6-2 そんな理由で逃げちゃうのはカッコ悪いよ

「昨日の決闘、見てたよ。本当に強かったんだね、ムジカさん」


 アルマの研究室が使えないため、適当にどこか座れそうな場所を探す道すがら。

 唐突と言えば唐突なその言葉に、ムジカは眉根を寄せてクロエを見やった。訝しんだのはそれがおべっかかどうかだが、こちらに媚びるような気配はサッパリない。どうやら雑談のつもりでその話題を出したらしい。

 無駄だった警戒に少々気まずい思いをしながらも、ムジカはふと考えこんだ。


(……そんなに話したことはなかったよな?)


 思えば、ムジカはこのクロエという少女のことを何も知らない。セイリオスにやってきて、初めて出会った同級生の一人ではあるのだが。

 バリアントの三人の中ではアーシャが目立っていたし、サジは同じ錬金科ということで多少の付き合いがある。だが、クロエとはこれまでほとんど関わりはなかった――し、会話の時にもお互い、率先して話すような相手でもなかった、はずだ。


(それがいったい、何の用で――)


 などと訝しんでいたせいで、相手もこちらを見ていることに気づくのが遅れた。


「……? 私の顔、何かついてる?」

「あ、いや。そういうわけじゃない。そういうんじゃないんだが……」


 じゃあなんで人の顔をじろじろ見ていたのかと聞かれると、凄く困るのだが。

 言い訳を探す途中でふと気づいて、ムジカは問いかけた。


「なんか、雰囲気変わったか?」

「え? ああ、もしかして、敬語やめたこと?」

「あー……たぶんそれだ。なんかイメージと合わなかった」


 バリアントの三人の中ではいつも敬語だったから、その違和感だろう。

 自分から言及したということは、自覚のある変化か。言葉で露骨には聞かなかったが、視線でこちらの疑問には気づいたらしい。

 クロエはあっさりと答えてきた。


「特別扱いするの、やめようと思って」

「特別扱い? 俺をか?」

「うん。最初に出会った頃は、傭兵だと思ってたから。怒らせるのも怖そうだし、敬語のほうがいいかなって。でも今は同級生だし。同い年の子に、敬語も変かなって……敬語のほうが、よかったですか?」

「やめてくれ。かしこまられると背中がかゆくなる」

「そう? じゃあ、普通でいいよね?」


 そう言って、クロエは何が楽しいのかくすくすと笑う。

 だが実を言うと、それもムジカには居心地が悪かったりする。敵意や悪意をぶつけられるのには慣れてるし、喧嘩を売られれば買うタイプだが。そうでないものはどう受け止めればいいのか迷うのだ。

 特に困るのが、こうした理由のわからない友好的な態度で――


「……それで、結局何の用なんだ? 話がどうとか言ってたけど」


 だからついそっぽを向いて、つっけんどんに訊いてしまう。

 一応そのついでにベンチとか、座れそうなものがないか探したが。そういう類のものは見つからなかったので、結局まだ歩くことになりそうだ。

 ただ、ムジカの聞き方が率直なら、クロエの返答も直球だった。


「ねえ、アーシャと喧嘩した?」

「――っ!? げほ!? げっほ!!」


 あまりの剛速球に、つばの飲み方を間違えた。突然の核心に驚いてせき込む。


「わ? ちょっと、大丈夫!?」

「いや、すまん。急だったから驚いただけで……それで、いきなりなんでそんなことを?」

「否定しないんだ?」

「うっ……」


 せき込んで足を止めたこちらを、真下からのぞき込むようにしてクロエは微笑んでいる。その微笑みに追い詰められたような心地で、ムジカは息を詰まらせた。

 と、すっと後ろに下がってこちらの先を歩きながら、肩越しにクロエは言ってくる。


「私とアーシャ、同じ家借りて一緒に住んでるの。それで、昨日はあの決闘の後からずっと凹みっぱなしだったから。これは何かあったかなって。当たり?」

「……悪いがノーコメントだ。仮にそうだったとしても、喧嘩の内容なんか人に言うことでもないだろ」

「そこまで言っちゃってると、ノーコメントの意味ないと思うけどなあ」


 またくすりとクロエが笑う。その笑みが居心地悪いというか、いたたまれなくなって目を逸らす――が、そんな様にも楽しそうに笑われるので、本当にどうすればいいのかと内心で頭を抱える。


「あー……つまり、今回の目的ってあれか? 凹んでるアーシャの敵討ちとか」

「え?」

「あん?」


 目を丸くしたクロエに、予想が外れてこちらも目を丸くする。

 からかうような微笑みが落ち着いたのはいいことだが、きょとんと見つめられるのもどうにも落ち着かない。


「えっと。敵討ちって言うのは、“私の友達いじめるなんて許さないー”とか、そういうこと?」

「ああ、まあ。概ねそうだけど……違うのか?」

「違うよ。私、そこまで過保護じゃないよ? あの中じゃ一番大人だとは思ってるけど」


 アーシャはあんなんだし、サジはノブリスノブリス言ってるお子ちゃまだし……などと散々にこき下ろして、ため息までつく。

 ひっそりと、ムジカはクロエの評価を更新した。割と結構、がっつり言うタイプのようだ。これまではアーシャが前面に出ていたので、控えめな性格かとばかり思っていたが。

 と、そこでクロエはこちらを振り返って、言ってくる。


「ただ、アーシャ、今日はご飯も食べないくらい凹んでたから。ほら、アーシャってああいう性格だから、あんまり落ち込まないんだよね。本当に落ち込むのは、自分が誰かに迷惑をかけた時、かな。だから、何があったんだろうって」


 そうしてじっと、こちらの目を見て答えを待つ。どうやら確信があるらしい。

 居心地の悪さに唇をへの字に曲げながら、ムジカはうめくように答えた。


「……別に、大したことはねえよ。ちょっと言い合いになっただけだ」

「……本当に?」


 ごまかすような呟きに、クロエはまっすぐに――縫い付けたみたいに真っすぐに、ムジカを見つめてくる。

 予想よりはるかに澄んだ瞳に、思わずムジカは身をすくませた。どんな些細な嘘でも見透かしそうな。そんな気配に息が詰まる。

 それがあまりよくなかったらしい。こちらが気圧されたことまで見抜いたのか、クロエはふふっと笑ってみせた。


「ムジカさんって、結構子供っぽい?」

「……なんでそう思ったのかは訊かないが、ガキ扱いは勘弁してくれ。もうそんな歳じゃない」

「そう? うちのアーシャとサジ見て同じこと言える?」


 それこそ年下の子供の面倒でも見ているような口ぶりで、クロエは言う。


「敬語やめようと思ったのも実は、それが理由なんだけどね。傭兵さんじゃなくて、普通の男の子なんだなって思ったから」

「……あんた、何見てそんなこと思ったんだ?」

「うーん……なんだろう。昨日の決闘のこととか、アーシャと喧嘩したこととか、かな。案外、素直に怒るんだなって。だから、普通に見てあげないといけないなって思ったの」

「それでガキ扱いか?」

「だってムジカさん、そこまで大人じゃないでしょ?」


 しれっとクロエは言う。が、言い返す言葉がすぐには出てこなくて、ムジカは唇をへの字に曲げた。

 大人と言われて思い浮かぶべたのは、ラウルだが。自分は彼ほど大人かというと、確かにそんな気は全くしない。

 一度落ち着くために深呼吸すると、ムジカはすぐに観念した。降参のための観念だ。反論がまったく思いつかない――し、何を言っても言い返されそうだ。リムと同じだ。勝てなさそうな気配を感じて諦める。

 観念ついでにため息をつくと、核心に触れない程度に訊いた。


「……アーシャのやつ、ノーブルになんか思い入れでもあんのか?」

「喧嘩の理由って、もしかしてそれ?」

「詮索はやめてくれ。ノーコメントっつったろ」

「わかりやすすぎるほうが悪いと思うなあ……でも、うん。あるよ。アーシャがまだ小さかったころ、他の浮島のノーブルに助けてもらったんだって」

「助けてもらった?」

「フライトシップでの旅行中。ほら、全島連盟会議ってあるでしょ? アーシャのお父さん、アレでうちの浮島の管理者の付き人やることになったの」

「その時一緒にアイツもついてって、んでメタルかなんかにでも襲われたと?」


 訊くと、クロエが頷く。

 全島連盟会議は、この空にある浮島の管理者や代表たちが一堂に会する年に一度の大会議だ。この空のルールの策定や、その一年で起きた出来事、誕生した新技術の交流などのための集会として知られる。

 平民にはおおよそ縁遠いイベントだが、アーシャの親がノーブルという話は聞いていたので、その伝手で彼女が参加したこと自体は不思議ではないが。


「うん。それで、助けてくれたノーブルとお話ししたんだって。凄い強いノーブルだったって言ってた。それがアーシャの原点」

「強いノーブルに会ったことがか?」

「うん。後で、少しだけお話しできたんだって。確かにその日からかな、アーシャが少し、しっかりし始めたのも」


 そこで一度、言葉を区切って。

 思い出すように、クロエは言う。


「どうしたら、あなたみたいに強くなれますかって訊いたら、“誰かのために”を大切にしなさいって言われたって」

「……“誰かのために”?」

「うん。それがノーブルにとって、一番大切なことだって」


 言っていることは――頭では、理解できる。

 単純な話だ。“ノブリス・オブリージュ”を優しい言葉に置き換えただけなのだから。だがそれこそが、この空でのノーブルの役目とも言える。

 戦えない皆のために。顔も見えない誰かのために。戦えない人々の代わりに、平和を守るために戦う。ノーブルとは本来、そのための存在だった。

 綺麗事だ、とムジカは思う。随分とぬるいことを言う。現実はそんなに甘くない――そう笑いたくなる一方で、子供に言い聞かせるならこれ以上はない教えだとも思う。

 だが。


「……もしかして、それだけか?」


 訊くと、クロエはきょとんとしたようだった。


「え? うん。何か、もっといろいろあってほしかった?」

「そうだな……って言うのも、なんかケチつけてるみたいで悪いんだけど。助けられて、お話しして、それでおしまいだろ? それだけで原点って言えるようなものになるのか? って」

「そう? でも子供の頃の憧れって、そういうものじゃない? たとえ単純なことだったとしてもさ」

「……そういうもんか」


 クロエの答えに不承不承――というものやはり、失礼な話だが――納得する。というより、するしかなかった。

 ふと思い出してしまった。何をかといえば、父のことをだ。

 あの何もない空で、ムジカに戦う理由を問うた父を。

 ノーブルは“誰かのために”戦うものだと父は説き、自分はそんな理由では戦えないと答えた。

 ならば、なんのために戦うのか。考えろと、父はムジカに言った。

 その日のことを、ムジカは今もまだ覚えている。子供の頃の憧れと言うのであれば、まさしくそれがそうだった。

 その答えをまだ、ムジカは見つけられていない。


(……あいつは、違うんだろうな)


 アーシャのことだ。人のために怒れる彼女なら、誰かのために戦うこともできるのだろう。

 感じたのは、痛みだった。自分はそうはなれないだろうという痛み。自分にできないことを、彼女はできるという痛み。そして――


(どうして、あいつみたいなやつが――)

「――仲直りは、しないの?」


 ハッと、物思いから覚めた。

 クロエが真っすぐにこちらを見ている。今度は、あのからかうような微笑みはない。ただただ真摯に見つめてきているだけだ。

 その瞳から逃げるように、吐き捨てる。


「直るほどの仲なんてないだろ。ここに来て、まだ数える程度にしか話したこともない」

「そう? でも人の仲ってそういうのじゃないでしょ? なくなればいいって思っちゃうのは簡単だけど、そんな理由で逃げちゃうのはカッコ悪いよ」

「カッコ悪いって……」


 聞き分けの悪い子供に言い聞かせているようだと感じたのは、まさしく自分がそうだからか。

 その通りかもしれない。苦い羞恥を押し隠して、憮然と言い返した。


「なんか、敬語やめてから急に遠慮もなくなってねえか?」

「そうかな? でも、サジとかアーシャにも私、こんな感じだよ? みんな子供なんだもん」

「……俺までガキ扱いはやめてくれって言わなかったか?」

「じゃあカッコよくならなくっちゃね?」


 ああ言えばこう言うの典型だ。本当に勝ち目がない。ムジカはひっそりと、内心で彼女をブラックリストに書き連ねた。リムと同じだ。うかつに言い返すとひどい目に合う。

 と。


「……うん?」


 腕時計型情報端末が鳴動。通話要請だ。発信者はラウル。

 一度クロエに目配せすると、彼女は察して頷いてくれた。詫びをジェスチャーで返して、要請を受ける。

 ラウルの第一声は、これだった。


『よお、ムジカ。お前、今からエアフロント来れるか?』

「エアフロント? なんでまた?」

『ちょっとしたバイトだよ。小遣い稼がせてやる。リムは一緒にいるのか?』

「リムならアルマ先輩に捕まったよ。研究室に引きずり込まれたから、動けるのは俺だけだな」

『わかった。んじゃすぐ来てくれ』


 こちらが了承するより早く、通話が切れる。

 あんまりにもあんまりな唐突さに、どう反応すればよかったのかもいまいちわからないが。


「バイト?」


 会話が聞こえていたらしい。訊いてきたクロエに、ムジカは困惑顔のまま答えた。


「らしい。エアフロントってことは外に出る仕事っぽいけど」

「傭兵業とか?」

「かもしれん。悪いが、俺はもう行くわ」

「わかった……あ。えーと……いってらっしゃい?」

「…………」

「……?」


 珍しい――リムとラウルくらいからしか訊いた記憶のない挨拶に、つい面食らう。

 そんなこちらの反応を予想していなかったのか、クロエは首を傾げていたが。

 毒気を抜かれたような形で嘆息すると、ムジカはぶっきらぼうに呟いた。


「……アーシャに、昨日は悪かったって伝えてもらってもいいか?」


 一瞬、クロエはきょとんと眼を丸くしたが。

 すぐにくすりと笑うと、やはり年長者ぶってこう言った。


「どうせなら、直接言っちゃえばいいのに。そういうところ、やっぱり子供っぽいって思うな。意地っ張りさん」

「うっせえ。ちっとは遠慮しろっつーんだ」


 苦虫をかみつぶした心地でうめくが、クロエは面白がるように笑うだけだった。

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