第5話 Remind
「山火事なんて物騒ね」
翌朝、ホテルの従業員が話をしているのを聞いた。御代志町の山が燃えている。
原因不明であり、現在消防隊が鎮火に当たっている。小さな町じゃなくとも大きな事件として取り上げられるだろう。ばあさんが暮していた小屋が全焼。跡形もなくなり、ニーナが暮していた痕跡も炎の中で男たちが放火した証拠はない。
「ニーナ、これ、お前にやるよ」
「……ぁ」
鞄から取り出した帽子。マリンキャップだと知り合いが教えてくれたが、生憎と俺は帽子の種類は知らない。
ふんわりとした頭に前面にあるツバの広い帽子だ。ニーナにちょうどいいと被せる。ばあさんの遺品整理の際に鞄に紛れ込んでいたのだろう。俺の気づかないうちに鞄の中に入っていた。俺は使わないからニーナに譲った。
ニーナは「ありがとう」と猫を通して感謝を言う。帽子をぎゅっと握り嬉しそうに口角を上げた。その様子だけで、嫌がっているわけじゃないのだと分かる。もしかしたら、もっと格好いい帽子が良かったかもしれないと思ったが、杞憂に終えた。
それだけで無感情と言うわけではない。感情があるが、言葉がない所為で冷たく感じてしまうのだと知る。
良い子なのだろう。その境遇を理解できない所為で俺はこの子を放置して、地元に戻る。血も涙もないと糾弾されるのだろうか。
猫を鞄に押し込んでホテルを出る。
文句を垂れる猫を無視して、人気が無いところに出て猫をニーナに渡す。
「貴様! その中、臭いぞ!」
「文句ばっかり言うとホットキャットにするぞ!」
「動物虐待で訴えてやる!」
ぎゃいぎゃいと言い合っているとニーナはハッとした様子で猫を肩に乗せて、俺の手を掴んだ。何事かと驚愕しているとニーナは周囲を見回して、駆け出した。
「ニーナ!」
猫もどうしてニーナが走り出しているのか分からないようで肩にしがみついているが、激しく揺れて落っこちそうなほどに振り回されている。
住宅街に入り、入り組んだ道を選ぶニーナ。まるで何かに追われているような素振りをしている。
ふいに振り返ると、その後から見るからに怪しい黒い車が遠くから迫って来ていた。田舎は広々とした道が多いため、車から逃れるなんてことは不可能に近いはずだ。子どもの足でどれだけ走ってもすぐに追いつかれる。
「……くそッ」
俺は、ニーナを抱えた。「ぁ……」と声を漏らしたニーナを余所に角を曲がって勢いよく地面を蹴って駆け出すと、カーブミラーから見えた車の速度も心なしか速まった気がした。
ニーナが頼れるところは、どこにもないだろう。もし頼れるところがあるのなら、小屋に留まっているわけがない。ばあさんがいなくなった日にその場所に行ってもおかしくはないのだ。何より猫がニーナを連れて行くはずだ。
「なにをしている。ニンゲン。ニーナを置いていくのだろう? ほら、行け。行ってしまえ。そして、己が罪悪感に晒されて生涯を終えると良い」
「うるせえな!」
神経を逆撫でするようなことばかり言う猫を一蹴して思考を巡らせる。
人間の行動には必ず理由がある。その理由は、自分でも分からないが、その行動の終着点が結果で答えともいえるだろう。その行動はどれだけ無意識でも、無意識は答えへと導いている。
「おい、猫」
「なんだ」
「警察はダメだって?」
「ああ、ダメだ。奴らの手が伸びている」
「どこなら確実だ」
「そうだな。そこを右だ」
土地勘が無い俺では、すぐに追いつかれてしまう。猫ならば御代志町を練り歩いているはずだ。言われるままに俺は足を進めた。
車が着実に俺たちに近づいている。何かに追われるなんて経験はないわけではない。喧嘩で逃げ隠れしている際に追われたことがあるが、そんな鬼ごっことはわけが違うのだと不思議と理解できた。これは、捕まったら後悔する。
「そこだ! そこの建物に入るのだ!」
そう言われて見えたのは、『ヴェルギンロック』と看板が立てられた喫茶店だった。
俺はなりふり構わず、喫茶店に飛び込むように入店する。扉の傍にぶら下がるベルが激しく音を立てた所為か、店主は不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。
褐色肌でスキンヘッドの店主。その双眸はサングラスで隠されている。昔の漫画にそんな人物がいたような気がする。息を荒げて肩を上下させる。ニーナを床に下ろすと、ニーナの肩にぶら下がっていた猫が、自身の身体で扉を閉めて、車をやり過ごした。
「ふむっ、行ったようだな。だが、安心は出来んぞ」
呼吸を整えている俺を余所に猫は周囲を見回す。
「おい、ニンゲン。此処に
猫がカウンターに向かい言葉を話す。しゃべる猫がいたら店主だって驚愕するだろうと慌てて顔を上げると店主は「まだ戻っていない」と不愛想に言う。猫相手に驚いている様子もない。
「あ、あの」
「客なら注文を。そうでないなら、お引き取り願う」
接客態度で言えば、愛想もないし、冷たいのだが、言っていることは間違いではない。俺は店の外をちらりと見る。車がまだうろついている。
この店に入って来るのも時間の問題だ。ニーナを連れて奥に行く。
「その糸垂って人、いつ頃戻って来る?」
「……糸垂の客なら、二階に行け」
「二階?」
店主は視線だけで店の奥を示した。カウンター向こう側に階段がある。
猫が階段の方に向いて三段上がり、こちらを見る「ニンゲン、こっちだ」と我が物顔で階段を駆け上がる。ニーナを連れて俺は二階に移動すると同時に入店を知らせるベルが鳴る。その直後、俺の背筋がゾワリと悪寒を感じる。嫌な雰囲気、嫌な気配、殺気。感じるはずのない気配を感じている。
「あんた、此処に白い髪のガキを連れた男が来ただろ。どこにいる?」
昨日小屋に来た野太い声の男だ。
「知らねえな」
「しらばっくれると、ただじゃ済まされねえぞ!」
「知らねえって言ってんだよ。客じゃねえなら出ていきな」
「てめえ!!」
「やめとけ、伊吹」
もう一つ、男の声。冷静で冷たい声色を持つ男。小屋の板やランタンの灯を見て俺たちが近くにいる事を察した男。その男の声は、余りにも冷たく温度を感じさせない。伊吹と呼ばれた野太い声の男は、釈然としない様子で言葉を止めた。
「このエリアは、管轄外だ。俺たちが下手に出ていい場所じゃねえよ」
「し、しかし……」
「サツはこっちに加担してる。身一つで町中をうろつけば、親切な誰かが連れて来るだろうぜ」
それまでのんびり待っているとでも言いたげに告げられた声は、こちらに向けられているような気がした。ただの錯覚だとしても、俺は息を潜めて男たちが立ち去るのをただ待つしかなかった。
ベルの音が響いて、やっと俺は呼吸が出来た。俺は追われていないはずなのに、俺は無関係のはずなのに、どうして俺はこんなにも緊張していたのか。
「ニンゲン、こっちだ」
猫の声に我に返る。俺の心はあの冷たい冷淡な声で凍ってしまっている。ニーナが猫を追いかけるのを慌てて追いかける。
二階は、宿泊施設になっていたのか、『一泊千円』と色褪せた貼り紙がセロテープで貼られている。
ほとんどが施錠がされて、誰もいない。けれど、一室だけ明らかに人が住み着いている部屋があり、扉が開け放たれていた。
扉には『ようこそ! 聖が導く若者たち! ぜひ、我が家に入って寛いでいたまえ!』と貼り紙がされている。その部屋の主が俺たちが来ることを知っていたかのように貼られている。
猫は「書かれているのならば、良いのだろう」と呑気に部屋に入る。六畳半の部屋には敷布団が畳まれて隅に置かれている。
薄そうな壁には貼り紙には『清潔に部屋を使用するように』と太文字で注意書きがされている。色褪せているため、かなり前に貼られたものだろう。
窓に面して置かれた書き物机の上には、日記帳が開かれたまま置かれている。つい覗いてみると半年前にばあさんが来ていることが記されていた。
『聖灯が来た。久しぶりに会ったようだが、記憶の中の彼女よりも、いく分か頬がこけている。ただならぬ様子だが、本人は平然としていた。自前の図太い神経で乗り切っているのだろうが、身体がそれに順応していない。なにやら、警察とひと悶着あったようだ。しかし、その件は町の中で広まっていない。聖に会うまで私も知らなかったほどだ。つまり、それほど、かの者たちの影響力が日々広まっているということだろう。まったくもって苦労している。聖は剣として立ち向かうことを決めたようだが、生憎とその作戦では死去することを告げたが、呑気に笑っていた。盾を護るためか、はたまた別のことか。危険を承知で挑むのは、勇敢ではなく無謀だが、私が知るところではない。それにしてもまさか、あの聖から頼み事をされるとは思わなかった。「あの子たちに道を示して欲しい」と言っていたが、あの子たちとはいったい誰のことだろう。口数が多く余計なことしか言わない癖に、重要なことは何一つとして言わない。もっともそれが彼女らしいと言えばらしいのか。――聖灯、私の数少ない友人。安らかに眠ると良い』
部屋の主が書き記す日記にばあさんの最後と思しき文字が並んでいる。
半年前、ばあさんは此処に来た。そして、この部屋の主にニーナを託したのだろうか。
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