序盤で破滅するモブ悪役に転生した俺が、最強の悪魔と共に黒幕ルートを進行した場合

夏月涼

第1話 牢獄と悪魔

 たとえば、物語の悪役に生まれ変わったとして。

 自分だけは物語の先を知っていて、その世界のあらゆる知識を持っているとして。


 果たしてその人生は順風満帆に運ぶのだろうか。


 悪役だったはずが善行を積み重ねて周囲の人間から見直され、見目麗しいヒロインを苦境から華麗に助けたりして、いずれ訪れる破滅さえも容易く回避する。


 そんなハッピーエンドが待っているのだろうか。


 確かにそんな結末も有り得たのかもしれない。


 ――今、よりにもよってこんな場面で記憶を取り戻しさえしなければ。


「待て、待ってくれ……こんなのアリかよ」


 鉄格子越しに僅かに降り注ぐ月の光を呆然と眺めながら、降って湧いたように溢れた記憶を必死に受け止める。


 きっかけが何なのかは分からない。

 けど、たった今俺は気付いてしまった。


 ――よく知っているファンタジー小説の世界へと転生している。


 それも、序盤で破滅するモブの悪役として。


 レルム・ベルネス。それが今の俺の名前。


 有力貴族の末子、おまけに妾の子として生まれ、以来周囲の人間から虐げられてきた哀れな存在だ。十五歳のときに悪魔と同じ闇属性の魔力が発覚して捕らえられ、暴走の果てに悪魔の手先として主人公に断罪される運命にある。


 


 いや、本当は良くはないんだが、今の状況に比べればほんの些細な出来事だと思う。


 現状を再認識するように辺りを見渡す。


 石造りの無機質な部屋は寂しいもので、正面に凶悪な罪人を閉じ込めるための鉄格子だけが存在していた。


 鉄格子とか現実で初めて見たな、とか呑気なことを考えてる場合じゃない。


 この場合の凶悪な罪人とは他でもない――俺のことなんだから。


 手足に繋がれている枷の冷たい感触が、無情にもこれが現実であることを伝えてくる。


 今の俺は満足に身動きも取れやしない。


 つまるところ、だ。


 ……転生後の俺の人生は、どうやら最初から詰んでいるらしい。


「ふざけんなぁぁぁぁぁ!!!」


 思わず叫びたくなった俺を誰が責められるだろうか。


 記憶を取り戻したら既に破滅してるとか、いくら何でも酷すぎるだろ……!?


 これがまだ腹違いの兄に暴力を受けている段階なら、悪役という役割から抜け出せたかもしれない。


 闇属性の魔力が発覚する前なら、言い訳のしようがあったかもしれない。


 牢獄に捕らえられる前なら、何とか逃げ出すこともできたかもしれない。


 でも、すべては手遅れだ。


 俺には汚名を払拭する機会も、原作みらいの知識というアドバンテージを活かす余地も残されていない。


 俺が記憶を取り戻した時点で、レルム・ベルネスという悪役の未来はどうしようもないほど決まりきってしまっていた。


 悪役は悪役らしく、主人公の手によって裁かれるのを待つしかない。


 物語のような逆転劇は、やってこない。


 ――本当に?


 本当に、そうだろうか。


 何かないか、何でもいい。


「こんなところで訳も分からず死ぬのなんて、俺は御免だ……!」


 こんなどうしようもない状況で、俺が生き残れる道。


 そんな都合の良い未来ルートがどこかにないか。


 脳を焼き尽くす勢いで思考を回転させる。

 自分の命が懸かってるんだ。必死にもなる。


 そして、ふと気付く。


「……あるじゃないか」


 たったひとつ。


 成功するか分からない、いや、むしろ失敗する確率の方が高い道が俺には残されている。


 けど、何もしなければどっちにしろこのまま死ぬことになるんだ。


 賭けでも何でもいい。行動を起こさなければならない。


「召喚魔法」


 俺の希望となり得る魔法の名前を呼ぶ。


 召喚魔法は現状レルムが唯一使うことのできる魔法であり、この魔法は呼び出した対象と契約を結ぶことで初めて効力を発揮する。


 そして、原作ではレルムはこの魔法によってとある悪魔を呼び出してしまうのだ。


 結果、その悪魔に巧妙に騙され、暴走へと誘導されてしまう。あとは暴走して自我を失ったレルムを主人公が討ち取るというわけだ。


 そんな筋書きが分かっていても、俺はその悪魔を呼び出さなければならない。


「頼む、こればかりは失敗してくれるなよ……!」


 肉体に残っている魔法の感覚を頼りに、召喚魔法を実行する。


 すると、体の中から何かがゴッソリと失われるような感覚と共に、紫色に輝く魔法陣が出現した。


 薄暗い独房の中に妖しい輝きが満ちる。


 やがてゆっくりと光が収まると、そこにはいつの間にかひとりの少女が立っていた。


 美しい白銀の長髪に血を思わせる真紅の瞳、スラリと伸びた肢体は造形物じみた奇跡的なバランスで成り立っている。


 頭部から伸びる二本の捻れた角が、彼女が人間ではないことを証明していた。


 酷薄な瞳が、値踏みするように俺の姿を真っ直ぐ捉えている。


 ああ、間違いない。


 傲岸不遜にして最強の悪魔、エルメラだ。


 俺はこれからエルメラに騙されるのではなく、彼女を味方につけなければならない。


 悪魔であるエルメラを、人間である俺が。


 それが俺が生き残れる唯一の道だ。


 頼れるのは原作の知識と口先三寸のみ。


 ……さあ、やってやろうじゃないか。


「私を呼び出したのはお前か、人間?」

「ああ、そうだ」

「それで、いったい何の用だ?」


 原作にもあったこの場面における、今の俺とレルムの決定的な違い。


 それはエルメラという悪魔についての知識があるかどうか、その一点に尽きる。


 逆に言えば、俺の手札にはそのカードしかないとも言える。


 だから、余計な駆け引きはなしだ。


「お前と取引がしたい」

「取引、か。ひとまずは聞いてやろう、言ってみろ」

「俺を助けてくれ」


 エルメラの視線が、おもむろに俺の手足へと向けられる。


「なるほど。……で、私がお前を助けると、本気で信じているのか?」


 この返答は想像通りだ。


 この世界において悪魔は人類の敵であり、その逆もまた然り。まあエルメラの場合、相手が同族でも簡単に助けたりはしないだろうけど。


 絶対的強者故の個人主義。

 それがエルメラの本質だ。


 だから、俺は唯一の手札を晒す。


「俺が差し出せる対価はひとつだけ。――エルメラ、お前のの解放だ」


 ずっと涼しい顔をしていたエルメラが、初めてその表情を怪訝に歪ませる。


 そう、今俺の目の前にいるエルメラは厳密に言えば本物ではない。


 彼女の本体は今、魔界と呼ばれる別の世界に封印されている。


 原作では最強の悪魔として存在が語られるのみで、物語が終わってもエルメラが解放されるようなことはなかった。


 つまり、この先エルメラが自力で封印を解くことも、他の誰かが彼女を解放することも有り得ない。


 なら、『解放』というカードは交渉の材料としては有効なはずだ。


「お前が私を解放するだと? 今、無様にもこの場に繋ぎ止められているお前が、どうやって私の元までたどり着く?」

「ああ、そうだな。その通りだ。だから、まずお前が俺を助けてくれ」


 正直、自分でもめちゃくちゃなことを言っていると思う。だが、俺に残された手段なんてこのくらいしかない。


 エルメラが今の俺に利用価値がないと判断すれば、俺の命運はここで終わり。


 ……嫌になるくらい分の悪い賭けだ。


 祈るような気持ちでエルメラの返答を待つ。


 すると、静寂を裂くようにして嘲笑が鳴り響いた。


「ふっ、ははははは!!」


 可笑しくて仕方がないとでも言いたげに、エルメラは腹を抱える。


 これは……どっちなんだ。


 成功か失敗か。


 エルメラはひとしきり笑い終えると、表情の無い顔で俺を見据えた。


「どこで私のことを知ったのかは知らんが……お前、私を解放するという行為の意味を理解しているのか?」


 つまり、覚悟を問われていた。


 最強の悪魔を解放し、人類を敵に回す覚悟があるのかと。


 だけど、そんなものは今更な話だ。


「生憎と、見ての通りもう既に同族からは嫌われ者あくやく扱いでな。覚悟もクソもあったもんじゃない、俺はやるしかないんだ」


 俺の言葉を聞いた悪魔は、悪意に満ちた艶やかな笑みを浮かべる。


「いいだろう、合格だ。退屈しのぎにはちょうどいい」


 エルメラが軽く指を鳴らすと、カチャリという音と共に俺を縛っていた枷が独りでに外れた。


「私を失望させてくれるなよ、人間?」

「ああ、精々楽しませてやるよ、悪魔」


 ……どうやら、最悪の終わりから最低のスタートくらいには持ち直せたらしい。

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