第16話 自分の頑張り
司は包丁を持ち直して作業を継続しながら口を開いた。
「僕の父は書道を嗜んでいてね。所作のとても美しい人でした。母もマナー講師をしていたので、マナーや所作にとても厳しかったんです。幼少期から両親の動きを見たり躾けられたりしてきたので、自然と身に着いたんです」
「なるほど。家柄、ですか」
西雅の表情が曇る。その表情をちらりと見やった司の表情も心なしか暗く沈んだ。
「一言で言ってしまえばそうです。僕は両親とも敬語で話しますから、誰と話すときもこの癖が抜けません。社会人になるまではそれを気にして、わざと口調を崩したこともありました。それを両親に知られて鞭を打たれたので、それ以来はやめましたけどね」
「それって」
「傍から見れば、虐待に近い躾けですね」
弾かれたように顔を上げた西雅に、司は引き攣った笑みを浮かべた。その表情に西雅は眉を下げる。まるで自分が同じことをされたかのような表情に、司は目を見開いたがすぐにいつもの顔に戻った。
「ありがとうございます。西雅くんは優しいですね」
「司さんは、頑張ってきたんすね。たくさん悩んで、変わろうとしたのに許されなくて、それって辛いと思うっすから」
ずびっと鼻を鳴らして涙を流す西雅に、司は瞳を潤ませた。
「泣かなくて大丈夫ですよ。もうなんともありませんし。今は敬語に悩まないことに感謝すらしていますから」
「でも、でもっ!」
腕に顔を伏せて泣く西雅の頭を、文哉が後ろから雑に撫でた。司も1度手を洗ってキッチンから出てくると、西雅を抱き寄せた。
「西雅くんだって頑張ってるからな。司の気持ちが分かるんだろ」
「僕より西雅くんの方が頑張っていますよ。僕は学費のことを悩んだりお母さんのために家事を頑張ろうとしたり。僕よりよっぽど頑張っていますから」
「それは違うっす!」
2人に宥められていた西雅がパッと顔を上げた。その顔は涙でぐちゃぐちゃだが、目には強い思いが宿って真っ直ぐ司を捉えていた。
「オレもそりゃ頑張ってきたっすよ? スポーツ特待狙ったり、料理はできない分掃除はやったり。でも、それは司さんが頑張ってきたことと比べるものじゃないっす。みんな、頑張ってるんすよ。って、母さんの受け売りっすけど」
視線を逸らして頬を掻く西雅の言葉に、司は言葉に詰まった。頑張りも幸せも、比べることはできない。人それぞれ、他人には分からない悩みを持って、努力を重ねている。それは他人に侮辱できるものでも、自身で蔑む必要があるものでもない。
「そうだな。俺だって頑張ってるぞ? 最近は積極的に家事に参加してるからな」
空気を塗り替えるように明るく言った文哉に、司はいつもの微笑みを零した。
「手伝うではなくて参加と言える主任は頑張っていると思いますよ」
「あははっ、ありがとうな。でもまあ、世話になっている身とはいえ一緒に暮らしてる状態なら、俺だってやるべきことをやらないとな」
文哉はそう言いながら、両腕に司と西雅を抱き込んだ。2人とも目を見開いて一瞬だけ身体を固くした。けれど西雅が文哉の身体に腕を回すと、それに倣うように司もおずおずと腕を回した。
「みんな頑張ってて、それを頑張ってるって認め合えたら。きっと気分が良いことだな」
「ですね」
「はい」
文哉の言葉に司も西雅も少し晴れた表情で笑った。それを見て、文哉は満足げに2人を解放した。そして2人の頭をわしゃわしゃと犬でも撫でるように撫で回す。微笑む司と目を合わせた西雅は幼く笑った。
「さあさあ、時間無いからね。準備するよ」
文哉が手をパンパンと叩いて空気を切り替える。湿っぽい空気が振り払われると、各々準備に取り掛かる。西雅は濡れた顔を改めてグイッと拭って文哉と共に部屋の飾り付けを、司は料理を再開した。
それぞれがテキパキ作業を開始すると、あっという間に時間は過ぎる。そして準備が終わりに向かったとき、外から元気いっぱいの南央の声が響いてきた。
「とーちゃん、明日はオムライスだからね? 約束だよね?」
「分かった分かった。チーズもたっぷりかけようね」
「うん! あたしとーちゃんのチーズのオムライス大好き!」
「ふふっ、知ってるよ。後は梅干しも好きだよね?」
「大好き! ばぁばのやつが1番だけどね?」
「知ってる知ってる」
2人のほのぼのとした会話に、会話を聞いていた全員の頬が緩む。
「司、料理は?」
「完璧です」
「飾りつけも完璧。プレゼントは俺の部屋。よし、オッケーだな」
「お疲れ様っす!」
全員でお互いの状況を確認して、不足がないことに安堵した。それから手にクラッカーを握ると、玄関に集合した。もちろん紙が飛び散らない片付け楽チン仕様だ。
西雅がしゃがみ、その上に文哉、1番上に司が縦に並ぶ。言うなれば団子3兄弟。
ガチャリとドアが開く。
「ただいま!」
「ただいまぁ……って、え?」
異様な状態の3人に驚いている東真にクラッカーを向けると、南央が耳を塞ぐ。
「お誕生日おめでとう!」
3人が一斉にクラッカーの紐を引く。静かなパァンという音に、東真が肩を撥ねさせる。それからしばらく呆然としていた東真は、スマホで日付を確認した。
「あ、そっか。誕生日か」
思いも寄らなかった反応に、文哉と司、西雅がずっこけるふりをする。それを見て南央も真似をすると、文哉は心臓を打ち抜かれ天を仰いだ。
「東真さん、入ってください! 誕生日会ですよ!」
「えぇ?」
東真はまだ唖然、呆然といった状態。そのままずるずると西雅に手を引かれ、南央に背中を押されてリビングに向かった。
「はい、主任も行きますよ」
文哉も司に手を引かれてリビングに引き摺られていった。
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