第21話 知らない道も2人なら


 ケーキを食べ終わって司が淹れた緑茶で一服すると、南央主導で家の中で全員で東真お手製のすごろくを楽しんだ。司と西雅が帰宅して遊び疲れた南央が眠ってしまうと、東真と文哉は窓の外を眺めて緑茶を啜った。


 窓の外に見える夕焼け。いつもはあまりゆっくり眺める時間もないそれをぼんやりと眺めながら、東真は小さくため息を吐いた。それを耳に留めた文哉は首を傾げた。



「どうした?」


「あ、すみません」


「気にすんな。何か悩みがあるなら話してみな。ちょっと長く生きているだけだけどさ、何か気が付くことができるかもしれないし」



 文哉の言葉に、東真は少し逡巡した。



「こんなこと、相談して良いのか分からないんですけど、その、僕は来年から就職することになっていて。近所にあるバイト先の先輩が務めている工場で働かせてもらうことになったんです。南央の進学の費用を貯めたり生活費を賄うためには働かなくちゃいけないと頭では分かっていても、やっぱり勉強も好きで」



 東真は言葉を選ぶように口を閉じる。隣で話を聞いていた文哉は、コップに視線を落とした。



「本当は、大学に行きたい気持ちが全くないわけではないんです。この間試験を受けたらその気持ちを再認識してしまって。本当にこれで良いのかって考えるようになったんです。無駄だと分かっているのに諦められない自分が、嫌になります」



 自嘲するように笑って俯いた東真は、緑茶を煽るように流し込んだ。その様子をジッと見ていた文哉は、コップを背後のローテーブルに置いて腕を組んだ。



「東真くん、そう思うなら大学に行って良いと思うぞ」



 文哉の言葉に東真はパッと顔を上げた。信じられないと書いてあるような不安に歪んだ表情に、文哉は東真の手を握った。



「学びたいなら大学に行った方が後悔はしない。社会人になって働きながら大学に行くなんて正直無理があるし、周りとの年齢差も気になるだろうからな」


「でも、お金がないですよ」


「南央ちゃんのために貯めていた金を自分のために使えば良い」


「そんなっ!」


「んんっ……」



 東真の口からは思わず大声が出た。けれど南央が身じろぐと慌てて口を手で押さえて文哉を訝し気に見つめた。そしてフッと瞳を曇らせるとぎこちなく笑った。



「僕は本当は、働きたくないだけですよ。今まで味わえなかった青春を味わいたいだけです。もっと他の子たちみたいに外で遊んだり、カラオケやショッピングを楽しんだりしたいだけです。そんな理由で社会に出るのを遅らせたら、ダメですよ」


「何がダメなんだ?」



 文哉は東真の震えた言葉を真正面から切り捨てた。思わぬことに言葉を失った東真の瞳から一筋の涙が零れた。文哉はそれを親指で拭うと、東真の手からコップを抜き取って両手を自分の両手で包み込んだ。



「ずっと頑張ってきたのに、東真くんだけが楽しむ権利がないなんて。そんなことがあって良いわけないだろ。それだって大学進学を決める立派な理由だ」



 口をパクパクさせる東真に、文哉はニッと笑いかけた。



「南央ちゃんが大学に入学するまでにまだ10年以上あるんだぞ? 東真くんが大学を卒業してから就職したって十分その分のお金を稼ぐことはできるはずだ」


「でも、でも……」


「奨学金も貰えるものがあるかもしれないだろ? 大学によっては返済不要のものもあるしな。それにこれはうちの会社の場合だけど、高卒より大卒の方が給料は良い」



 文哉の話を聞くうちに、東真の目が見開かれた。



「それに南央ちゃんが独り立ちしたあと、2人がそれぞれの道に進むことを考えても大学は行っておいた方が一般的には良い。一般的に良いってことは社会的な普通だから、やりたいことをやるためのハードルが1つ下がる。面倒でも難しくても、そのハードルを下げるための努力はしておいた方が最終的には良いだろうな」



 南央が独り立ちしたその後の話。東真は自分の手を包む文哉の手に、ぽたぽたと涙を零した。文哉は手を引いて、東真の身体ごと引き寄せた。文哉の腕に東真の身体がすっぽりと収まると、東真は文哉にしがみついた。


 東真の背中に回った文哉の手が、ポンポンと優しく宥める。出会ってからもう何度こうしたことか。



「文哉さん」


「ん?」


「僕、頑張っても良いでしょうか」


「東真くんはもう頑張ってるよ。その方向性と考え方を少し変えてみるだけ。分からないことは俺も一緒に考えるから。一緒に東真くんも南央ちゃんも幸せになれる道を探そうな」


「はい」



 東真はコクリと頷くと、文哉の胸に擦り寄った。文哉は一瞬動きを止めたけれど、すぐに小さく微笑んでその少し傷んだ髪を撫でた。安心したように緩んだ穏やかな表情。東真はしばらく目を瞬かせると、そのうちに夢の世界へ旅立っていった。



「東真くん?」



 文哉は戸惑った声で脱力しきった東真の顔を覗いた。いつもの優しい頼りがいのある表情ではない、あどけない表情で眠る東真の頬をそっと撫でると南央の隣に横にならせた。


 押入れから取り出したブランケットを東真にかけて、その端を自分の身体にもかける。同じ寝顔で並んでいる東真と南央に頬を緩めた文哉は、スマホを取り出すと写真に収めた。そしてその写真とともにメッセージを送信した。


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