1-4 本校セイリオスへのご入学、まことにおめでとうございます
「――お久しぶりです、ラウルおじさま。お変わりないようで安心しました」
というのが、ラウルの“ツテ”らしい女性の第一声だった。
セイリオス周辺空域警護隊、その詰め所奥にあった、隊長室。来客も考慮してか、部屋中央には応対用のソファーとテーブルが置かれているが。ラウルの案内でやってきたムジカたちを出迎えてくれたのは、部屋奥の執務机に座る、学生服の女性だった。
特徴的なのは、長く伸ばした金髪と、その整った顔立ちか。美人なのは間違いない。おっとりとした雰囲気の女性だが、藍色の瞳にはどこか油断ならないものを感じる。なんとなく、ムジカは苦手なタイプだった。
そんな相手だが、ラウルと旧知の間柄なのは本当らしい。親しげなその女性の言葉に、彼もまた気さくに返答していた。
「ああ、久しぶりだなレティシア嬢。通信だけではわからなかったが、そちらは随分と変わったな? 見違えたというのはこういうのを言うのだろうな。父君の背中に隠れていたあの時のお子様が、今では随分と綺麗になった」
「あら、口説いていらっしゃいます? おだてても何も出ませんよ?」
「なに、事実を口にしたまでだよ。ただ口説いているとは思われたくないな。この歳で羽目を外して、娘に白い目で見られるのは辛いのでね」
「……一言余計だよ、父さん」
軽口のやり玉に挙げられて、リムがラウルを睨むのだが、まあそれはそれとして。
リムは父を睨むのをやめると、困ったように女性に問いかけた。ただし、外行きの口調でだ。ムジカ、父、そして他人と、リムは相手によって話し方と態度を変える。
「あのー……それで、あなたはどちら様なんでしょうか? 私も彼も、まだ何も話を聞かされていないのですが……」
「あら、そうなんですね。そういえば自己紹介もまだでしたか」
驚いたように口元を手で隠すと、その女性――レティシア?――はすっとその場に立ち上がった。
「では改めて、初めまして。この学園都市、セイリオスの生徒会長を務めております、レティシア・セイリオスと申します。今後とも、よしなに」
正しく貴族らしい仕草で一礼すると、落ち着いた声音で名乗ってくる。
彼女が名乗った姓は、この浮島の名と同じもの。それはつまり、彼女がこの浮島の“管理者”の血族であることを意味する。浮島がこの世に作られたのと同時に生まれた、正真正銘の貴族の血筋だ。
王統が廃れた現代においては、最も高貴な血筋と言ってもいい。
ただし人類が地上にいた頃と違って、現代でいう“貴族”は身分ではなく“役割”の側面が強い。そのため高貴な血筋だからどうこうといったこともほとんどの浮島ではないのだが……
「……今後とも?」
と、ふと聞き咎めてムジカは繰り返した。
今回は、ラウルが知り合いだったから会談をセッティングしてもらえたのだろうが、普通はその辺の傭兵が浮島の管理者と会う機会などまずない。“今後”などという単語を持ち出されて、ムジカは訝しんだ。
そんなこちらを見て、レティシアはその柳眉をひそめたが。
ラウルを見やって、困ったように言う。
「本当に、何もお話をされておりませんので?」
「すまんね、時間がなかったもんで。どうせここで話をするんだからってことで、後回しにさせてもらったよ」
「なるほど……まあ、お願いさせていただいたのは私のほうですし。私から話をするのが筋というものですか」
要は体よくラウルに説明を押し付けられた形だが、レティシアはそれを受け入れたらしい。
まずは席にどうぞ、とレティシアが促すので、ムジカはリムを座らせて、その背後に立った。空いた場所にはラウルが座るが、ソファーは二人が座ればそれで定員オーバーだ。
対面にレティシアも座ると、たおやかに微笑んで話を始めた。
「では、ムジカさん、リムさん。私のほうから、ラウルおじさまとどんな話をさせていただいたのか、お話しさせてもらっても?」
「あ、ああ。それは別に、構いませんが……」
「? なにか、ご懸念が?」
「……いえ、失礼。どうでもいいことだったので」
話の腰を折ったことを詫びておく。気になったのは、名乗った覚えもないのに名を呼ばれたことだ。が、まあ大方、ラウルが同行者のことを教えていたとかその辺りだろう。
気を悪くするかとも思ったのだが、彼女は別に気にもしなかったようだ。笑顔のまま、改めて切り出してくる。
「ではまどろっこしい話をするのもなんなので、率直に。今回、私たちセイリオスは、ラウル傭兵団との雇用関係を締結――ラウルおじさまには傭兵としての仕事の他、本学“戦闘科”の、外部講師になっていただく運びとなりました」
「……はっ?」
「要するに、“セイリオスへようこそ♪”というわけです。新しい仲間を、私たちは歓迎しましょう」
「……はあっ!?」
という声は、ムジカとリムと、その両方があげたものだった。
二人して呆然とラウルを見やる――が、この壮年の大男は、特に表情を変えもしない。
冷たい声音で詰問したのは、リムのほうが先だった。
「父さん。どういうこと」
「いや、どういうこともなにも。そういうことだが」
「私、何も聞いてないんだけど!」
「そりゃ、今したばっかだしな……いや待て。怒るのはわかるが順番に語らせろ」
詰め寄るリムをドウドウといなしながら、ラウルが滔々と語る。
「まず俺たちには金がない。その日暮らしもそろそろ限界な状況で、傭兵団と言いつつ抱えてる戦力は<ナイト>級ノブリスが一機だけ。ついでにその<ナイト>もオンボロで、ガン・ロッドに至ってはさっきぶっ壊したばかりときた。正真正銘、俺たちは崖っぷちなわけだ……ここまではいいな?」
「うん。だからさっき助けたバスからお金もらって、ガン・ロッド買い替えるって話だったんでしょ」
「いや、それがなあ……」
ポリポリと、困ったように頬をかいて。
ラウルはしれっと、とんでもないことを言ってきた。
「助けたバスのやつ、金払いたくねえって逃げ出したみたいでな」
「……え?」
「抱えてた客降ろしたら、そのまま出港したんだとさ」
「……えっ」
「いやあ、金払うの渋ることまでは予想してたんだが、まさか値切るのすっ飛ばして逃げるとはなあ。空賊扱いだの野蛮人だのこれまで散々だったが。今日はとびっきりだな」
「いや、いやいやいや。父さん、ちょっと待って。本当にちょっと待って……え? じゃあ………お金は?」
混乱した顔でリムが、それでもすがるように父に訊くが。
答えはこれだった。
「もらえてるわけないだろ。会う前に逃げられたんだから」
「はー!?」
リムが思わず悲鳴を上げる。そのまま父親の首でも絞めかねない勢いだが。
というか実際、飛びかかって首を絞めようとはしていた。ラウルにはあっさりかわされたが。
ついでに娘をすっぽり羽交い絞めにしながらラウルは言う。
「ま、そういうわけでだ。藁にもすがる思いで旧知に相談してみたら、学園講師っていう破格のオファーをいただいたってわけだ。居住権も手に入って報酬も出る。傭兵よりかはマシな稼業ってことだな」
そこで話を振るように、ラウルがレティシアを見やる。
彼女はラウルとリムのごたごたを楽しんで見ていたようだが。今度は自分の番だと気づいて、微笑んでみせた。
「もちろん、善意でお願いしたわけではありません。身内や親戚というわけでもありませんから、立場上、完全無欠に信用できるわけでもありませんし。ですので……おじ様曰く破格のオファーの条件として、人質でも取らせていただこうかな、と」
「……人質?」
不穏な言葉に、急に周囲の気温が下がった。
視線の先、この島を支配する美しい女が微笑んでいる。おっとりと穏やかな笑みだが……それが恐ろしいものではないと、誰が決めた?
ええ、とその女は頷くと、その薄紅色の唇を静かに滑らすようにして囁いた。
「――
「……は?」
「え?」
言われ、ムジカはきょとんとリムを見やった。リムも同じようにきょとんとまばたきしている。
青天の霹靂とはこのことだろう。真ん丸な目が更に真ん丸だ。
本気でわけわからずムジカは訊いた。
「いまいち、よくわからね――……いや、わからないんですが……」
「話しにくければ、崩した口調で構いませんよ?」
「それじゃあ失礼するけど。なんでそんな……人質? 人質なのか? 学生やらせるのが?」
相変わらず目の前の女性は微笑んでいるままだが、何を考えているのかさっぱりわからない。
いや、そうでもないか? そう思えたのは、意外に筋が通ってそうなことを彼女が言ったからだ。
「ええ。だって、ラウルおじ様ほどのノーブルですもの。私、おじさまの実力は存じておりますの。であれば片手間に仕事をしていただくよりは、身を入れてしっかり働いていただいたほうがお得でしょう?」
「……それで、子供を学生にする、と?」
「ええ。おじ様からしても、子供たちには勉強させられて、自分もしっかりお給金を頂ける。空の旅はそろそろ辛いとお聞きしましたので、ならばと提案させていただいた次第です」
「そして乗らせていただいた次第というわけだ」
胸を張って相乗りするラウルに、思わずムジカは白い目を向ける。
ラウルの手の中のリムは変わらずぽかーんとしたままだが、自分も気持ちは似たようなものかもしれない。理解が追いつかない。
とまれ、ムジカは一度だけ呼吸を止めた。冷静さを取り戻す必要がある。考えなければならないのは、この取引が有益かどうかだ。
手に入るものは何か――浮島での安定した生活、ちょっとした宮仕え、そしてリムの学生生活。
失うものは何か――空の上での不安定な生活、食にすら怯える辛い日々、そして時々食いっぱぐれる自由業。
(……悪い話じゃなくねえか?)
むしろいい。都合がよすぎるくらい、いい。
なにより、リムだ。この幼い少女に健全な日常を送らせてやることができる。
子供の頃から血なまぐさい世界に身を置かせてしまったが、本来なら蝶よ花よと育つべき少女だった。その進路をわずかなりとも戻してやることができるなら――
「――いいぜ、乗った」
気づけば、笑い出していた。
傭兵を初めて早三年。やりがいのある仕事などそうはなかったし、やる価値があると思えた仕事もほとんどなかった。だが、今は心の底からやる気を感じる。
意気揚々とムジカは訊いた――
「ラウルは傭兵ついでに講師、んでもってリムは学生だろ? んじゃ後は俺だけか。ラウル傭兵団との契約ってんなら、俺も傭兵やりゃいいんだろ? 条件を詰めよう。<ナイト>は支給してくれるのか?」
が。
「…………」
「…………」
「……?」
なにやら奇妙な沈黙に、訝しんでラウルとレティシアを見やる。二人の顔にはこう書いてある――何言ってんだ?
やがて、気づいたのはラウルが先だった。
「ああ、わかった。お前、勘違いしてんな?」
「……あん?」
「レティシア嬢が言ったのは、“俺んとこのガキを学生にする”ってことだぞ?」
「? だから、リムが学生やるんだろ?」
「
「……は?」
一瞬、何を言ってるのか、本当に全く欠片も理解できなかったのだが。
理解しかけたその瞬間に、ムジカはその事実を拒絶した。その発想はなかった――し、それだけはない。絶対に。
だからこそ、すがるようにムジカはレティシアを見やったのだが。
「はい♪ そういうわけで……
「…………」
「――入学式はまだ先ですので、少々早い挨拶ですけどね?」
彼女の満面の笑みに言い返せたのは、これだけだった。
「――はぁっ!?」
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