1章幕間
――同時刻、セイリオス周辺空域警護隊の詰め所にて。
(やれやれ。ようやくひと段落と言ったところか……?)
子供たち二人に背を向けて、ラウルは小さく嘆息した。
長い間載っていた、肩の荷が下りた……というとあまりにも大げさだし、実際に下ろせたわけでもないのだが。それでもほんの一呼吸だけ、息ができるようになった。そんな心地ではある。
ムジカがあの事件を起こしてから、早三年。亡き親友の遺児を抱え、どうにか今日まで生きてきた。故郷を捨て、傭兵に身をやつして過ごしてきた三年だ。
ラウル自身の人生を思えば、長かったとは到底言えない――だが子供たちにとっては、あまりにも長い三年だったとも思う。
悔いがあるかないかで言えば、ある。それは自らに対する不甲斐なさでもあるし、故郷グレンデルの民衆への怒りでもあるし、同じくノーブルたちへの憎悪でもある。そのどれもが、もし自分がもっとうまくやれていたのなら……という後悔となってラウルを苛んだ。
(いかんな。こんなことは、レティシア嬢には関係ないのだが……)
これから会う相手に、そんな顔を見せるわけにはいかない。もう一度だけ嘆息して、ラウルは表情を切り替えた。
大人として――そして貴族として生きていた過去は、ラウルにとって忌々しい過去だ。だが同時に自身の血肉でもある。大切なことばかり取りこぼしたくせに、そんなことばかりうまくさせた。
どうせうまくなるのなら、子供たちへの未来の見せ方を上達させられたらよかったものを。
皮肉と苛立ちを鉄面皮に隠して、ラウルは先ほどまでいた隊長室のドアをノックした。
「――どうぞ。開いてますよ」
待ち構えていた、というとやはり大げさだが。待っていただろう相手に迎えられて、ラウルは隊長室に入る。
この浮島の支配者、レティシア・セイリオスは、変わらずデスクにいた。
ただ先ほどと違っていたのは、椅子ではなく机に座っていたことだ。表情も先ほどの落ち着いたものから、どこか茶目っ気を感じさせるものに変わっている。
つまりは、友人としての顔だ。だからラウルも彼女に合わせて笑ってみせた。
「すまないな、レティシア嬢。あなたが
「いえいえ、こちらこそ。純粋な善意で受け入れたわけではありませんし。渡りに船とはこのことでしょう。素直にありがたかったんですよ?」
「そう言ってもらえるとありがたいが、ワガママはワガママだ。礼は受け取ってくれ。感謝してるのは本当なんだ」
「ええ、受け取りましょう」
口元を手で隠しながらも、気安い微笑みを返してくれる。少女らしさと貴族らしい気品を同時に感じる、綺麗な笑みだ。
(そういう笑みを浮かべられる程度には、貴族が馴染んできたということか)
彼女が本当にこちらに親しみを感じているかどうか。
実のところ、ラウルはそんなことはないだろうと踏んでいた。なにしろ会った回数は両手の指で足りるほどだし、最後に会ったのも四年は前だ。旧知ではあっても、普通の感覚ならそれはもうほぼ他人だろう。
ラウルは苦笑を返した。ただしそれは彼女の微笑みだけでなく、彼女が背負わされた責務についてもだ。
「にしても、今は君がセイリオスか。あんなに小さかったお嬢さんが……という想いが強い。父君はどうしている?」
「引っ込みましたよ? 半分は私が望んだことではありますが、もう半分は押し付けです。三年ほど前――私がこの学園に入学したタイミングで、腰をやらかしたとかなんとかで」
「なるほど、君も苦労しているようだ。それにしても、腰か……」
思わず微妙な表情をすると、きょとんとレティシアは首を傾げた。
「いや、なに。成り行きで傭兵稼業なんぞやっているが、実務は基本的にムジカに押し付けていてね。その理由に、私も腰を使ったのを思い出した」
「あら、まあ。仮病ですか?」
「言い訳としては都合がいいんだ。歳を取ったと思わせやすくてね……それに、くたびれてきたのは本当だ。老人は後ろから若造をこき使うのが正しい姿だと実感しているよ」
「老人なんて、また随分と大げさですね。まだお若いでしょうに」
「“まだ”などと注釈がつく時点で、もう若いとは胸張って言えんよ」
おどけてみせると、レティシアは口元を隠して小さく笑う。実際にどう思っているのかは聞かないのが華だ。
ともあれ、とそこで一度だけラウルは息をついた。
雑談としてはこの辺りまでで十分だろう。さて、と咳払いの代わりに小さく呟く。早々に見切りをつけて、ラウルは切り出した。
「
単刀直入に問う。
視線の先、レティシアがわずかに目を細めたのをラウルは見ていた。微笑みの形は変わっていない――が、意識が切り替わったのが見えた。
どう反応するか。期待していたわけではないが、予想はいくつかしていた。肯定するか、知らんぷりするか。一番ありそうなのはとぼけることだ。なにせ、証拠は何一つないのだから。
だが違った。彼女はそのどれもしなかった。
「……
あえて言うならば、彼女がしたのは告白だった。
あるいは、そう。単なる恨み節か。
「六年前には、交わることはないと泣いたのに。可能性をちらつかせて、期待させたのはおじ様のほうでしょう?」
「期待をさせたつもりはなかったんだが……」
「いいえ、させられました。この上バスからお金をもらって逃げられたら、私、どうなるかわからないくらいに」
だから、わずかな可能性も摘ませていただきました、と。
微笑む頬を薄く朱に染めて、瞳は滲む感情に潤む。今彼女が言った、それこそがおそらくは犯行動機だろうが。
そうしてレティシアが見たのは、窓の外だ。そこからはエアフロントが一望できる。ラウルは探さなかったが、彼女はそこに一人の少年を見つけていたかもしれない。
罪作りな奴め、と内心でため息をつきながら、ラウルは苦笑した。
「私にも事情があったし、奴もまだ若すぎた。いきなり君たちを頼るわけにもいかんさ。だから、奴が十五になった今、こうしてここにいる……ただ、話をつけたのは君の父上にだったのだが」
「ええ。そのお話を、私も隣で聞いておりました。だからこそ、今は私が生徒会長なのです」
「……率直に言うが、そこまで執念を燃やすほどの想いか? 直接顔を合わせたのは、今回が二度目だろう?」
「その一度目の、鮮烈なればこそ……」
過去に想いを馳せるように、レティシアはその眼を閉じる。大切なものを抱きしめるかのように、自身の身を抱いて。
彼女が思い出していたのは、おそらくその一度目の出会い――つまりは六年前、レティシアがラウルたちの故郷、グレンデルにやってきたときのことだろう。
全島連盟会議と呼ばれる、全ての浮島の管理者が一堂に会する年に一度の顔合わせ。その時父親に連れられて、レティシアはグレンデルに来た。
通常であれば、貴族であってもよほどのことがない限り、他の島に行くことはない。彼女の父親は彼女に貴重な経験をさせてやりたかったのだろうが……
(その結果がこの“熱病”とは、予想もしなかったに違いない)
苦笑するしかない。同じ病にかかった娘を持っているだけに。今頃、レティシアの父親は歯ぎしりでもしているだろうか。
そんなことを考えた辺りで、レティシアは小さくため息をついた。
「もっとも、彼は私のことなんて覚えてもいないようでしたけれど」
「勘弁してやれ。奴にもいろいろあった」
フォローといえるほどの言葉ではなかったが。
そう告げると、わずかにレティシアは視線を伏せた。
「……三年前の、“貴族殺し”の件ですか」
「本を正すなら、七年前の“ジークフリートの悲劇”からかな」
ラウルが親友を失い、ムジカが父を失った事件だ。自分たちの運命の、何もかもが壊れた事件。
それを思えば、三年前の事件など余禄でしかない。
あるいは、そう。ただの清算だ。
「……彼は、私に好意的ではありませんでしたね。やはり、憎んでいますか……ノーブルを」
「どうかな。単に、奴は何もかも嫌いなだけだと思うがね。君がどうとかは関係ない。ノーブルも、平民も、自分の味方ではないと知った。それだけのことだ」
「……ラウルおじ様は例外ですか?」
「うちの娘もかな。あの頃から、奴の味方は私たちだけだ」
「……傍にいられたなら、私だってお味方しましたのに」
そんなことを素直に羨むレティシアに、ラウルは苦笑だけ返しておいた。
「まあ、そういうわけだ。どうにか学生はやらせることができそうだが、戦闘科に組み込むのだけはやめてやってくれ。おそらくは、そこが境界線だ」
「わかりました。まあ、私も彼に嫌がらせをしたいわけではありませんし……ただ、彼は“ノーブル”にはなりたくないだけで、“ノブリス乗り”ではありたいのでは?」
「そうだな。学生より傭兵のほうに乗り気だったのも、それはあるだろう。あの才能を腐らせるのも惜しいしな。責務とは関係ないところで、好き勝手やらせられたら言うことないんだが……」
「錬金科なら、確かに近いことはできるでしょう……わかりました。私のほうでも、彼が過ごしやすいよう環境を整えておきます」
「すまないな」
率直に詫びた。謝罪と感謝の気持ちは本当だった。
ひっそりと、だが確かに息をつく。これで、本当に肩の荷が下りた気がしたのだ。亡き親友の遺児を、どうにか真っ当な世界へと戻す。傭兵などという、未来のない世界にではなく。
その一歩目を、ようやく踏み出せた。学生としてなら――学園の卒業生としてなら、どこへだって行けるだろう――……
と、そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、窺うようにレティシアが訊いてくる。
「……恩に着ていただけるのなら、仲を取り持っていただいても?」
「それは悪いが拒否させていただこう。私も娘に恨まれたくはないのでね……だがまあ、中立は宣言しておく。篭絡したければご自由に」
「……え。い、いいんですか?」
意外そうに聞いてくるレティシアに、肩をすくめることを返答とした。
実際には、どうなのか。篭絡を仕掛けられて、ムジカが絆されるのか、どうか。
もし親友が生きていたら、賭けの対象としては面白かったに違いないが。
(色恋でどうにかなる程度の傷なら、奴もああまで苦しんだりはしなかっただろう)
それは口にしないまま、ラウルは意識を切り替えた。
「まあそれより、もう少し契約の条件につい詰めてておきたい。まず――――……」
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