散々だった。
この事件のせいでラウルと
そしてジークフリート家は、代々受け継いできた蒼きノブリス“ジークフリート”を失った。
――決闘の代理人を引き受けたムジカが破壊した。
怒りが、逆にムジカを冷静にさせた。だからこその疑問だった。
おそらくは、この問いかけは想定外だったに違いない。藍色の瞳に、動揺のかけらをかすかに見つけた。こちらを怒らせて、何か情報を引き出すことが目的だったのだろうが……
小さく「……ダメですね、失敗しました」と認めると、ゆっくりとムジカを見上げて言ってくる。
「あなたの、今の人となりを」
「……そんなものを知って何になる?」
「個人的な興味です……と言っても、納得してくれないでしょう。怒らせる誘導は本当に失敗でした……まあ、セイリオスの管理者としての仕事だとでも思ってください」
瞳から強さを抜いて、本当に失敗したと言いたげな苦笑でレティシアは続けた。
こちらを挑発するような気はもうない……どころか、気を抜いたような様子で、「こんな話がしたかったわけではないのに……」などとぼやいてくる。
「仕事の話で言うと、あなたは優秀なノーブルです。セイリオスはノーブルも学生しかいませんから、優秀な方はいればいてくれるだけありがたいんです。そういう意味では、あなたはとても悩ましい方なんですよ」
「悩ましい? ラウルと条件は同じだろ?」
訊くと、レティシアはすぐに首を振って否定する。
「ラウルおじ様は、こちらにわかりやすく見せてくれていますね。ムジカさんとリムさん、お二人がセイリオスにいてくれる限り、セイリオスのために戦ってくださるでしょう。では、あなたは?」
「……それこそラウルと一緒だろ? 二人がセイリオスにいるなら、俺だって――」
「でもお二人は、あなたがセイリオスから出ていくと決めたら喜んでついていきますよ?」
答え切る前に否定され、ムジカは息を詰まらせた。
「ラウルおじ様はリムさんとムジカさん、お二人の将来のためにセイリオスを利用してるだけです。リムさんとはまだしっかりお話しできておりませんが、進んでお友達を作られている様子もないですし。お二人とも、セイリオスに思い入れなんかないのですよ。だからムジカさん。あなたをセイリオスに縛っておかないといけないわけです。でも、その方法が見つからない……ほら、悩ましい」
「……俺は傭兵だ。戦わせたいのなら、金を払えばいいだろ」
「――本当に?」
「うわっ?」
急にレティシアが身を乗り出してきたので、思わずたじろいだ。
だけならまだしも、こちらの手をパシっと掴んで、言い募ってくる。
「お金を払えば、あなたに首輪をつけられますか? 本当に? であるなら、私はいくらでも払いますよ? それであなたが買えるなら」
でも、と。掴んだ時と同じくらい唐突に手を離して、レティシアは肩をすくめてみせる。
「でもムジカさん、そんなことを言いながらも、お金なんて本当はどうでもいいでしょう?」
「どうでもいいってことはないが……」
「なら、お金のために命をかけられますか? いくらお金を払っても、今回のように本気で嫌なことが続けば出て行ってしまうのではないですか?」
「……それは、まあ」
「ほら、悩ましい方」
だから言ったでしょう、とでも言いたげに、レティシアがため息をつく。
だがレティシアがこちらに固執する理由はよくわかった。学生しかいないセイリオスには戦力が必要で、特に<ナイト>で<カウント>に勝ちうるラウルは垂涎物の戦力だ。加えてムジカもそこそこの戦力になりうる。
その要がムジカなのだから、人となりを把握して取り込もうとするのは納得のできる理屈ではあった。
と、こちらの表情から何かを読み取ったのか、またレティシアがため息をつく。
「本当に変わっておられないのですね……」
「……なあ。前から気になってたんだが」
言いよどんだのは、それが勘違いなら明らかに自意識過剰の類だったからだが。
口に出した以上は言い切らないわけにもいかず、ムジカは逡巡しつつ訊いた。
「前にも“また”とか言われた記憶あるが、なんなんだその匂わせ。どこかで会ったことあるか?」
「…………」
対するレティシアの反応は、どう表現すればいいのか難しいものだった。
先ほどまで浮かべていた微笑みが、その瞬間に硬直する。呼吸まで数秒止めた後、彼女は食べていた食事に卵の殻でも混じっていたような顔をした。
その顔で言ってきたのは……おそらくは、恨み節だろうか。
「……どうせそうだろうとは思っていましたが、改めて突きつけられると心にクるものがあります。本当に、覚えておられないのですか?」
「……いや、アンタみたいなやつと出会ったことがあるなら、早々忘れないと思うが」
欠片も心当たりはない。ムジカが困惑するその先で、レティシアは唇をへの字に曲げてみせた。
「であれば、思い出してくださいな。それまでは……そうですね、宿題ということで」
「……ずっと思い出せなかったらペナルティでもあんのか?」
「そうですね。あります」
「どんな?」
「私が怒ります。とっても」
いい笑顔でそう言い切って、期待するような目でこちらを見る――この場合の期待というのは思い出すことに対してか、それともとっても怒る日が来ることに対してか、どちらか判別付き兼ねたが。
と。
「……?」
「……どうかなされましたか?」
レティシアの疑問の声に、だがムジカは一旦無視した。
感じたのは、明確に嫌な胸騒ぎだ。うなじの辺りに突き刺さる違和感。不思議とこういう時、ムジカの嫌な予感は外れない――
「……そういやあんた、この空に何を探してたんだ?」
目の前の、広大なだけで何もない空。そちらを睨んで、恐る恐るムジカは訊いた。
こちらの危機感は共有してもらえないまま、レティシアがのんびりと答えてくる――
「はい。どうもここ最近、メタルの襲撃頻度が高まっているようでして。メタルとの遭遇の傾向からして、何か、こちらにその原因が掴めそうなものがあるのではないかと――」
その答えを、レティシアが言い切る前に。
雲の切れ間から現れたメタルの怪光線が、フライトシップに直撃した。
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