第18話 司の話


 司の涙は止まらない。4人は静かにそれを見守りながら、司が泣き止むのを待った。



「す、すみません。あの、えっと、すみません」



 司はそれ以外の言葉が出ない。その背中を西雅が擦る。その動きに合わせるように司は首を縦に振る。大丈夫。ありがとう。無言の会話が聞こえるようだった。



「私は、マナーを考えるばかりに表情を動かすことが苦手でした。ずっと笑顔で、嫌なことがあっても大笑いしたくても、表情が動かないんです」



 司の告白を、みんな黙って聞く。南央も司をジッと見つめて、その目を潤ませながら話を聞いていた。



「ずっと諦めていました。でも社会人になって今の会社に入社して、教育係になった主任が表情をコロコロ変えているのを間近で見ていたら、凄く羨ましくなったんです」


「俺?」



 文哉は自分のキョトンとした顔を指差したまま首を傾げた。けれど東真と南央はうんうんと頷いた。西雅ですら納得した様子でああ、と声を漏らした。



「どうしたら良いのか分からなくて、仕事を学びながら主任の行動とか表情を真似しようとしたんです」


「そうだったの?」


「はい。結果は上手く行きませんでしたけど」



 司は苦笑いを浮かべる。文哉はふむ、と呟きながら腕を組む。南央は文哉の真似をして腕を組んだ。ムッと突き出された唇も文哉の真似をしていることは分かるが、どうにも不自然で違和感がある。



「南央ちゃんの文哉さんの真似は可愛いっすけど、なんかものまね感が強いっすね」



 西雅の素直な感想に南央は唇を突き出したままこてりと倒れて文哉に凭れかかった。それを抱き留めた文哉はその頬をフニフニと摘まんで、お互いに満足気な笑みを浮かべた。



「私もまさにこんな感じでしたよ。だから、真似することは諦めたんです」



 司は2人をいつもの微笑みを浮かべながら見つめると、そう話を続けた。



「だけど羨ましさが消えることはなくて、研究は続けていました。そんなとき、主任が休日に食事に誘ってくださったんです。それが嬉しくて、それが何度か続いたとき、俺から食事に誘いました。もう表情のことより、主任のことが知りたかったからです」



 文哉は司の話を真剣な面持ちで聞く。けれどその耳は赤く染まっていた。ちらりとそれを見やった東真は小さく微笑んだ。



「主任のことを知るたびに、主任のような人になりたいと強く思いました。でもその内に主任が忙しいと料理を疎かにしがちだと教えてくださったんです」


「幻滅した?」


「いえ、主任にも苦手なことがあることを教えてもらって、自分の苦手を受け入れることができました。どれだけ羨ましいほど素敵な人でも、自覚している欠点があることにホッとしたんです」



 自嘲気味に聞いた文哉だったが、司はその言葉を自嘲ごと首を横に振って否定した。文哉は目を見開いて驚いた様子を見せたが、すぐにジュースを煽って誤魔化した。



「最近、忙しいのに主任の顔色が良くて、苦手を克服したのかと不思議だったんです。でも先週南央ちゃんと会って真相を聞いて、よりダメ人間になっていたことを知ったら呆れと共に少し安心もしました」


「酷いな」


「はい、酷いです。でも、こんな気持ちを持つことも初めてだったので、自分の感情が増えていることが嬉しかったです」


「成長したなら良かった、ってなるかーい。司って、俺のこと尊敬していそうでしてないよな?」


「していますよ。尊敬していて、その分近くにいたいと思っています」


「お、おう、そうか」



 司は真っ直ぐな目をして無邪気に笑う。文哉はそれに何か言い返してやろうと思ったが、何も言えなくなった。


 司自身が気が付いていないであろう、その言葉の裏にある感情。それに名前を付けて良いのは司だけ。誰かが全てを知りもしないで名前を与えることはしてはいけない。東真と西雅は何も言わず、ただ司を見守ることにした。



「つかさくんは文ちゃんが大好きなんだね」



 南央の言葉に、東真と西雅に緊張が走る。司も目を見開くと、言葉の意味を咀嚼しようと唇をキュッと引き締めた。



「あたしも文ちゃん大好きだよ! 優しくて、面白いもん!」



 すぐに続けられた言葉に、司の思考は遮られた。続けられた言葉の方を咀嚼し始めた司は、それほど待たずに首を縦に振った。



「私も主任の優しさや温かさが好きですよ。一緒にいるとそれが移ってくる気がするくらい温かくて、隣を離れたくなくなります。それくらい尊敬しているんです」



 司の言葉に東真と西雅は一瞬だけガクッと肩を落とした。けれどそれが司が導いた答えだ。文哉はニッと右の口角を持ち上げると、司の頭をわしゃわしゃと撫で回した。



「ありがとな。俺も司のそういう正直なところを尊敬してるよ」


「ありがとうございます」



 眉を下げて笑う司。そこには表情に悩む男の姿はかけらも見つけられなかった。南央は文哉と司の顔を交互に見ると、静かに箸を持って取り皿に司が取り分けたカプレーゼを口にした。



「美味しい!」



 南央の大きな声に全員の視線が南央に集まる。それを一切気にせずカプレーゼに夢中になっている南央に、全員の意識が食事に戻る。



「東真くん、せっかくの誕生日を湿っぽくしてすみません」


「いえ、良い話を聞くことができて嬉しかったです。良い誕生日ですよ」



 東真の聖母のような笑みに、司はホッと息を吐いた。それから東真が箸を持つと、司も箸を持って食事の続きを楽しみ始めた。


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